中学受験 国語をシンプルなルールで攻略 プロ家庭教師 アオキのブログ -53ページ目

中学受験 国語をシンプルなルールで攻略 プロ家庭教師 アオキのブログ

「本気で国語をやる」生徒の為に
体系化されたシンプルなルールで「これまでにない濃密な」授業を提供します。

大分前のことになるのですが、家から徒歩1分ほどの所にあった創作和食ダイニングのお店が移転しました。


潰れてしまったわけではなく、他の場所(もっと立地のいい場所)でやっているとのことでしたので、それは良かったのですが、何となく寂しい思いもあります。


そのお店は薬膳料理を売りにしており、野菜をふんだんに食べさせてくれました。


初めてかぼちゃを一口食べた時、思わず驚いてしまうほどおいしかったことを覚えております。


肉料理も大変おいしく、量も多く店の人も素晴らしい人でした。


さらに感動したのは、お会計の際、おつりを(880円の代金なら120円)予め用意しているというところでした。


ランチでしたら1000円を出すお客さんが多いでしょうから、考えたら分かることなのですが、今まで行った店ではそのようなことをしている店員さんは見たことありませんでした。


お客さんの支払いのパターンを知り、あらかじめ準備しておく、という些細な行為の裏に、ご夫婦が日々お客さんの為に心を砕いている様子が伺われ、やはりこの店は素晴らしいと感じたものでした。


家庭教師としての私の授業も、「考えたら分かる」を形にしていきたいと思います。



10年もやっていれば、問題集を順番に解説するだけでは志望校に届かない生徒が多数いるのは誰でも分かります。


授業内容も工夫の余地は無限にあります。


また、プランの問題、モチベーション、親子の関係、「できない」という思いこみ、など解決しなければならない問題は多数あります。


それらの一つ一つに適切な対処法を提案できるようにスキルを磨き続けるのが私の仕事であり、楽しみなのです。


そのお店は私にそんなことまで考えさせてくれました。

家庭教師 お母さんの為のコーチ 青木です。


感情と結びついて苦手意識が生まれてしまうくらいできない科目がある人は幸運です。


なぜならば、それを克服した時に得られるえ経験値は最初からそこそこできる人よりもはるかに多いからです。


苦手で嫌いなモノ(科目)を自分の意思で克服したいと望み、サポートを得ながら成し遂げたとすれば、それはただ成績が上がったのではなく「体験」をした、ということになります。


体験こそ本当の学びであり、人生における資産になるのです。



私の仕事とは、生徒や家庭の問題を明らかにし、体験を提供することなのです。



私の場合、仕事、学んでいること、そして趣味に至るまですべてが「苦手なこと」なのです。


本当にやりたくないこと、避けてきたことに少しずつ向き合うことで、成長してきたのかもしれません。



今朝起きた時、頭をよぎったことを文章にしてみました。


今までの殻を破って成長したい人こそ私の生徒に相応しいのです。


どうぞお話を聞かせて下さい。


家庭教師 お母さんの為のコーチ 青木です。


2012年に夏期および冬期の国語特訓といった形で行ってきた国語特訓ですが、2013年は今まで授業で行ってきた国語のノウハウを体系化してお伝えするために、国語特訓プログラムなるものをスタートさせることに決定しました。


ホームページよりも先行してブログでお知らせいたします。



期間は4ヵ月(16週)程度を考えております。


「夏までに仕上げる」をテーマに、集団塾とはまた異なったアプローチで長文読解を身に着けてもらえればと思います。


詳細は順次ブログに投稿していきます。

青木です。

今日は休日。


正月に休みをもらって(正月も実家のコタツで日がな仕事をしておりましたが)また休みかとも思いましたが、休日を堪能しました。


休日をリラックスする自分なりのコツの一つは、読む本の種類を変えること。


今日は「日本剣豪譚」を読みました。


己の力を磨き、乱世を生き抜いた剣豪たち。


死を身近なものとして考え、高みを求めて一瞬一瞬を生き抜く剣豪たちの生き方は美しいの一言に尽きます。


「彼らに比べて、自分は本当に真剣に生きているのか?」


そんなことを考えさせられる一冊でした。


日本剣豪譚〈戦国編〉 (光文社時代小説文庫)/光文社
¥489
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家庭教師 お母さんの為のコーチ 青木です。



現場にいると、しばしば以下のようなやり取りを目にします。



算数のテストが45点だったと仮定します。


その時の親、子それぞれの感想。


子「勉強したのに点が出なかった…」


親「全然勉強しなかったから点が出なかった…」



事実は一つ、解釈は二つ、というよくある状況なのですが、ここで注意しておきたいのは親子間での言葉の使い方の相違です。


分かりやすく言えば、「勉強する」という言葉の定義です。




この場合、子の「勉強した」と親の「勉強した」の定義が違うのです。


例えば、子の勉強したとは「問題集を一巡解くこと」かも知れません。


「間違えた問題を見直す」ことかもしれません。



親の場合、「勉強した」の定義とは「問題集を一巡した上で間違えたところを再度やり直すこと」かも知れません。


はたまた「テレビ、ゲームを我慢して机に向かうこと」だったりもします。



このように言葉の定義がずれてしまうとどのようなことが起こるのでしょう。



ご想像の通り、親が「勉強しなさい」と言い、子が言われたとおりに「勉強した」としてもお、親からすれば納得がいかない、という事態になります。


結果が出ていない家庭の場合、親がコミュニケーションのやり方を変え、子どもを導いていくことで結果がでることがあります。


そのためにも、言葉の定義をしっかりしておきたいものです。


勉強するってどういう状態?


覚えるとは何を指すの?


良い結果って具体的には?


少し立ち止まって考えてみると面白いです。



このことは3月スタートのお母さんの為のプロジェクトにて詳しく取り扱います。


どうぞお楽しみに。