とうとう体が順応しましたぞ。この夏に。
外を歩いてもぜんぜん平気なぐらい。

と、思ってたらどうも世の中が涼しいだけらしいのですな、これが。

こんな季節が一年中続いてくれたら、結構うれしいんですが、世の中の大多数の人はそうじゃないんでしょうな…。


でも、なんだかんだいってまだ暑くなりそうなので一念発起して自分で紙を切りますた。はさみでばっさり20センチほど。

前回は大失敗して左右の長さが違ってしまったんですが、今回はまあまあ長さは近いですぞ。だいぶ頭が軽くなった感じで、ちょっとは肩凝りが改善するかも。
人生を道にたとえる人はたくさんいるから、多分それは他の人にも分かりやすい例えだということで定着してるんだろうと思う。

いろいろなことが起こってきたり、起こってほしい事態があんまり起こらなかったりする最近の日々。

どうも人生って一本道じゃないぞ、というのが今日の結論で。

ぼくらは一本の道をてくてく歩いていくというよりも、たくさんの自分がいて、そのたくさんの自分が同時にいくつかの道をてくてく並行して歩いていくんじゃないだろうか、と思えてきた。

そんなこんなで、今日起きたことは、その道の中のいくつかはもしかしたら先が行き止まりかも知れないぞ、と知らされたことで。


多分それは自分にとっての振って沸いた災難とかじゃなくて、いくつか自分が選択したり、あるいは選択しなかったりしてきたことの結果としての必然なんだろう。人によかれと思ってしたこともあれば、人と自分を天秤にかけて選んだこともあるんじゃないか。


よく「後悔しない人生を生きてきた」とか、かっこいいことを言う人がいて、いま同じことを言えるだろうか、と考えたりしたら、


あんがい、言えちゃったりして。


それは、自分がかっこいい人生を歩んできたということでは全くなくて、「人生」がそれだけスゴイ人生だったかどうかを別にして、「後悔しない」という決断さえ下せば、誰にでも、そういう人生が送れる、と言うことなんだと分かった。

だから、言っちゃうもんね

「我が生涯、悔い無し」

そのぐらい、意地っ張りなんですよ。ぼくは
ライフワークの一つ、チェリビダッケの海賊盤集め。

CDで出る音源はもはや魑魅魍魎の世界になっているのだけど、やっぱりとうとう出てきました。海外の放送局のアングラDVD。ひょんなことから大量に手に入ったので、少しずつ見ています。

スイスのルガーノという場所には「スイス・イタリア語放送交響楽団」というオーケストラがあるんですが、そこでの1975年の演奏会。このころおいらはイギリスにいたんだなぁ、と思うとまた違う感慨が。

プロコフィエフの「古典交響曲」とラヴェルの「マ・メール・ロワ」は以前「クラシカ・ジャパン」で放送したのをちゃんと捕まえてあったのですが、どうも同じ日に演奏されたらしいベートーヴェンの「交響曲第7番」を見ました。

ちょっと後の80年代のシュトゥットガルト放送交響楽団との演奏はかなり楽器のバランスが精緻なほとんど静謐といってもいい世界だったですが、今回のは、ちょっと前ということでまだ若さがあり、テンポもやや速め。オーケストラの編成が小さいこともあり、やや響きも薄くて向こう側が透けて見えるよう。

ただ、厳しく鍛え上げられたことは間違いなく、ちょっとしたミスはあるものの推進力のある、しっかりした演奏になってます。なんでこれをクラシカ・ジャパンでは放送しなかったのか、ちょっと不思議に思っていたところ、どうも原因はマスターテープにあるのではないかと思われますな。

というのは、見覚えのある客席のカットが何度も繰り返し放送されるのです。どうも前後の映像が乱れている気配。もしかしてテープ1本しか回してないのか、あるいは保存状態が悪いのか。日本の放送局だったらちょっと放送できないレベルと判断するかも知れません。カラーで、ビデオテープで録っているにも関わらず、なんてこったい。

他にも、デンマークのオーケストラを振った「展覧会の絵」も、勢いのある名演奏でした。ロンドン交響楽団との来日公演よりも10年近く前だけあって、テンポもずいぶん速い。次第にベルリン時代の情熱的な演奏がオーバーラップして見えてきました。こういうのを「ミッシングリンク」と言うんでしょうな。
今日は合宿から1週間経って初めての練習。マンツーマンのボイトレもあったりして。

肝心の合宿直前に寝冷えで夏カゼなんぞ引いたりして体調は最悪で、しかもこの季節の河口湖は夜が寝苦しく、朝方に急激に冷えたりするので、だいぶ難儀しましたが、今日になり体調はほぼ100%。こんな感じで1年中いけるといいんだけどなぁ。

実は大人数のコーラスって難しい。

今いる人数は決して多くはないのだけど、それでも周りの声がたくさん聞こえると、自分の声があまり聞こえなくて、すごく苦労するのです。

もちろんハモりの基本は「正しい声、正しい音程、正しいバランス」。

全員が同じように歌って、きれいにそろって、というのは大原則のようだけど、ただ没個性的になっても面白くない。人の声ならではのゆらぎなぞありつつ、うるさくならないようにスカッとハモりを決められるのが理想なのですが…。

自分の声のようで、それが人の声のようでもあり

自分の中に人がいて、自分も人の中にいて

一つの種がまかれて、それが巨木に育つように

一つの音からさまざまなハーモニーが生まれて

極彩色のようでもあり、墨絵のようでもあり

一瞬の中に 永遠があり

永遠の中に、無限の数の一瞬があり

一生懸命のようでもあり、でもふと気がつくとすべてが終わっている

そんな演奏、してみてぇなぁ
壁にもいろいろある。

会社の壁、自宅の壁。思想の壁、言葉の壁、バカの壁、ベルリンの壁、ベニヤの壁、経験の壁。

自分の周りにある壁はなんだろうかと考える。

その壁はない方がいいんだろうかと考える。

多分なくなったらずいぶん楽だろうと思う。自分で思ったことを言ったり思ったことをやったり。自分をためらわせるいろんな要素をすべて忘れて振る舞うのはある意味自由なんだろう。実際そういう人を見たこともある。

でも自分がそれをやったら、その結果、多分自分はものすごくいやなヤツだということがだれにも明らかに分かって、最後は元よりも高い壁が、今度は周りから築かれてしまうのがオチなのかもしれない。

壁をちょっと見直した。
かわいいかわいい。

今日は合宿の最終日なんですが、結局朝ご飯を食べたらそのまま飛び出してくるようなことに。

もう子ども連れで合宿に参加する人が結構多かったりして、そういう世代が中心になってきているということなのですが、練習の合間にヒゲをいじらせたりしていると、それはそれで人気をつかむコツだったりして。

で、朝もこどもをぶん回してから会社に向かったのですが、どうも特急「かいじ」の新宿行きに乗ったあたりから調子がおかしい。

おなかが痛いような気がして、寝冷えで本格的に風邪をひいたのか、朝飯に食べたものが悪かったのか、とか考えたりしてから思いあたったのが、今朝こどもと遊んだこと。

無自覚に軽く感じる子どもを抱え上げたり、ぶん回したり、ふだんあまりやり慣れない運動を急激にしたので、これは腰にキテルに違いなし。オーバーペースしてぎっくり腰にでもなっていたら、かなり情けなかったに違いない、と、体力作りをひそかに誓うのでしたよ。
買ったばかりのケータイなのに、はやくも電池が一日もたないってどういうことでしょ。ジュニアケータイだから、寿命も短め?

ちょっと前から、保険屋さんから通知が来ていて、そういうのってものすごく苦手だからほったらかしにしといたら、どうも6月中に期限が切れてたらしい。なんの保険かというと、家財保険で、家が火事やなんかの災害に遭ったときに、家財道具の一部が補填されるらしいので、今のところに入居したときに一緒に入っておいたのだけど…

よく考えたら去年の秋の水害の時に請求してれば、保険金入ってたんじゃん…。入ってるの忘れてたら意味ないよね~。

今日はありえんくらいに蒸し暑くて、あいすこーひぃなんぞは人間の飲み物ぢゃねぇ、と思ってるくせにスタバでカフェ・モカのアイスなんぞ頼んでしまいました。歩いて20歩で飲み干してるから、コストパフォーマンス、バリ悪し。

だいたいなんで世の中、温度が高いことが評価されるんだろう。

「情熱」とか、「熱狂」とか、「熱血」とか、温度が低いよりは高い方がいい、という風潮があるけど、やはりこういう偏ったものの考え方は改めて、これからは「情冷」「冷狂」「冷血」で行こうと思うのです。血圧だって低めの方がいいでしょ。
恵比寿のケンタでふたたびアジアンスパイシーチキンに挑戦。

復活した差し歯でズタズタに噛みちぎってやりましたわ。

ざまあみれ。
仕事の流れでそのままながら視聴してしまいました。

7時半には家を出ないとなのでもはやこちらも持久戦ですが。

どうも決勝トーナメントに入ってからは明らかに守備が鍵になっていて、どこのチームも相手の持ち味をいかに早めに消すか、ということを重視して戦うので、結果(ゴール)が出ないわりに選手の消耗が早い大会だなぁ。そういう意味ではこの大会ほど選手の交代が戦略性を帯びて語られたことはいまだかつてなかったかも。だから監督の采配うんぬんという議論が絶えないんじゃないだろうか。

イタリアはこの試合に関してはそれほど守備的とは言えず、前半から攻めていたのでカモラネージの消耗が早かったなぁ。他にもガットゥーゾなど、普段だと憎らしいほどにタフな選手が後半ばてばてになるのを見るのが日程過密の後半戦っぽいですな。

後半イタリアのディフェンスが明らかに集中力を欠いた局面があり、ドイツがそのチャンスに攻めきれなかったのが最後まで響いたかなぁ。イタリアも攻めの形をシュートで終われず、前線の選手は守備に戻る気力もないので、いくつか決定的なチャンスがあったのですがポドルスキーが決め切れず。

やはりデルピエロが全体の流れを変えたという気分はしますな。リッピ監督、あそこまで投入を我慢したのは延長戦という展開を想定していたんでしょう。ドイツの守備が疲れてきたタイミングでベテラン芸術家の投入、という最高のお膳立て。オドンコルが早めに投入されて延長に入ってからはもう足にきてたのとは対照的でした。

審判的にはかなりホームデシジョンが多かったかな。ドイツの選手には壊し屋タイプが多く、イタリアにはトッティを筆頭にファウルをもらいたがるフェミ男がいるので、どっちもどっちではあるのですが。

スタジアムの雰囲気は最初からドイツ一辺倒で、延長後半の10分までは最終的なドイツの勝利を信じて疑わなかった感じ。まあ、最後にキレのあるゴールがたてつづけに見事に決まったので会場のドイツファンには荒れるスキを与えなかった感じ。演出的には最高のエンディングだったなぁ。

1-0になったところでそこから追いつくのが昔ながらのゲルマン魂っぽいかな、と思ったりすると、やはりクリンスマンの行ったビジネスライクなチーム改革はチームの精神にも影響を与えてるかも、とか思ったりします。

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今日は一日かけて鎌倉霊園までドライブ。帰り道だけ久々の運転をしました。

ちょっと早めに現場について順番を呼ばれるのを待つ間、時間があったので、売店を見るとかなりの充実ぶり。

仏具一式も売ってたりして、ラベンダーのお線香やら、マンション用簡易お仏壇など、典例用具一式が収まるガラスケースがあるのですが、なぜかその中に1品だけ食品が。

それはもちろん鎌倉を代表する銘菓「鳩サブレー」

ただそれをお土産に買って帰るのは気が引けたので、ちょっと趣向の違う「大いちょうサブレー」を。それがこの写真。

そしてもろもろ終わったあとに暑いのでアイスでも、となったときに目に留まったのがこの「里のくり」。高校時代に買い食いした思いでがありますが、「復刻版」とあるので一時は生産がとだえていたんでしょうかね。食べてみると入っている栗の粒が心なしか大きいような。このシリーズでもう一つあったのがよく思い出せないんですが「里のやきいも」でしたっけ?

とにかく意外なほどの食品関係の充実ぶりが気になりましたが、中には明らかに東京銘菓「ひ○こ」をパクったかのような品物が…。まさかこっちがオリジナル?