すっかりご無沙汰になってしまいました。


実は2/8に父が亡くなり49日明けまで殺傷は控えておりましたが元々は亡き父が教えてくれて亡き叔父に育てられた僕の釣りゴコロ。


釣りに行かなきゃバチがあたるって物ですよね。


めちゃくちゃ行きたいマルイカは電車では間に合わないし、大好きなカワハギは某有名な名人氏が「3枚でした」なんて仰る渋さだし…


久々にシーバスジギング?はたまた?…


と釣り物を吟味していた時、「トラフグXデー、間もなく?」みたいな投稿が釣り好きなお仲間様のSNSで囁かれており、羽田えさ政さんの友の会会員特典で誕生月は何度乗船してもどの釣り物でも半額!をありがたく利用させて頂きまして令和6年3月28日、

これまで挑戦してこなかったトラフグ釣りに初挑戦することといたしました。


トラフグを釣り物に選んだ理由としましては「久々の船釣り、釣れなくても仕方ないと言い訳できる釣り物」という所と、嫁ちゃんが仕事の日なのに僕一人で行っても許されそうな釣り物…そして電車で間に合う上に半額という所です。


カワハギだ、マルイカだで嫁ちゃんを家に置いて釣りに行ってしまったら、やれ非国民だ、やれデブだと罵りまくられるのですがトラフグなら大丈夫でしょう😁


釣りに行こうと決めたのが前日の夜、全然釣れるイメージが湧かないけどちょっとは釣りたい僕が頼ったのは…


東京湾フグ会会長の山口氏!


竿はどんなんが良いですかね?とか、タックルはどんな感じですか?なんてmessengerで質問攻めにして疑問に答えて頂いていたら「明日俺もえさ政からトラフグですよ」とな?!


ならば隣で釣らせてください!


あわよくば教えてください!


とお願いしたら快くお隣の釣座に席を構えさせて頂きました。


良く船宿の釣果蘭で目にするトラフグの姿と言えば3.5kg!とか3.7kgとか…


なのでテンヤタチウオ竿やらアマダイ釣りで愛用している先鋭剣崎MTなどを船に持ち込んだら周りの皆さんはびっくりするくらいライトな装備…Σ(・□・;)


平日なのでそこまでお客さんは多くないですが

そこは船宿の計らいで2艘出し!


僕らは内木船長の操船する船の右胴の間に着席。


釣れるイメージが全くできていない中、出船から1:20ほどでポイント到着。


開始すぐにアタリが出て合わせると掛かった!


が何だかガタガタとして走るが引きが軽い…


上がってきたのは痩せ型のマサバ…


でもいきなりの魚信にアドレナリン大爆発!


これは本命を取り込んだらさぞかし嬉しいんだろうなぁ、なんて考えながら見よう見まねで誘いをかけていたら…


その時は突然に…

釣れたよー!


軽トラだけと嬉しいよぉぉぉ!!


幸先良いじゃん!


なんて思ったけど最終的には最初に釣れたサバとこの軽トラの2匹だけ。。。



40cmに満たない感じだったけど初物なのでごめんなさいよ、と身欠きにして頂きました。


…が帰って見たら…


ん?なんぞこれ?




…身体から赤い紐が出てる?



引っ張ってみると弾力がある。。。


引き抜いて見ようと強く引っ張ったら切れて血液の様な物が出てきました…😅


血管?寄生虫?


まぁ、取り除いて食べますがね。


小虎一匹の僕にナイス虎をゲットした山口さんから「白子入ってたら差し上げますよ!」なんておっしゃっていただき、祈るような気持ちでオスであれ!と願ったのですが残念ながら山口さんの釣果はメス。

 

流石は山口さん、女の子にモテますね、なんて笑っていたら


「頭の身、コラーゲンたっぷりで美味いんで食べてみて」と貴重な部位を分けて頂いたので船長おススメの鍋にて食そうと思います!


心より感謝です。


しかし、勝手に「トラフグ釣り=運と待ちの釣り」なんて思ってたけど船長から棚の合図が明確に出た時や周りと当たり棚の情報交換をしながら攻めて行く感じ、想像の何十倍も楽しくてエキサイティングでしたヽ(´▽`)/


軽トラ1匹じゃあれなんでリベンジ案件確定ですね!


ただ年度末、年度始めで早出に残業、休日出勤でタイミング逃しちゃいそう…


すぐにでも行きたい気持ちなんですがね〜


内木船長、山口さんはじめ同船の皆様、えさ政の皆様、超絶に楽しい1日をありがとうございました(^人^)


使用タックル

ロッド:ダイワ 極鋭カワハギ EX AGSボトム

リール:ダイワ 23アドミラ100XH100

ライン:シマノ タナトル8 1号

肺がん治療中の父が昨日午後緊急入院しました。

もうかなりステージが進んでいて根治治療は諦めなくてはいけない状況だったのですが父と同居している1番下の妹の介護のお陰で在宅、通院しながら昨日のお昼前まで座ってテレビを見て笑っていたのにお昼過ぎに急に『苦しい』と言い出して1番下の妹の付添でタクシーで千葉県がんセンターへ。

そのまま入院となりましたが『今日、明日どうこうって事はないと思います』と主治医から説明を受けて妹は一旦帰宅。

でも今朝5:00前に、『呼吸の乱れが激しくなり危険な状態、会いたい人は会っておいた方が良い』と病院から電話があり慌てて兄弟で駆けつけました。

本人の希望もあり機材、薬剤を使用しての延命治療は行わない方針ですがせめて楽に終末期を過ごして欲しいと18日に緩和ケアの専門医と面会、説明を聞き、緩和ケア病棟への入院を話し合おうとしていた所で、その前日にはビュッフェを予約していたほど食欲もあり見た目は元気でした。

父が最初に肺がんの診断を受けたのは今から21年前の54歳の時。

幸い早期発見で片方の肺を3/4ほど切除する手術と術後治療で一旦は寛解しました。

その後何事もなく還暦を迎え70歳を目前とした69歳の時に母が癌で60歳で他界。

その直後に父の肺がんが再発します。

片方の肺を取ってしまっていることもあり、手術による切除は不可能、抗がん剤か、放射線か、重粒子線かと選択肢があり最も副作用が少なく体への負担も少ないと言われている重粒子線治療を選択し、腫瘍は徐々に小さくなり完全に消えました。

そして72歳、また再発。

そこでも重粒子線治療で腫瘍は無事小さくなりましたが昨年の予後検診で更に再発。

今回も重粒子線で…と望んでいたのですがもう肺が重粒子線治療に耐えられる状態ではないと技師の先生、長年見ていただいていた主治医のお見立てがありました。
セカンド、サードで相談した先生も見解は全く同じ。

選択肢としては分子標的療法くらいしかないが年齢や肺がん既往歴、体力的に見ても成果よりも副作用の方が多くなると思われるとの事で断念。

肺から足や肋骨、リンパ節転移を通した遠隔播種もあり、僕ら子供たち一同、腹を括ってはいたつもりでした。

しかし、昨日の急変、今日会うまでの悪化の速度…

先生は『1人で逝かせず見守るつもりであれば今夜から付き添った方が良いでしょう。この状態だと今夜亡くなる方、3〜4日、頑張って一週間持つ方もいらっしゃいますがいずれにせよ長い時間は残されてません。』とお話ししてくださいました。

兄弟集合後はモルヒネの効きもあり、ひどい苦しさからは解放された様ですが、酸素マスクをつけても尚肩で呼吸している苦しそうな姿を見るともっとああしておけば良かった、こうしておけば良かったって、絵に描いたような後悔が襲ってきます。

タイミング悪く昨年始はコロナ、昨年末から今年始はインフルエンザの後遺症で持病の喘息が悪化し思うように実家に帰れなかった事、以前お土産で持って行き『美味い!これは焼き立てを食べなくちゃ!』と喜んでくれたふみ屋の鰻を食べにいくと約束したのに叶わない事。

仕事で疲れているだろうに毎週末、釣りに連れて行ってくれた優しい父…空手、柔道を嗜んでいて説教にはゲンコツではなく回し蹴り、投げ技、関節技で語る厳しい父…誕生日にお酒を贈ると『勿体無くて呑めないな』なんていいながら一週間も経たずに飲み干すお茶目な父…子猫物語やおしんを見ながらしくしく涙する可愛げのある父…そんな涙脆いはずなのに母の葬儀では気丈に涙を見せなかった強い父…

そんな事を思い返しながら父の顔を見ていたらパチっと突然眼を開けて手を差し出して来たので握ると75歳とは思えない、ましてや末期がん患者とは思えない凄い力で握り返して来ます。

何かボソボソと言ってるので耳を近付けると『痛い、苦しいはないんですがね、どうなっちゃうんだろうと言う恐怖感…先生がこうして手を握ってくれるだけで安心できるんです。素晴らしい事です。』と言ってまた寝てしまいました。

見た所凄く苦しそうだったので心配していたのですが痛かったり苦しかったりしないのなら良かった!でも僕、先生になっちゃいました😅

まあ、出来の悪い息子よりも先生がそばにいた方が心強いでしょうから今晩は敦也先生でいようと思います。

一緒にいられる時間があとどのくらい残っているのか、本当に僅かな時間しか残されていないとは思いますが少しだけ良い時間を過ごさせて貰っているのかも知れない、そう思えました。

仕事関係、釣り、その他プライベートでも色々なお約束を守れず申し訳ありません。

また、特殊な病棟におります関係上家族でも入室できる人数が2名と言う制限もある事、また、できる限り親子での時間を大切にしたい事からお見舞、家族や病院への問い合わせは大変恐縮ですがお断りさせて頂き、近親者には追ってご連絡となります事をどうかご容赦頂きます様、よろしくお願い致します。

わがままを申してすみません。




JR阿佐ヶ谷駅の南口ロータリーに隣接している開店から40年賑わった老舗の書店『書楽 阿佐ヶ谷店』が今日2024年1月31日をもって閉店する。




地域に愛されて40年、皆さん名残を惜しむかの様に訪れておりかなり混雑していました。



僕が阿佐ヶ谷に来て17年ですからその23年前から営業されてたんですね。


阿佐ヶ谷に住み始めてから幾度となく訪れた当店。


2008年にクラステッドゲッコーとヒョウモントカゲモドキを飼育し始めた頃には『可愛いヤモリと暮らす本』を買い、


2013年の結婚前にはゼクシィを、新婚旅行の準備ではハワイの旅行ガイドブックを買い、


2016年にぱんころさんを家族に迎えた時には『チワワの飼い方・しつけ方』『犬と泊まれる宿』と言う本を買い、『チワワスタイル』という雑誌も当店で定期的に買っていました。


2017年に台湾旅行に行く前には台湾旅行のガイドブックを買い、2018年に入院するときにはお勧めの小説を見繕ってもらい3冊購入した。


そして沖釣り専門誌の『つり情報』、『つり丸』も決まって当店で購入していた。


妻が『つり丸』の表紙を飾った時には9冊購入し、レジで『同じ雑誌の同じ号を5冊ご購入で間違いないですか?』って聞かれて『これ、妻が表紙なんですよ。親戚に配る分と保存用です。』と店員さんに話すと『奥様、凄いですね!ご主人は釣りはされないんですか?』と聞かれ『僕は太ったオジサンですから、どうしても妻の方が使われますよ。中には僕も写ってるんですよ。』と言うと申し訳なさそうに笑っていた店員さん。









その翌年…なんと僕が表紙になった物を買いに行ったら


たまたまレジが同じ店員さんで『ご主人もすごいじゃないですか〜!』なんて喜んで下さって。

そんな節目節目で通った思い出、思い入れが詰まった本屋さんが今日で閉店。

いつも書楽さんで買っていた『つり情報』と『つり丸』。

つり丸は一昨年廃刊してしまったので今日は『つり情報』を購入してきた。

今夜は書楽さんで買う最後のつり情報を楽しみながらちびりちびりやろうと思います。

寂しいなぁ〜…