今週末にはロシアで冬のオリンピックが始まります。

バンクーバー大会から早くも4年過ぎたということです。



以前はそれほどスポーツ大会には関心が無かったのですが、何しろヒマなものですから・・・・

それに中年過ぎたためか、肉体・身体の極限をつくす、という若さ・若者の特権的美しさというものに今更ながら気づかされたというか何というか・・・・・・

科学や装備などが進歩したといっても、結局、心技体とか生身の身体とかの勝負なんですなぁ。だから、人はスポーツに熱狂するのでしょうなぁ。

最近すっかり旗色が悪いメディアが自尊感情を取り戻すことができる時でもありますなぁ。(←失言)


浅田真央サンや高梨沙羅チャンを観ると多くの人は幸福感を感じますが、ご本人たちも幸福を感じる結果になるとよいですなぁ。モーグルの伊藤みきサンもけなげですなぁ。

キュートなお嬢さんが大勢出場しますなぁ。


♪ 古い奴とお思いでしょうが、、、

   古い奴ほど新しいものを欲しがるものでございます ♪

   (このセリフを知っている人はかなり古い人)



ソチ五輪・パラリンピックの公式サイト(英語版)

日本人選手一覧表コーナー

http://www.sochi2014.com/en/team-japan-athletes  

(下部の方にある more という部分をクリックしていくと全て表示されます)


英語のサイトといっても、単語に見当をつけてクリックしていくと、いろいろな発見があるでしょう。中学校英語で十分ダイジョウブと思います。



ふざけたことを書き連ねました。

今回のソチ大会には様々懸念の声もあるようですが、競技だけちゃんと運営できればよいのであって、全部きっちりできないと不安な日本人的発想でものを考えるのはどうかと思います。

海外生活したことのないわたしが言うのも変ですがね。




















 2011年3月11日午後2時46分頃に発生した東日本大震災から既に1000日が過ぎ、まもなく3年になろうとしています。

おもに東北地方から北関東地域の太平洋沿岸部の地震・津波被害と内陸部の地震被害、福島第1原発周辺地域の事故被害はいくらかでも立て直すことができたのでしょうか。

多くの人が述べているように、時の経過とともに、地域や人によってますます回復度や展望の明暗に差が出てきているようです。 ようです、というのは直接に見聞きしたわけではないからです。

被災地からの声として、よく聞かれるのが「忘れないでほしい、関心を持ち続けてほしい」ということだそうです。

そうですね、忘れないで関心を持ち続けていれば何かの行動につながることもあるでしょうから。少なくとも無知からくる中傷や疎外は生まれないでしょう。


 原発事故後の事故処理というか後始末、尻拭いがうまくいっていません。「事故は収束した」とは、単に「原子炉の冷温停止は保たれていて放射性物質が大量飛散するようなことは起こらないだろう」と言っているだけです。それどころか、昨年来「汚染水問題」が大きく取り上げられています。

それにしても、素朴な疑問として・・・・・

青函トンネルや本四架橋を作り、古くから鉱山開発の歴史を持つ土木建設技術の高さを誇るこの国が、限られた狭い福島第一原発の敷地内からの汚染水漏出を遮断することができないのは何故だろうか、と疑問に思う人は多いと思います。東京スカイツリーなんて物を作れる国が何故事故処理にかくも手こずるのかと、誰でも思いますよ。人と技術と資金の集中投入がうまくいっていないのではないかと、誰でも思います。

原発事故難民(棄民という言葉を使う人さえいます)も先の展望が見えない方が多いと聞きます。「難民」という存在は同情は受けますがやがて厄介者扱いされることも多いです。自国が作った国内難民の処遇くらい満足にできないようでは日本はとても先進国、一等国とは言えませんね。3年も塩漬け生活を強いられれば普通の人は立ち直ろうという気力を失うものです。そうは思いませんか。

原子力発電問題を今後どうするかという論議はもちろん大切ですが、現に起こった原発事故の後始末の問題をないがしろにしてはなりません。



あの災厄は東京都民や首都圏在住者には大きなショックだったでしょう。交通が麻痺して放射能被害におびえる、などということは便利で清潔な生活を享受してきた方々には耐えがたいことでした。

別に、今度の都知事選に引っかけて述べているわけではありません。ついこの間起こったことをあんまり早く忘れてしまっては困るだろう、と言いたいだけです。

先の展望が見えない人、その展望を作ろうと四苦八苦している人がまだまだ大勢いるのだろうという想像力は持つべきだろう、と強調したいだけです。


禁欲的な生活をしろだの笑うなだのぜいたくはするな、などと言うつもりはもうとうありません。それでは何が楽しみで生きているのかわかりませんからね。


自分の周囲や世の中、社会に関心と想像力を持っていないと、お互いに快適な生活を送る、ということができなくなってしまうのではないかと思い、今回の記事は書きました。



 参考:原発事故による強制避難対象地域と避難者数

        (福島県地元新聞サイトより)

  http://www.minyu-net.com/osusume/daisinsai/saihen.html  
















 1月も10日を過ぎたので、ブログデザインをお正月仕様から元に戻します。



あなたには、

♪ こいつぁー春から縁起がいいわいなぁー ♪ 

・・・・というようなことがありましたか?



 さて、タイトルの「追悼文」のことですが、どういうことかというと、有名人や著名人が惜しむらくも亡くなられた時に追悼文や感慨を書くことがはたして自分に許されるか、という疑問です。

直接の親交があったわけでもないのに、ご本人が亡くなられた後に自分の身勝手な文章を書き散らしていいものか、何か述べたいことがあったのならご本人がまだ存命しているうちに述べるべきではなかったか、という感覚です。ご本人に届く可能性があるうちに書くべきで、亡くなってから美辞麗句を並べることに何となく後ろめたさを感じる、という気持ちです。こういう心情に共感する方、きっといると思います。 結局、その亡くなられた方を通して自分を語ることになってしまいますからね。


 いわば「時代の共通感覚」とでも呼べるものを作ることができた人たちがいて、世捨て人でもない生活者である我々は何らかの影響を受けます。 一時の慰めや気晴らしを得たというだけでも、そういうことは生活者・人間にとっては非常に大事なことです。少なくともわたしには大事なことです。

音楽家の大瀧詠一さんが亡くなられました。 この方について特に詳しいわけではありません。ただ、今回の死去によって、わたしが以前鼻唄で口ずさんでいた楽曲がいくつかこの方の創ったものだったので驚きました。プロや熱心な愛好家でもなければ、この歌はあの歌手が歌っているもの、という捉え方ぐらいしかしないものですからね。 それに、幼少年期を岩手で過ごされたということも初耳で、何となく根っからのシティ・ボーイだと思っていたので、これも驚きました。 戦後生まれなのですから、地方にいてもラジオもあればレコードも容易に手に入ったでしょう。かえって、余計な情報や雑音が入ってこなくて良かったかもしれません。 外国のポップスもビートルズなどの洋楽もリアルタイムで経験した世代なのでしょうし、テレビの草創期や放送広告の華やかだった頃も経験なさっているわけですね。とても老年とは言えません。

また、わが身のことと結びつけると、わたしの父親も65歳で死去しました。今から考えると、やはり65歳では早死にだろう、と思います。 悔いが残るか天命か、はご本人にしかわかりませんが、もう少し音楽産業の動態を観察できたならば、きっと傾聴すべき発言をなさっただろうと思います。



ゆく人あり、そして来る人もあり。 

時は流れていくばかりで逆流はしないもの。

ただ瞑目するばかり。