四月も後半に入りました。

 ゴールデンウィークも近いです。



「匿名」というのは昔からありましたが、近年のネット社会化の中で、重要性というか影響力が大きくなって来ているというのは、多くの人が述べています。

「名乗るほどの者じゃございませんが・・・・」という形で、かなり勝手なことが言えます。



いわゆる「流言飛語」や「風説の流布」などというものも、昔よりはずっと容易になったかもしれません。ただし、その真偽をただして、嘘は打ち消して悪意の垂れ流しをした人を叩く、というのも同様に簡単になっているので、しばしばネット上でバトルが繰り広げられるというようなことが起こるらしいのですが、実情はよく知りません。

「ネットいじめ」なる陰惨な言葉が生まれ、そういう言葉ができるということは、現にそんな事態が起こっているということなんでしょう。

さらに、言葉や呼び名が生まれることによって事象が広がっていくということも、社会心理学などでは昔からよく言われていることらしいです。



「ものごとは何でも程度問題」と言った人がいましたが(誰だったかは忘れた)、便利を通り越してそれに縛られているんじゃないか、というほどモバイル端末に依存している人がいるらしいんですが、それはちょっと・・・と思ってしまいます。



「匿名」と言えばそれを指す英語の「アノニマス」という語も広まってきました。ハッカー集団か何かの関係でしょうか。

英語では、

名詞で  anonymity  匿名(の人)

形容詞で anonymous  匿名の、名を明かさない

ということですが、

<the + 形容詞 > で、< ~の人々 >という意味になることがあります。たとえば、

the Japanese = Japanese people ( 日本の人々=日本人 )

the rich = rich people ( 裕福な人々=金持ち )

というような例で、これは中学校か高校の英文法で必ず登場します。 この例でいくと、 the anonymous で、「匿名の人々、匿名集団」ということになって、それ故、アノニマスが名詞のように使われるようになったのかもしれませんね。 実際の真偽はわかりません。単なる推測です。


かくいうわたしも「匿名」で記述していますが、だれが書いているのかご存知の方もいるでしょう。

このブログのアクセス数など、ほんとに微々たるものです。ほんとにこれしかアクセスがないのかと疑いたくなるほど少数です。

量より質・・と言いたいところですが、何でこんなに少ないかなあ、と言いたくなるくらいの数ですよ。何度も言いますが、もーっイヤになっちゃうほどのアクセス数なんです。



わたし、脱いだらスゴイんです。  というのが、昔ありましたが、、、 わたし、書いたらスゴイんです。  という多少の自負が、こうやってお金にもならないブログ投稿を細々と続けている理由のひとつでしょうかね。

(脱いだらスゴイと言っていた人がほんとにスゴカッたかどうかはケースバイケースでした)


最後は手前味噌になってしまいました。
















 ごぶさたしました。少し体調崩したりしたものですから。



 タイトルにあるように、ブログを書籍化することはよくあるようです。

わたしも、以前書いていた「あっくんのゴロゴロ日和」というブログを閉鎖する前に、ブログサービス提供会社が提携している書籍化会社を使って、実体のある書籍として何冊か作りました。

構成から製本依頼までパソコン上でやってしまおう、というサービスです。 出版社などが事業の一部として「自費出版」を手がけていますが、あまり装丁などにこだわらないのであれば、書籍化会社で作る方がかなり安価にできます。1冊から何冊までも作れますし、追加したり、新たに別版を作ることもできます。

ただし、やはりそれなりの経費はかかり、もっともシンプルな形式を選んでも、1冊当たり千円以上はかかるようです。(支払額を冊数で割った計算で)。

 最近は電子書籍にして出版・販売してしまおうという人も多いようですが、ちょっとそこまでは・・・とためらう向きも多かろうと思います。


   ブログ本作製会社サイト

   http://www.mybooks.jp/  


(amebaブログでもこの会社と提携している模様)


近頃ではだいぶ進化してきて、横書きの物を縦書きに変換したり、電子書籍化もして販売できる状態にまで持っていくということもできるらしい。



この頃は、電子書籍・電子出版のガイド本も数多く出版されてもいますね。



 さて、私たちが青年期の頃は、日本は物書き・著述業だけで食べていける稀な国だと言われ、大学の文学部には作家になりたいという学生がごろごろいたように記憶していますが、現在ではどうなのでしょうか。 有名な作家でもできた自分の本が売れるように販促活動しないと駄目な時代になっているとも聞きますが、実際どうなんでしょうかね。

出版不況とか国民の読書時間がどんどん減っているとか言われても、世の中には出版物があふれているじゃないか、本当かいな、とも思ってしまいます。



 パキスタンのマララという少女が、子どもに本を、教育を・・・という活動の旗振り役になってノーベル平和賞の候補の一人にもなったという話などを聞くにつれ、やはりまだまだ日本は恵まれているのかな、とも思いますが、ケータイ、スマホの奴隷と化したヒト未満の種族がはびこりだした昨今の状態を見るにつけ、大丈夫かいな、もうちょっとモノ考えないと・・・と少々心配になったりもするのです。

















 タイトルを見て、何のことだろうと思った方もいるでしょう。


こんなことを書くのは、先日、「マイヤーリング」(原題:Mayerling)というアメリカ映画を見たからです。

女性美の基準を変えたとも言われた、あのオードリー・ヘップバーン(Audrey Hepburn 1929~1993)が主演した1957年放送のテレビドラマ(映画)を最新技術で復活させて映画館上映したもの。

1953年に公開されて一躍全米で人気を博した「ローマの休日」(撮影時は23歳頃か?)の4年後にアメリカで生放送のテレビ映画に出演した作品です。28歳頃でしょう。共演は夫のメル・ファーラーです。


今のオーストリアにあたるハプスブルグ王朝末期に実際に起きたルドルフ王子と男爵令嬢マリーの不倫心中事件を題材にしています。この事件は「うたかたの恋」という小説にもなり、何度か映画化されています。


この作品を観たいと思った動機は、オードリーの主要作品で唯一未発掘のものだったことと、これがキネスコープ・レコーディング(キネコ)という技術でテレビ放送を録画して、かろうじて保存された作品だということだったからです。


現在でこそテレビ番組の録画などは極々簡単にできますが、当初は放送録画用の機材やテープは非常に高価なもので放送局は経費節減のためにテープを使い回していたそうです。 そのため、テレビ草創期の頃のテレビ番組はかなり有名なものでも放送局自体にもそのテープが保存管理されていないことが多いらしいのです。NHKの連続時代劇(大河ドラマ)のようなものでさえ、ちゃんと全編保存されるようになったのはかなり経ってからだと聞いたことがあります。

ただ、これはほんとに機材・テープが高価だったから、という理由だけだったろうかと疑問に思うのです。 放送局自体に、保存しておくべきものという意識がなかったのではないかと推測するのです。
関係書などを見ると、テレビ草創期は独特の熱気があったのと同時に「電気紙芝居」、「一億総白痴化」などとも言われたそうで、このあたりのことは我々の世代の人は知っているでしょう。

現在とはまた違う形で、テレビというものに対する一抹の軽侮を持つ人たちが放送関係者自身の中にもいたであろうと思います。



話は少しそれましたが、その時代にもキネスコープで独自にテレビ番組を録画保存していた人が少なからずいて、そのおかげで未発掘の映像が出てきたりしますね。

 キネスコープの説明・解説をしているサイト

 http://www.asahi-net.or.jp/~uk9o-tkzw/tvequip.html  

 (このサイト作成者は、「テレビ放送の録音・録画」について少年期から興味があって、そのまとめの形でサイトを作ったようだ。もちろん、知人でも何でもない会ったことのない人)


テレビ放送というのは戦後に登場した比較的歴史の浅い産業で、近年のネット社会化との併存はさらに最近の現象です。

テレビ産業に関わる人たち、特にお若い方たちはテレビ概史・変遷を大ざっぱでも知っておいた方が良いと思います。

過度にテレビを礼賛したり、反対に卑下したりしないためにも。


   また嫌われるかしら、ワタシ。