10月も中旬となりました

 

 日本時間で今夜ノーベル文学賞が発表されました。

 これで、今年の受賞者が出そろいました。

  ノーベル財団の公式サイト https://www.nobelprize.org/

 

 文学賞は Bob Dylan 氏 (1941~  )。75歳。昔から音楽活動している人という印象があるので、意外とお若いです。

The Nobel Prize in Literature for 2016 is awarded to Bob Dylan "for having created new poetic expressions within the great American song tradition".

゛偉大なアメリカン・ソングの伝統の中で新しい詩の表現を創造してきた″功績によって・・・

と発表されました。

 ボブ・ディラン氏1960年代前半から活動を始めて、わたしたち世代にとっては青年期には既に伝説的存在でした。つまり、アメリカから遠く離れた日本の田舎のムクツケキオノコどもでも何となく知っていた、ということです。

「風に吹かれて」( Blowin' in the Wind  ) は邦題とともに一世を風靡しましたね。

吟遊詩人、現代アメリカの琵琶法師と呼んでもいいかもしれません。(かなり違うか?)

文学といえば古くはおもに詩歌だったのですね。散文・小説が主流になるのは後のことです。

 

 医学生理学賞では大隅良典 (1945~)氏が受賞しました。

 

 このノーベル財団の公式サイトはいろいろなことが載っています。

選考過程(誰が誰に推薦されたかなど)は50年間公表しない厳格な規定があるそうですが、それを過ぎるとかなり詳しいことまで公表されます。

野口英世や湯川秀樹(1949年受賞)や三島由紀夫がいつから誰によって候補に推薦されたかもわかります。興味とヒマのある方は試してみるのもよいかも。

 

 世の中には異能、天才の人がたくさんおられますが、ぼやっと無関心でいるとそういうことにも気づきません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  だいぶ日没が早くなってきましたね

  午後5時を過ぎると薄暗くなってくるような気がします

 

 今週月曜日は「敬老の日」でした。

この国民の祝日は1966年(昭和41年)に始まり、当初は9月15日に固定されていました。

高齢者関連の祝日を制定している国は世界でも珍しいそうです。(wikipedia等の記述より)

 

今年の敬老の日に合わせて、総務省統計局から高齢者の割合などを示す統計が発表されました。  

 統計からみた我が国の高齢者(65歳以上)

 http://www.stat.go.jp/data/topics/topi970.htm

 

それによると、

2016年の総人口は1億2695万人で、高齢者(65歳以上)人口は3,500万人に迫り、総人口に占める割合は27.3%(女性は30.1%、男性は24.7%)となり、80歳以上人口は1,045万人(8.2%)であるそうだ。 高齢化率は世界一である。

ちなみに、「敬老の日」実施前年の1965年はというと、総人口はまだ1億人目前で高齢者人口は618万人、率は6.3%であった。 約50年で数、率ともに大幅に増えた。 まさに超高齢化社会の到来であろう。

 

 だれでもやがてはコウレイシャ、ぼくなどもうすぐコウレイシャ、あなたはとっくにコウレイシャ・・・と言ってみたくなるほどの世の中なのだ。 もちろん70,80歳になっても元気な(一人でも生活できるくらいの状態)人もいるし、100歳超えてもしっかりされている人もいるだろう。そうありたいが、そうなれる保証もない。 人生の晩年期にみじめな生活を強いられることなど誰しも望まない。

敬老の日の制定は、ひょっとすると年寄りを大切にする気風が薄くなっていく危機感から生まれたものかもしれませんね。

実際に、介護施設や老人病院で殺人が起こる時代になってきました。これが特殊事例で済んでいるうちはまだいいですが、連鎖して頻発するような事態にはならないように願いたいものです。  

気持ちに余裕があれば他人にもやさしくなれる・・・これはまさしくそのとおりです。お互いに心に余裕を持てる生活を送りたいものです。

 

 国連では、‘Internatinal Day of Older Persons’(国際高齢者デー~毎年10月1日) http://www.un.org/en/events/olderpersonsday/

が制定されていて、こちらははっきりと

‘take a stand against ageism’が目的であると書いています。

ageism とは年齢による差別、特に高齢者差別(虐待なども含む)のことですから、「高齢者差別に対抗すること」を目的としているわけです。

それだけ世界共通の問題と認識されている、ということなのでしょう。

 

 時間は誰にでも平等に同じだけ与えられます。金持ちだけ年を取らないなどということはありません。

華麗なる加齢とまではいかなくとも、少なくともストレスの少ない老年期を迎えたいとは誰しもが望むことですね。

 近頃では、若者たちが年金の心配をしたりしていて、そういう現象に最初は奇異な感じを抱きました。しかし、彼らは単純に明日は今日より明るいだろうと感じられた時代、アゲアゲドンドンの時代を全く経験していないのだから、着実堅実な生活設計を考えるというのも自然かもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 また台風が通り過ぎていきました

 

 いつの頃からか、敬老の日から秋分の日へと続くお彼岸のこの時期をシルバーウィークと呼ぶようになりました。 レジャーや旅行の業界が広めたんでしょうか。

 

 さて、前回のブログで山形県の山寺に行った、と書きました。

東京からだと日本中どこに行くのにも便利なのと同じように、仙台市を起点とすると東北地方のどこに行くのにも比較的容易です。 これと同様なことが地方の大都市に言えるでしょう。札幌市からだと北海道のどこに行くのにも便利でしょうし、福岡市からは九州一円どこにも容易に行けるのでしょう。(どちらの都市にも行ったことがないので実感としてはわかりません)

 

 山形市周辺を訪れた時のことを少し書きます。

JR仙山(仙台ー山形)線の山寺駅で下車すると、すぐ駅近くに立石寺(りっしゃくじ)があります。由緒ある大きな寺社の周りには必ず門前町や土産物屋通りがありますが、ここはこじんまりとしてひっそりとしたたたずまいです。 寺院の入り口そばに本堂があり一千段程の石段をえっちらおっちら登って行くと山上の奥の院に至ります。足腰の弱い人には無理かもしれませんが、入り口から登って帰って来るのに健脚なら2時間、ゆっくり休みながら歩いても3、4時間しかかかりません。歴史ある寺院参拝としても意義深いですが、プチ修行というか小トレッキングという意味でもなかなかです。実際、ここでも外国人旅行者をたくさん見かけました。

最近では、寺社が自身で立派な紹介サイトを設けていることが多いです。

  宝珠山立石寺サイト http://www.rissyakuji.jp/ 

 

一般人訪問者向けの見学・観光寺院というだけでなく、仏門に触れる機会を作ってあげるというのもいいじゃないかと思います。 座禅会や写経道場や法話など。 薬師寺で修学旅行生向けに若い僧侶が説法訓話するという例もありますね。

 

 山形駅の西側に霞城公園というお城址全体を公園とした所があって、いくつか公共施設があるのですが、その一角に県立博物館も建っています。 そこに半ば時間つぶしのために入館したのですが、思いがけないものに遭遇しました。

縄文時代の土偶です。土偶は日本全国で無数に出土されていますが、これは特殊です。すっとした立ち姿の土偶で、今風に言えばスレンダー美女とも形容できるでしょうか。二千年の眠りから覚めた「縄文の女神」です。おおげさに言えば、縄文人の美意識にふれることができるのです。(平成10年出土、後、国宝指定)

 県立博物館サイト・「土偶」紹介

  http://www.yamagata-museum.jp/archives/jomon_no_megami/

  注:「縄文の女神」は言うまでもなく発掘後につけられた愛称(尊称)

 

 山形市の南隣りに上山(かみのやま)市があります。ここは蔵王連峰に接して温泉地としても知られていますが、歌人の斉藤茂吉(1882~1953)の出身地でもあり、立派な「斉藤茂吉記念館」が建てられています。 

私を含めて多くの人にとっては、文学史の中の人物でしかありませんが、実際に記念館を訪れるといろいろな発見があります。10代初めに優秀さを見込まれて東京の精神科医・斉藤紀一家に入り、東大医学部卒業後は紀一を継いで精神科病院(帝国脳病院)を経営していた。(少なくとも中年期までは民間精神病院経営の草分けとしての顔のほうが大きかったと思う。) 

処女歌集「赤光」(1913年、31歳)は芥川龍之介はじめ多くの同時代人に衝撃を与え、一躍脚光を浴びたのだそうだ。

氏は故郷への愛着を失わず、事あるごとに帰郷したらしく戦中には疎開もしていた。蔵王にも老年まで訪れたらしく、生前に壮麗な歌碑も建てられています。

 斉藤茂吉記念館サイト http://www.mokichi.or.jp/index.html

 

余談になりますが、

わたしは青年期の初め頃、断続的に数年間山形に住んだことがあった。キャリア形成の基礎を作るべき大事な時なのであったが、まったく生産的な結果を残せなかった。馬鹿げたことに巻き込まれて心身のバランスを崩し、学業にも集中できず、それが後々まで尾を引くことになったのである。 その悔恨と苦渋は余人にはわからないかもしれない。 

まして、今でも放送ゴロ、政治ゴロよろしくあさまさしく立ち回っている連中がいるわけだから。 ・・・・ずいぶんなことを言うじゃないかと思う人もいるかもしれませんが、このくらいのことは、当方、しょっちゅう言われてきたし、実害をこうむったこともしばしばです。  呪詛や下卑た言い方はしたくないが、一度くらいは許されるだろうと思います。

 しかしながら、この土地自体には悪感情はないので、どうこう悪く言うつもりはない。今まで足が向かなかったと言っても、他の所も旅行していないし、訪れる理由もなかった。

 

さらに余談ですが、

わたしは酒がほとんど飲めないので、ふらっと酒場、飲み屋に立ち寄って旅先の人情に触れるということが難しいのですね。 これは多少残念ですが、いたし方ありません。

酒飲みは自然と酒飲み同士で集まるのでしょうが、下戸には下戸なりの時間のつぶし方があるというものです。