『解説をあつめて』2 はっぴいえんど全曲解説集『風街ろまん』編 | Kou

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音楽雑感と読書感想を主に、初老の日々に徒然に。
ブログタイトル『氷雨月のスケッチ』は、はっぴいえんどの同名曲から拝借しました。


 

 

 

 

 

抱きしめたい

 

 

ヒロ宗和

 ビートルズを禁じ手にしていたはっぴいえんどの中で、『カム・トゥゲザー』の影響を感じさせる曲。タイトルもビートルズへのオマージュのようだ。バンド結成時に、細野・大瀧・松本の3人で出かけた東北旅行の際に、雪景色の中を煙を上げて走る機関車の情景がモチーフとなり、その翌年の青森ツアーの帰り、食堂車で松本隆が一気に詞を書き上げた。宮沢賢治の『水仙人の四日』とシンクロする世界観をもつ作品だ。細野晴臣の緩急自在のベース・プレイも堪能できる。ジェット・マシーンの使用も効果的だ。


田家秀樹

 『抱きしめたい』のイントロは、少しひっかかったような松本隆のドラムと細野晴臣のベースで力強く始まっている。『はっぴいえんど』の1曲目『春よ来い』よりもさらに重心が低く地を這うように迫ってくる。リズムを刻んでいるという感じではない。それだけで何かを伝えている。それが何であるかは、歌が始まってから分かる。淡い光が吹き込む窓の外を遠い田舎が飛んでゆく。主人公のぼくは烟草をくわえて一服して、きみのことを考えているという列車の中の描写。そんなぼくを冬の機関車が運んでゆく。イントロのドラムとベースのダイナミックな絡みがその情景を思い浮かべさせてくれる。SL機関車が走る姿。間奏で流れてくる鈴木茂の乾いたギターは、一瞬にして飛び去って行く沿線の景色のようだ。ゴオゴオという走行音も歌詞になっている。それは、音と言葉が一体になった立体的な動画のような始まりだった。『抱きしめたい』は、松本隆が岡林信康のツアーで青森に行った帰りの食堂車の中で、紙ナプキンに書いたという歌だ。04年発売の『はっぴいえんどBOX』のブックレットでは、「盛岡、花巻の駅あたりから、宮沢賢治に愛をこめてって感じ」と話している。田舎から東京に向かう。でも、歌の中ではそんなふうに状況は限定されていない。その逆として聴くこともできるだろう。黝い煙を吐き出しながら走ってゆく冬の機関車を待っているのは。飴いろの雲に浮かぶ驛の沈むホームだ。それは聴いている人の想像の中にしかない。


鈴木茂

 この曲でよく言われるのは、イントロの拍が複雑だということ。僕のギターは間奏から出てくるからなかば他人事なんだけど、みんな大変だよね(笑)。このパートはとにかく大瀧さんのこだわりだよ。この頃って、裏拍から入ってトリッキーに聴かせるのが流行ってたんだと思う。

 

 

萩原健太

 

 『風街ろまん』は日本のポップ・ミュージックのルーツ的な一枚として記憶されるべき重要な作品だ。などと偉そうに振り返っているが、発売当初、ぼくはこのアルバムを持っていなかった。限られた小遣いの中、好きな洋楽アルバムを買うのに精一杯で、ここまでは手が回らなかった。だから、高校の同級生のシノザワ君だったかツカモト君だったか、とにかく友達から借りて聞いたのが最初だった。学校から帰宅して、盤に針を落とした瞬間のことは忘れない。アナログLPのA面冒頭を飾る『抱きしめたい」。トリッキーなイントロからドラム・フィルを経て歌が始まる。タイトなグルーヴと柔軟かつ奔放なヴォーカル・パフォーマンスにいきなりやられた。ドラムもベースも、ファーストアルバムのときとは比べ物にならないほど太く、雄大にうねっていた。楽器と楽器の隙間の空気までがグルーヴしているようだった。遊び心も満載だ。―番のヒラ歌の途中、ヴォーカルの大瀧詠一が「ぼくは烟草をくわえ/一服すると…」と歌って演奏がブレイク。2拍分の半端な空白が挿入され、その1拍目裏から「スーッ」と煙草を吸う音真似が入る。落語家が扇子を使ってキセルを吸う様子を模すときにやる、あれだ。そして再び演奏が始まり、「…きみのことを考えるんです」と続く。かっこいい。外来文化のロックと、日本古来の芸能である落語との融合。これほどスリリングにグルーヴする「スーッ」に出くわしたのは初めてだった。たまらなかった。そういえば、ぱっぴいえんどのファースト・アルバムの歌詞カードの最後に添えられていた手書きの献辞。それ自体、バッファロー・スプリングフィールドがセカンド・アルバム 『アゲイン』で披露したアイデアの模倣だったわけだが、まだバッファロー・スプリングフィールドの音すら聞いたこともなかったぼくがその事実を知るのはもう少しあとになってからだった。そこにはメンバーそれぞれが影響を受けた人物の名前が列挙されていたのだが、内外の音楽家や小説家、漫画家、映画/演劇関係者に交じって、三遊亭円生というクレジットがあったことを、『抱きしめたい』を聞きながらぼくは思い出した。今にして思えばさほど珍しい感覚ではないかもしれないが、いかに日本的な土壌から離れて海外の感覚に追いつけるか、やみくもに模索する者が大半を占めていた当時の日本のロック・シーンにおいては少々違和感のあるクレジットだった。が、その違和感は次のアルバム 『風街ろまん』で、こうして霧消した。痛快だった。ささいなアイデアかもしれないが、海外で煙草を吸う音をこのように表現することはないわけで。とすれば、これなど日本ならではのロック表現の好例だったとも言える。「とても素速く/飛び降りるので」という歌詞を「とても~/すばや/く~と~/びぉりるので」と歌うアナーキーな文節の区切り方も衝撃的だった。日本語の歌詞から半ば力ずくで意味が剥ぎ取られ、純粋に響きとしてグルーヴしているさまが最高に新鮮な感触をもたらしてくれた。


細馬宏通

 歌詞カードに書かれた松本隆の詞は、ときに、ほんとうにこれにメロディをつけることができるのかと疑わしくなるほど曲がりくねっているけれど、たいていは、変更されることなく歌われている。しかし時折、ごくわずかな差異が見つかることがある。たとえば、『抱きしめたい』後半の、エフェクトのきいた部分。ふと、大瀧詠一の声が、まっしぐらな「の」です、と歌っているのに気づく。歌詞カードには、まっしぐらな「ん」です、とある。意味は変わりないし、違いはほんの一音にすぎない。だがそれだけにかえって気にかかる。なぜそんな小さな違いが盛り込まれる必要があったのだろう?

 「きみのことを考えるんです」「きみの街はもうすぐなんです」、歌では、すでに「なんです」ということばが繰り返し唱えられている。なぜこの部分に限って、「まっしぐらなんです」でなく「まっしぐらなのです」が、「ん」よりも「の」が選ばれたのだろう?セカンド・アルバム『風街ろまん』の1曲目『抱きしめたい』は、まるでファースト・アルバム『はっぴいえんど』の1曲目と呼応するかのように、「ですます」調を繰り返し唱える歌だが、その有様は、ずいぶんと違う。

 まず、中途に表われる「飛んでゆきます」「走ります」は、引き延ばされるどころか、むしろ規則正しく乗り越えられるレールの継ぎ目のように、一音一音同じ長さで確かに唱えられる。ここには『春よ来い』から想像されるような歪みはない。各連の締めくくりである「考えるんです」「もうすぐなんです」も、途中までは規則正しい。しかし、そのリズムは、末尾の「んです」でいささか奇妙な動きを見せる。「かんがえるん」「もうすぐなん」はどれも一音一音同じ長さで、しかも同じD音で唱えられる。しかし「ん」に続く「で」は一音下がってからさっと切り上げられ、「す」が発せられるまでに小さなタメがある。そこに圧せられた空気が漏れ出すように「す」のS音が割り込んでくるのである。

 この、小さなリズムのタメを産んでいるのは、撥音便「ん」の音だ。日常会話なら力を入れることなく経過するはずのこの「ん」の音に、大瀧詠一ははっきりとした鼻母音を響かせる。響かぬはずの場所に響きがこめられた分だけ、続く「で」にエネルギーが余分に送られる。そのエネルギーを吐き出すべく、「で」の直後には間隙が設けられ、そこに「S」音の空気が送られるのである。そのため、最後尾の「す」は「です」の一部というよりは、冬の機関車の蒸気活動を表わす擬音のように響く。あえてひらがなとアルファベットで表わすと「んでぇっSSU」という印象だろうか。

 曲が後半に入るとさらに様子が違ってくる。音空間全体にエフェクタがかけられて、ことばは町の中で切れ切れになりねじ曲がる。これまでなら「まっしぐらなんです」と一音一音同じ長さで唱えられたであろうことばも、ここでは無事ではない。「まっしぐら」と「なんです」は切り離されてしまう。いや、ただ切り離されるだけではない。大瀧詠一の歌声をよくきいてみよう。雪の銀河の中でひとまとまりのことばを吐き出そうとするとき、彼はまとまりの直前に、ほんの小さな装飾音を入れている。「ゆきのぎんがをぼくは」ではなく「ぅゆきの~ぎんがを~ぼくは~」、「まっしぐら」ではなく「ぇまっしぐら~あはあ」。

 そして、本来独立した文節としては成立しないはずの「なんです」にまで、直前に装飾音「う」が加えられて、「ぅなのです」。それだけではない。「な」「の」「で」「す」の四つは、この曲で初めて用いられるD♯音によって、感情を連打するように同じ音程で唱えられる。ここで「ん」が「の」に置き換わっていることに注意しよう。前半で見られた「ん」によるエネルギーの充填はここでは効かない。「で」の直後にも、そのエネルキーを抜く間隙は訪れない。同しリズムで唱えられて、くらがりに突入するように「す」に続く。直情径行な身振りを引き受けたその「す」はまっすぐ延びていき、非情なギターに断ち切られる。もし「なのです」が「なんです」と歌われたなら、エネルギーの時間分布は不規則になり、このようにまっしぐらなことばの駆動は起こりえなかっただろう。

 

 

 

 

空いろのくれよん

 

 

ヒロ宗和

 駒沢裕城のスティール・ギターをフィーチャーしたのどかなカントリー・チューン、大瀧詠一のヨーデルまがいのヴォーカルも楽しい異色作。「ですます」調を多用した松本隆の詞も本領発揮。詞の内容的には「大学ノートの裏表紙にさなえちゃんを書いたの」でおなじみの古井戸の『さなえちゃん』との類似性が見いだせる(というか当時のノンポリ学生の気分が集約されたものである)のも楽しい。ニール・ヤングの『ヘルプレス』との類似性もうっすらと感じられるサウンドだ。


萩原健太

 初めて『風街ろまん』を聞いたとき、まず『抱きしめたい』のタイトなグルーヴと柔軟かつ奔放なヴォーカル・パフォーマンスにやられて。こりゃすげえアルバムかも…と胸を高鳴らせて。その高鳴りはすでに2曲目でピークを形成した。『空いろのくれよん』。これだな、ぽくの1曲は。まだバッファロー・スプリングフィールドなど実際に聞いたことがなかったガキながら、淡々としたサウンドのたたずまいや、歌詞の切なさを絶妙にふくらませるヴォーカルに、ぽくはやられた。その後、徐々に米音楽に関する知識を身に付けていったぼくは、さらにこの曲にハマった。バッファローの『カインド・ウーマン』という60年代末カントリー・ロックを全体の下地にしつつも、「空色」というヨーデルの部分では30年代のジミー・ロジャースにまですんなり触手をのばしていく貪欲かつ的確な視点と、それを軽々と演じこなしてしまっている力量と。今も昔も、ぼくは感服しまくりです。


田家秀樹

 1曲目の『抱きしめたい』大瀧詠一のスキャットとともに列車が遠ざかってゆくのと入れ違いに聞こえてくるのが、牧歌的なスチールギターが対照的な2曲目の『空いろのくれよん』だ。言葉遣いも一変する。「そっぽを向いた真昼の遊園地」「花模様のドレス」「とても綺麗すぎるんで透き徹った冬に帰ってしまう画用紙のなかのきみ」。まるで水彩画のようなメルヘンと、ブランコのように揺れるおもて通りというシュールさの対比。そして、「ぼくはきっと風邪をひいてるんです」という一見唐突なはにかんだようなつぶやきの現実性と親近感。さらに、大瀧詠一の「そららら~いろろろ~」と歌う日本語のヨーデル。それらがたゆたうようなスチールギターの音色とともに空に溶けてゆく。それはいかめしいカウボーイハットの男たちが奏でるアメリカのカントリーミュージックとは全く違う詩情豊かな日本語の音楽だった。


鈴木茂

 この曲はペダル・スティールが素敵なカントリー・ワルツだけれど、僕は参加してないんだよね。やっぱり、コマコ(駒沢裕城)のぺダル・スティールが絶品だよ。コマコはこの曲が初めての本格的なレコーディングだったというのが凄いね。ゲストの奏者を呼ぶことになって、最初は僕、はずされちゃったんだろうっていう気持ちがないわけじゃなかったけど(笑)演奏を聴いた時はこのスティールは絶対に僕には出せない音だと納得した。だから間違いありません。あなたの制作は正しいですって言いたいね、大瀧さんに。1曲目の『抱きしめたい』ではゆでめんの世界観がまだ残っている感じだったが、この『空いろのくれよん』は完全に違う次元へ突き抜けている。ギター、ドラム、ベースのロックっていうフォーマットに囚われてないよね。自分のメロディ・センスを生かせるプロダクションっていうか、そこに関心が行っている感じ。つまり大瀧さんが好きな古き良きカントリー・ミュージックの世界、そこを一番素直に出した曲だと思う。今聴いても良い曲だよね。素晴らしいメロディですよ。

 

 

萩原健太

 

 1曲目の『抱きしめたい』を聞き、こりゃすげえや…と胸を高鳴らせて聞き進めていくと、その高鳴りは2曲目でさらなるピークを形成した。『空色のくれよん』。鈴木茂は不参加で、代わりにペダル・スティール・ギターの駒沢裕城が全面的にフィーチャーされていた。ビートルズのホワイト・アルバムやクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングの『デジャ・ヴ』同様、『風街ろまん』も曲ごとに作者を中心にそれぞれ自由な顔ぶれのセッションを組む形でレコーディングされているのだが、このあたりの方法論も新鮮だった。メンバー全員が参加していなくてもバンドはバンドなのだという柔軟な主張が感じられた。『「空色のくれよん』はバッファロー・スプリングフィールドの『カインド・ウーマン』に触発されたと思われるカントリー・ワルツ。繰り返しになるが、ぼくはこの曲に初めて出会ったころ、まだバッファロー・スプリンタフィールドなど実際に聞いたこともなかったのだが、そんなぼくの耳にも、淡々としたサウンドのたたずまいや、歌詞の切なさを絶妙にふくらませるヴォーカルは実に魅力的に届いた。当時の駒沢の志向性からか、どことなくグレイトフル・デッドふうの肌触りが伝わってくるのも面白い。低域と高域を絶妙に行き来する細野のベース・ラインも見事だ。そうした楽器群を的確に配しつつ淡々と構築した音像と、当時の松本ならではの青く切ない歌詞と、歌詞の響きをより豊かにふくらませる大瀧の歌唱と…。すべてが完璧に噛み合っていた。その後、徐々にアメリカ音楽に関する知識を身に付けていったぼくは、そのつど、さらに深くこの曲にはまっていった。全体の下地になっているのは60年代末のカントリー・ロックながら、「空色」という歌詞を歌う部分で大瀧は20~30年代に活躍したカントリーの祖、ジミー・ロジャースのブルー・ヨーデルと称される歌唱法を披露する。雄大な時間軸を旅しながらの折衷感覚。貪欲かつ的確な視点。そのコンセプトを軽々と演じこなしてしまう力量。今も昔も、ぼくはこの曲に感服しっぱなしだ。なにせヨーデルなのだ。日本ではふざけてコミカルに歌われることも多い歌唱法。にもかかわらず、大瀧詠一は「空色」という言葉の響きを。「そららろ~い~、いろろろ~お~、ろろろろ~」と解体しながら、表声と裏声を行ったり来たりさせて、聞く者の胸をしめつけてみせるのだ。一歩間違えばコミックーソングになりそうなところを、絶妙にコントロールして、珠玉の日本語カントリー・ロックへと昇華させていた。ぼくは『抱きしめたい』と『空いろのくれよん』の冒頭2曲で、一気に『風街ろまん』のトリコになった。
 


細馬宏通

 この曲はカントリー調のヨーデル唱法を活かした佳曲で、大瀧詠一の歌唱力がふんだんに味わえる。そして何よりも「ですます」と「ん」の魅力にあふれている。「きみを描いたんです」のように、『抱きしめたい』に見られたのと同じやり方によって「んです」を「んでぇっSSU」と響かせる表現もあるが、この曲はさらに多様な「ん」であふれている。秘密は他ならぬ、ヨーデルにある。ヨーデルの特徴は「ヨルレイヒー」の「イ」で裏返る唐突な裏声に求められることが多い。

 が、それだけではない。ヨーデルには「ルレ」に見られるようなRの音を転がす特徴、そして「イヒー」に見られるようなH音の埋め込みによって拍や音程を複雑にする特徴もある。この曲の「ん」にはまさに、ヨーデル唱法によってこのH音があちこちに埋め込まれている。しかもただ口から吐かれるHではない。「入りきらないんです」ということばを歌うとき、大瀧詠一は口からではなく鼻から息を抜きながらH音を出し直後に「ん」と歌うことによって、「ん」をただの鼻母音ではなく、子音十母音として響かせる。頭にHのアタックを伴ったこの「ん」は、まるで独立の資格を得たように長く漂い、一方、続く「です」はあっさりと切り上げられる。

 曲が後半に入ると、絵に描いた世界は脆く不安定になり、消えそうになる。そこで唱えられる「揺れるんです」「帰ってしまうんです」は、「ん」の直前で「る」や「う」が延ばされ、まさしく消えて見えなくなったかと思えるところで「んです」と持ち直す。ここで、「ん」から始まるにもかかわらず「んです」がはっきりとした音像を持ちうるのは、大瀧詠一の鼻母音が豊かな倍音を伴っているからだろう。

 しかし「ん」がさらに鮮やかに響くのは、何といっても、歌の締めくくりである「風邪をひいてるんです」の部分だろう。なぜなら、ここでは、音程がぐっと高まるだけでなく、ヨーデルの特徴であるR音のそばに、「ん」の直前のH音が添えられているからだ。感情は高まり、RとHを得た「ん」は引き延ばされ、歌は日本語から離陸していく。そらるろい~、ひろろろほ~。「そらいろ」のあちこちでRが接し合い、H音が挟み込まれるので、ことばはそらいろのヨーデルと化してしまうのである。

 

 

 

 

風をあつめて

 

 

ヒロ宗和

 これそ名曲中の名曲。ファースト・アルバム時に没になった同名曲からタイトルだけを残し、生まれ変わった作品。松本隆が晴海埠頭の突端を原風景にして書き上げた詞から想起される際限のないイメージのコラージュ。詞だけではなく、プレイヤーとしても彼の「歌っているドラムス」が堪能できる。細野晴臣がアメリカのシンガー・ソングライター、ジェームズ・テイラーにインスパイアされて、ソングライティングとヴォーカル・スタイルの両方に開眼した日本のロックの記念碑。アコースティック・サウンドに絡むオルガンの使い方も絶妙。


松本隆

 はっぴいえんどの代表作になった『風をあつめて』という曲のレコーディングは、細野晴臣は直前まで床にぼくの詞を広げ、スタジオの廊下の壁にもたれて、アコースティックーギターを弾いていた。「どんな曲。ちょっと聴かせてよ」と訊くと、「まだ、未完成なんだ。ちょっと待ってて」とうつむいたまま答えた。歴史に残ると言われているあの名曲は、だったの数分で出来た曲だった。


田家秀樹

 何といっても3曲目の『風をあつめて』である。「風」という言葉とも相まって、アルバム『風街ろまん』の代名詞のようにもなった曲だ。「海を渡る露面電車」「防波堤ごしに碇泊している緋色の帆を掲げた都市」、そして「ひび割れた玻璃ごしに見た舗道をひたす摩天楼の衣擦れ」。歌詞とは到底思えない漢字の世界。普段は使われることもない言葉が違和感なく歌われている。誰も見たことのないそんな情景がベースとドラムの響きの中に浮かび上かってくる。それは音楽が綴る幻の写真のようだった。「ぼく」は、どこにも存在しない都市の記憶の中を風とともにさ迷っている旅人のようだ。


松本隆

 現実をそのまま忠実に写実するのではなく、いちど全部因数分解するの。体験した出来事、景色、色、匂い、手触り、すべてをバラバラの因数にする。そして、それらの因数を心の中でもう1回自分流に再構築する。すると、自分の体験がよりリアルな体験になる。そうやってできたのが『風をあつめて』なんだと思う。だから。「緋色の帆」というのは、おそらくスモッグに朝日が反射して空が緋色になったんだと思うけど、それを「緋色の帆を掲げた都市」ということで、とてもロマンチックに見えるし、よりリアルに感じるんだよね。

 とにかく、自分で詞を書き始めて、いちばん注意したのは、「平面的にならないようにしよう」ということ。人間の心って、二次元じゃなくて三次元でしよ。光が当たる部分もあれば闇もあるわけだから。平面的な言葉の比喩は、言葉遊びでしかなく、それは素敵なパズルにしかならない。でも、詞っていうのは、もっと泥臭いものだと僕は思う。泥臭くて、リアル。そして、歌ってること。やっぱり多くの人の心を打つ言葉には、音感があることも重要なんです。

 「詩は詞」であるということだね。その逆も真で。紙の上だけに存在するんじゃなく、もっと肉体を通過している言葉でなくてはいけない。これははっぴいえんどのときに強く思ったことだけど、「言葉の中に音楽が内包される」と。例えば、松尾芭蕉の俳句にはものすごく音の快感があるでしよ、「古池や」とか「岩にしみいる」とか。だから、結果として、最初は言葉が難しいと言われた『風をあつめて』がエヴァーグリーンになり得たのもそこだと思うんだ。


前田エマ

 曲との出会いは高校時代に名画座で観た一本の映画でした。『おと・な・り』という映画の劇中歌で岡田准一さんと麻生久美子さんが壁越しに『風をあつめて』を歌うんです。最初に聴いた時にはリズムが不安定でお経みたいな曲だなという印象。歌詞が全然聴き取れなくて、日本語を聴いているとは思えなかった。でもなんだか気になって見事にハマってしまいました。「好き」とか「愛してる」なんて言葉は使わず、そこにある風景を描くことで感情が伝わる。松本隆さんの書く言葉は、まるで一枚の写真のようで、曲は写真集みたい。さまざまな風景が淡々と続いていって、最後は一つの物語になってる。松本さんの歌詞を聴く時の気持ちよさは、写真集をめくる心地よさに似ているような気がします。


鈴木茂

 この曲には僕は参加せず、ほとんど細野さんのソロ楽曲と言ってもいい。これが名曲たる理由はなんというか、細野さんってとにかく音楽の輻が広い人だから、いろんな世界観を作る力を持ってるの。その中で『風をあつめて』は、細野さんのそういった引き出しの中から一番良いというか、多くの人に響きやすいものを引っ張り出して作り上げたっていうか。やっぱり、細野さんの代表曲だと僕は思う。コード・ワーク、メロディ、サウンドの世界観も、細野さんの一番素敵な部分が詰め込まれてるよ。ジェイムス・テイラー的な感じというかね。はっぴいえんど時代におけるあの人の魅力のひとつに、生ギターを使った世界観っていうのがあるんですよ。で、その世界をまとめ上げるには、むしろ僕はいないほうが上手くいったんだと思う、だから、これも細野さんは間違ってなかったねって話(笑)。あと、僕が呼ばれなかったのは、ギリギリまで曲ができなくてレコーディングに呼ぶ時間がなかったこともある。合歓の郷(三重県)で『風街ろまん』のリハ一サル合宿をしたんだけど、この曲はまったく存在してなかったから。だから、細野さんが自分で生ギターをもう1本重ねてるんだよね。フィンガーピッキングはあの人ならではの強みで、僕も大瀧さんもかなわない腕前を持っていたから。


細馬宏通

 細野晴臣の作曲による『風をあつめて』と『夏なんです』は、同じ「ですます」調を用いながら大瀧詠一の曲とはまったく対照的だ。細野晴臣が「んです」と歌うとき、「ん」は、独立した音韻のありかとしてではなく、むしろ先行する高まりを鎮めるように響く。たとえば『夏なんです』では、太陽や夏の輝かしさとは対照的に、「んです」は平坦に低く歌われる。こちらが鎮まり退屈するほどに、世界は自らの力で回り出す。

 『風をあつめて』にも同じ響きがきこえる。「見えたんです」「見たんです」は、愚直なまでに同じ音程で歌われ、「ん」は直前の短い「た」を鎮めるように一片の装飾も纏わずに響く。平坦につぶやくことによって、まるで法廷での証言のような確かさで、起き抜けの路面電車や緋色の帆を掲げた都市を浮かび上がらせる。目撃者たる語り手は、歌の後半で「風」「蒼空」「翔けたい」ということばを用いながら、飛翔を目指している。ライド・シンバルが涼やかに鳴り、空は近づいている。

 しかし、「翔けたい」という希望を感じさせることばは、上昇の途中で「たいん」と平たく失速し、そのまま「です」と落ちていく。風は上空で舞っており、証言するこの身体は空にあこがれながら背伸びした路次につながれている。松本隆のノートでは、歌はここで終わっているけれど、細野晴臣はこのあと「蒼空を」ともう一度つぶやく。「んです」で鎮められた「蒼空」が再び招かれることで、歌にはぽかりとした風の空間が生じる。身体はその空間を見上げているようでもあり、そこに身を預けているようでもある。ライドが鳴っている。


門間雄介

 『風をあつめて』のレコーディングの際には、大瀧と鈴木のふたりが不在で、細野と松本だけがスタジオに入った。この曲では松本がドラムを叩き、それ以外のすべての楽器、アコースティック・ギターとベースとオルガンを細野が弾いている。そして細野が歌った。大瀧と鈴木がスタジオに来なかったのは、曲がまだできていなかったため、細野が彼らに声を掛けなかったからだ。細野はスタジオにやってきたときにもまだ、メロディを完成させていなかった。『風をあつめて』は『はっぴいえんど』のときに録音しながら、あとになって収録曲からはずした『手紙』がもとになっている。

 松本は『手紙』の詞をあらためるとき、渋谷のマックスロードのトイレに落書きされていた詩に強いインスピレーションを受けた。「てふてふが一匹 韃靼海峡を渡って行った」。それは「春」と題された、詩人の安西冬衛による詩だった。スタジオに入ってしばらくしても、細野のメロディは生まれなかった。待ちくたびれたスタッフに促されるようにして、細野はまず自身のアコースティック・ギターと松本のドラムを録音した。それからベースを録音した。続けてオルガンも入れたが、それは単に時間稼ぎだった、と細野は話している。コード進行はできていた。問題はメロディだった。

 細野のメロディが誕生した瞬間のことを、松本はNHKの番組でこう証言している。「いまでもはっきり覚えてるんだけど、壁のところにもたれて、しゃがんで立膝でさ、生ギターを持って、『松本ちょっと聴いてくれ、曲がついたから』って。これから録音するのに悠長な話だなと思いながらさ(笑)。(中略)聴いたら、めちゃくちゃいい曲だった」。

 その普遍的なメロディが生まれたのは殺風景なスタジオの廊下だった。細野は一節ずつ歌い、それを吉野が録音して、パンチイン・パンチアウトのかたちでつないでいった。その場で慌てて作ったので、本来のメロディとは異なるまま残ってしまったフレーズがあった。「起きぬけの~」と歌うメロディは、本当なら「起きぬ」までGをキープして、「け」でFに一音下がらなければいけなかったのだが、「ぬ」のときすでにFに下がってしまっている。けれども時間がなかったのでそのままにした。1971年9月6日、『風をあつめて』が完成した。


松本隆

 京都に日本料理の修業に来ていたデンマーク人の女の子と話していたら、知っている日本語の歌があると言って『風をあつめて』を歌ってくれた。彼女が日本語で歌っているのを見て、「日本語ロック論争」の50年越しの勝利を実感した。

 YouTubeには、アメリカ、エクアドル、アルゼンチン、スペイン、タイなど、様々な国の人たちが、『風にあつめて』を日本語のまま歌っている動画が投稿されているし、YouTubeの上のはっぴいえんどの音楽には英語はもとより各国語の感想があふれている。ソフィア・コッポラが監督した映画『ロスト・イン・トランスレーション』(2003年)のエンディングテーマの候補は、他に5~6曲あったそうだが、その中からソフィア自身が『風をあつめて』を選んだ。海外でも日本語のまま歌ってくれる人がいるのはこの映画の影響が大きい。

 大学生の頃、当時好きだったドアーズやモビー・グレープの曲を細野さんと英語でカバーした。どちらも1960年代後期に活動したアメリカ西海岸出身のサイケデリック・ロックのバンドだ。そういう感じで、ぼくらの音楽を海外で聴いて覚えて真似している学生がいることは面白いなと思う。細野さんがニューヨークでライブに出た時、演奏が終わって楽屋口に行くと、そこに集まっている人たちが、少数の日本人も日本人じゃないほとんどの人たちも全員が日本語がその日のセットリストになかった『風をあつめて』を歌っていたそうだ。嬉しかった。この曲の元になった歌は『手紙』というタイトルのつまらない詞だった。それを細野さんに渡してフォークっぽい曲がついた。録音はしたけれど結局ボツにしたのだが、細野さんは、「風をあつめて」というフレーズが気に入っていた。その詞をずっと持っていて、『風街ろまん』を作る時、昨日、ジェイムス・テイラーを聴いていて閃いたからと、その詞に新しい曲をつけてくれたのだ。そこから詞と曲を何度かキャッチボールして、最後は録音スタジオの廊下に彼がギターを持って立膝で座って、「松本、ちょっと聴いてくれるか」と。それが完成形だった。

 聴かされたばかりのその曲は傑作で、録音しようということになったのだが、その時まで曲ができていなかったから、その日は大瀧さんと茂には声をかけておらず、スタジオにいたのはふたりだけだった。ドラムは自分じゃできないからと、細野さんはぼくだけは呼んだのだそうだ。生ギターとドラムだけの録音になった。ものすごくやりにくかった。その音源に垂ねて細野さんが自分でベースを入れて、間奏のオルガンも入れた。それがぼくの最高峰と言われている歌になった。二十歳で作った。二十歳で最高傑作を作ってしまうと、残りの人生たいへんです。

 はっぴいえんどを始めた時、日本語でロックを歌うこと、が批判される動きもあったけれど、ぼくは意に介さなかった。自分が表現したいことを伝えるためには母国語がいちばんだと思ったし、母国語でなければ伝わらないと思った。ロックに日本語は乗らないことの理由が方法論の問題なら、いくらでもアイデアがあった。いくら英語でカッコいい歌詞を書いたとしても、それは他の国の人たちが使うことばで、自分の財産にはならない。一方通行な作業に思えた。

 その頃、日本語の歌詞が海外の人に受け入れられることまでは想像できなかったが、面白いものができる確信があった。『風をあつめて』は、売ろうという意図を持って誰かが世界的なマーケティングを仕掛けたということではなく、自然な流れで世界中に日本語のまま受け入れられた。インターネットを通じて、海外でも日本語の歌が受け入れられる時代になった。『風をあつめて』は、日本語のまま海外で受け入れられる歌の先駆けになったと思う。

 浜松町の世界貿易センタービルが建ったばかりの1970年頃、そのすぐそばに、近代的なビルに似合わない古い裹路地、があった。そのイメージからあの詞が生まれた。あの時新しかったビルは、2021年には解体が始まるそうだ。それだけ長い時間が経過しているのに、今も歌い継がれているのは嬉しいことだ。歌を作った時には存在しなかった「海を渡る路面電車」は〈ゆりかもめ〉として実現し、高層ビルが立ち並ぶ今の東京は「摩天楼の衣擦れが舗道をひたす」のが見えるようだ。風は見えない。愛も命も優しさも、重要なものは見えない。重要であるほど目に見えない。水も重要だが、水は見える。だから風のほうが好きだ。見えないものは、存在しているのかどうかわからない。それが人間にとって重要なのだと思う。

 古今東西の哲学者も、愛とは何か、答えることができていない。海も河も雨も好きだけれど、水は、見えているのが残念だ。風も水も、変化することでその存在を感じることができる。風は動いているから風であって、止まってしまったら風ではない。動くことが人間にとって大事なのだと思う。風は、ある種の美意識であり、風を感じる心も美意識だ。感じるためにはテクニックが必要だし、そういう姿勢が重要だ。「風に吹かれて」は受け身だけれど、「集める」ことはとても能動的だ。実際の生活はどろどろしているものだけれど、人は皆、もっとさっぱりしたところへ行きたいと思っているはずで、風はそこへ人を運んでくれる。

 『風をあつめて』では、散歩の歌を作ろうと思った。田舎を散歩すれば、百人いたら百人が気持ちいいと思うだろうけど、都会だと、その景色のなかに吹く風を気持ちいいと感じる人は少ない。風を感じることができるのはひとつの才能だと思う。同じ景色を見ても何も思わない人、夕飯のことしか考えない人、明日の仕事のことしか考えない人もいる。でも、百人のうち二、三人は風を感じることができる。その二、三人に、ぼくはなりたい。その二、三人に訴えかけている。今日の風は気持ちよかったよ、今日の夕陽はきれいだったよ、と伝えたい。そういうことをはっぴいえんどの最初からやってきたつもりだ。その瞬間には二、三人でも、年月が経つうちに累積してだんだん増えていく。今、50年経つたから、すごい人数になっている。ぼくが生まれた東京の青山が特別なわけではなく、全国どこにでも風街はある。ぼくは今、神戸と京都を行ったり来たりして住んでいるが、両都市とも風街だと思っているし、いい風が吹く。


松本隆

 『風をあつめて』には深川あたりから東京を見ているイメージがあります。深川って、ぼくの祖父の親戚が住んでいたので縁がありました。お葬式があると、三味線を持った人たちが集まってくる、そんな東京の下町です。そのあたりの緩やかな坂の先に東京が見える。そういうイメージです。当時の東京は東京タワーがそびえているくらいで、たいした都会ではなかった。路面電車はもうなかったけれど、ビルといえば、浜松町にあった世界貿易センタービルと虎ノ門の霞が関ビル(当時、日本一の高さだった)くらい。摩天楼なんて姿形もない。池袋にサンシャインビルが建つのは、それから10年くらい経ってからのことです。いま『風をあつめて』を聴くと、東京湾や浜離宮のあたりが思い浮かぶかもしれません。ゆりかもめですか?と訊かれることもあります。でも、実際にゆりかもめが開通するのはずっとずっと先のこと。あの頃のぼくは未来の東京を幻視していたんだな、と思います。

 

 

 

 

暗闇坂むささび変化

 

ヒロ宗和

 原題は「ももんが」。個人の記憶の中だけに封印された、いにしえの東京伝説を描いた松本隆の傑作。もはや人々の記憶の中にしか存在しない「まぼろしの東京」をおばあちゃんから伝承された昔話「ももんが」に託して表現した。江戸川乱歩のあやかしの世界にも通じる東京オリンピック以前の、「文明に抹殺される前のもうひとつの東京」をフラット・マンドリンの調べに乗せて歌っている。この曲のコンセプトである「記憶の中にしか存在しない東京」がまさに「風街」なのである。


鈴木茂

 楽曲はカントリー調だけれど、大瀧さんの『空いろのくれよん』とはタイプが違う。細野さんも大瀧さんと同じくカントリーが好きなんだけど、細野さんはブルーグラスのあたりだよね。対する大瀧さんは、ハンク・ウィリアムズとかのカントリー歌手。だから、ちょっと世界観が違う。このへんも面白いよね。細野さんはプレイヤー的目線、大瀧さんはシンガー的な目線でカントリーに接してるってわけ。細野さんによるマンドリン・ソロは、やっぱりプレイヤーとしての才能が出てるよ。細野さんってもちろん、アーティストとして尊敬されている人だけど、僕としてはまず、優れた演奏者なのね。ベースはもちろん、生ギターやマンドリンの奏者として一流なの。


田家秀樹

 暗闇坂は、松本隆の実家がめった麻布から慶應の三田キャンパスに通う寄り道コースだったという実在の坂。江戸時代にはガマの妖怪も出たという言い伝えのある池もあるという一帯。近代化された東京が消し去ってしまった「闇」。歌の中に出てくる「ももんが」は、伊香保に住んでいた彼の祖母の「悪いことをすると、ももんががさらいにくるよ」という口癖から来たのだそうだ。

 

 

 

 

はいからはくち

 

ヒロ宗和

 最初にお囃子が入り、当時のCM『フジカラー・イズ・ビューティフル』のパロディである。「はいから・イズ・ビューティフル」というコメントが続き、鈴木茂のギターが唸りを上げるという凝った構成で始まるロックンロール。「はいからはくち」は「ハイカラ白痴」「肺から吐く血」「はいからな博士」などリスナーが様々なイメージを想起できるように考案されたタイトルだ。日本語を完璧にロック・ビートに乗せた名曲。


鈴木茂

 演奏のブレイク(0:49秒あたり)は茂さんの演奏でも屈指のカッコ良さを誇りますが、どうやってあのパートを編み出したんですか?と問われ、大瀧さんの中で、なんか印象的な部分が欲しいって思いがあったんだろうね。モビー・グレイプみたいなイメージかな……わかんないね。僕らってあんまり言葉でああしろ、こうしろっていうのは少なくて、ツーといえばカーの状態だったの。別に言葉の説明もなく、なんとなく共通でイメージしていたものを出せる状態だったんだ。『はいからはくち』という楽曲そのものの魅力は、まず、4人のプレイヤーとしての実力が一番発揮された曲じゃないかな。大瀧さんのサイド・ギターもカツコいいし、松本さんのドラム・ソロもクールでしよ?で、究極は細野さんのベースだね。ベース・ラインがさ、R&B的でグルーヴィーで。それが松本さんのドラムと絡むことでさらに華やかになっている。そのソウルフルな要素がミックスされているのが『はいからはくち』の魅力じゃないかな。ちなみにこの曲のシングル版はファズをかけたシャッフルのフィル・スペクター的な曲調、73年9月の解散ライブではファンク調など、いろんなアレンジになっている。だから大瀧さんはこの曲では遊んでたというか、音楽的なトライをしてたね。ライブのアレンジなんてさ、当日の楽屋で決めるんだよ。今日はこういう感じでやるからって(笑)。そのスリリングな感じを僕らは楽しんでいたけどね。


田家秀樹

 「はいから」と「はくち」。西洋化されたモダニズムの代名詞である「ハイカラ」と日本語の「肺から」。ドストエフスキーや坂口安吾の小説の題名にもある「白痴」を平仮名にすることで、結核を患っている人も少なくなかった戦後の作家を思わせる。「吐く血」という意味も持たせる。タイトルになっている「はいから」と「はくち」のそれぞれが二つの意味を持っている。

 つまり、今でこそ珍しくなくなったダブルミーニングである。ここまでの完成度を持ったそうした歌詞は、日本のポップスやロックで最初の例ではないだろうか。それだけではない。平仮名とカタカナのダブルミーニングに交じって使われている漢字がある。「裳裾をからげる」という日本的な動作表現、万葉の昔から歌の題材になっている。「女郎花」、そして、百人一首にもある在原業平の句。「からくれなゐに水くくるとは」でも知られている「唐紅」という言葉の刺激的な色彩感。音と文字。漢字を使うことで日本的な映像を浮き立たせる。

 ダメ押しになっているのが。「蜜柑色したひっぴー」だろう。1番と2番で使われている「血」という言葉の直接性に比べると曖昧な色。「ヒッピー」を平仮名表記にすることによる戯画化と批評性。そして、「ぼくは」と歌うことによって、自分のことをアメリカナイズされることで白痴化してしまった、肺から血を吐くような文学青年と自嘲しているようにも取れる。一つの歌の中に織り込まれた「アメリカと日本」。


松本隆

 ぼくがつくった「はいからはくち」という詞は、ちょうど70年から71年にかけて、フォークとかロックの野外コンサートが流行し、それにいやいや出演していたのがきっかけになり、はいからはくちという言葉が睨咀のように頭から離れないことがあった。ぼくはこの「は」で頭韻された奇妙な造語を舌の上で転がしながら、ひりひり刺すような感じを言葉にしたくて、こんな風に言葉を組み立ててみた。

 今にしてみればこの造語のフレーズがいつどんな風に、ぼくの日常にはさみこまれ、リフレインとなったのかは思い出せないが、思えば西洋渡来の、ROCKという表現方法をとらざるを得なかった自分に向けて、またそんな自分と同時代に呼吸しているであろう聴衆に向けて、何らかの決着をつきつけたいがために、こんなフレーズを施したのかもしれない。コカ・コーラに象徴される西洋を喉に流しこむぼくだが、何故、音に関することだけこんなこだわりを持ってしまうのだろうか。その問は当時も、そして演奏活動をやめてしまい作詞というスタッフ的な仕事をしている現在も、ぼくを悩ませることには変わりはない。どんな解答を用意したところで、不可解な少数点以下がざらざらと零れ出すのが関の山だ。

 ただひとつはっきりしているのは、ぼくにとっての「日本」や「西洋」は眼で見、手にとって触れるもののはずだ。子供の頃から英米のポピュラー・ミュージックがぼくの日常にしみついた音であり、今でも金を払って買うレコードは輸入盤に限られている。まだ学生だったころ、ぼくは新しい輸入盤を買い包装してあるセロファンを切り、中の紙袋の匂いをかぐのが好きだった。その匂いがぼくにとっての「アメリカ」だったからである。中学からつめこまれ続けたアルファベットの組み合わせは、ぼくの「アメリカ」とは無縁なものだった。そして渡米した時にやはりhouseが家と似ても似つかぬもののことやStreetが街路や路地じゃないことを確認した時、ぼくは事物や生活が言葉に裏張りされていることを知った。そこにぼくの「亜米利加」があろうはずもなく、英訳不可能なぼくの詞を手に持つたまま途方にくれたものだった。

 ぼくの部屋の片隅のレコード・ケースの中の三百枚余の「アメリカ」はぼくのたどってきた歴史の一側面であるし、それによって養われたある種の価値基準がぼくを動かしているとすれば、地図の右上をだだっぴろく占める大陸とは無縁に、ぼくは「はいからはくち」なのである。だがぼくは、詞を書くことを職業としながら、それら「アメリカ」の詞を殆んど訳さない。それらは音として耳にはいってくるだけである。ぼくは詞の書き方をアメリカから学びとりはしなかった。自分が生まれた時から使っていた言語で、しかも日常使っている言葉で書きたかったからである。同時に埃を被った死語にリズムをつけて息をふきかえさせるのも面白い試みだった。

 そんな風に詞を作りはじめたころ一番参考になったのは戦後の現代詩よりも大正詩人たちの作品だった。ぼくは日本回帰のことをウンヌンしてはいない。ぼくにとってアメリカ以上に日本は、「日本」らしくないからだ。日本の伝統の音というのはぼくに何の興味も抱かせなかった。そういう環境に育たなかったせいもあるだろうが、とにかくぼくの辿ってきた日常と、それらが交わる機会が無かったことは確かだ。ひけもしない和楽器をかきならして、ハリウッド映画の中の「日本」を自ら演ずる滑稽さのことを考えれば、まだ自分の住む、首都高速に貫ぬかれた街の灰色を基調色にした「日本」を見つけることの方が興味深い。

 ぼくの、鉄製のドアで閉ざされた部屋には畳は全くない。それでも充分に「日本」あるいは「日本」らしくない日本であり、この都市にいる限り、それらは別に眼をこらさずとも、そのへんにどろどろ転がっているはずなのだ。だから、あらたまって回帰なんぞする必要もないし、ぼくの見つけた「日本」や「亜米利加」がその原型と似ても似つかぬものでも、そんなにたいしたことではない。ぼくは味噌汁のなかにバターを入れて飲むほどの馬鹿じやないけれど、それでも正真正銘の「はいからはくち」である。

 

 

 

 

はいから・びゅーちふる

 

ヒロ宗和

 アナログ盤では風サイドにあたるA面と街サイドにあたるB面の間に位置する小品。そのせいか緊張感を解きほぐすようなハワイアン・サウンドが奏でられる『はいからはくち』のセルフパロディが楽しいひとときのインターミッション。なお、この曲のクレジットは、大瀧詠一がその後もたびたび使用することになる多羅尾伴内名義である。


鈴木茂

 『はいからはくち』のリプライスのような短いナンバー。大瀧さんの遊び心だよね。こういうブルース調の音楽は、中学生の時にジョン・リー・フッカーとかライトニン・ホプキンスとかを聴いていた。中学生の自分には渋すぎてあまり良さがわからなかったけど(笑)それで、この曲で初めてスライド・ギターを弾いたんだけども、スライド・バーもなくて、何か別のもので代用して弾いた記憶があるね。チューニングもレギュラーで。僕がスライド・ギターに目覚める前の演奏だから、ちょっと拙いね(笑)

 

 

 

 

夏なんです

ヒロ宗和

 ありし日の田舎の夏の風景が、眼の前に完璧に再現される名曲。松本隆の数ある詞の中でもイメージの喚起力という意味では、この詞に匹敵するものは少ないだろう。つげ義春の漫画『紅い花』の中で描かれた夏の日をそのまま音楽にしたような作品だ。モビー・グレープのアルバム『ワウ』の中の『He』のギター・フレーズを連想させる印象的なイントロも素晴らしい。細野晴臣も夏の陽ざしの中で、ゆっくりと流れていく静けさを表現したサウンドを提供している。夏の名曲だ。


鈴木茂

 詞がとても面白いよね。僕らが知ってる東京の夏のイメージというか、どこかジメっとしててさ。それで、曲はもう独特の細野ワールドというか。細野さんのコード・ワークつて9thが多くて、さらに3度の音を省略したりするんだよね。そうすると、なんとなく細野さんっぽい世界観に近づくの。僕のイントロ・フレーズはモビー・グレイプの『He』が下敷きになってるよ。で、ポイントは全部指で弾いていること。これでこの静かな曲調に合ったサウンドにしたね。途中のメロウなフレーズ(0:59~)は、歌みたいなメロディを心がけて弾いてるね。今でも僕のポリシーなんだけど、メロディを弾く時はね、あんまり音程が派手に上がったり下がらないようにしてるの。それが僕が弾くメロディは覚えやすいとか印象に残るって言ってもらえる理由かなと思うんだけども。……あと、こういう大人なフレーズを弾けるのは、自分を冷静に分析してお話するけど…僕ってあんまり、カテゴリーを固めないで演奏するんだよね。もろにブルース・ギタリストっぽくやるとか。ハードロック調の曲にわかりやすくハードロックなギターを弾くとか、そういうことはしない。ただただ、曲が時間と共に流れていくところに、寄り添って弾くの。まさに楽曲ありきで弾く、というタイプなんで、曲が良くないと全然良いギターが弾けないわけ(笑)。大瀧さんや細野さんと一緒じゃなかったら、このスタイルは成立しなかったかもしれないね。


松本隆

 うちのおやじとおふくろに田舎があるんです。おふくろの田舎ってのは群馬県の小さな温泉町なんです。で、夏になると、そんなところでひと夏を過ごしてたんです。だから夏の記憶ってのは、どういうわけか、山の中で。春、秋、冬の記愃ってのは東京なんですね。『夏なんです』のなかにあるんだけれど、今、そこに行ったとしても、やっぱりだめなんですよね。拒否されてるような気がしてね。そこもすでに東京化して来てしまったし、歓楽街のようなのが、ひどく俗悪になって来たし、その当時は遊び場で、旅館の中に勝手にはいって行って。客の来てない部屋にはいったりも出来たんです。お風呂も好きな時に好きな風呂にはいりに行ったりしてね。当時の遊び友達ってのが十人近くいるんですが、今はその人たちも、そこには全然いなくなってしまったんです。そこはもう歓楽温泉町になってしまってるから、そのへんが田舎に対して、こちらが拒否したり、あちらも拒否してるように思えるんです。『風街ろまん』というLPは全体がトータルなイメージとして、時の螺旋階段を駆けのぼりながら。幼年時代の記憶ってのを、振りかえるんじやなくて、先に進んで行ったらそこに戻ってしまったというところで創ってしまったんです。『風をあつめて』ってのは都市の中での夏であり、『夏なんです』ってのは田舎の中での夏なんですね。だから田舎の白い畦道で、奴らがビー玉はじいてる、の奴らってのは、おそらく自分自身で、幼年時代は自分自身が田舎にはいりこめていて、許容されていたのに、それを見ているのは現在旅行者としての自分でしかない。だいたいそんなような意識で書いたんですけれどもね。

 


 

 

 

 

花いちもんめ

 

 

ヒロ宗和

 細野、大瀧からの作曲指令を受けた鈴木茂の記念すべきデビュー作。『夏なんです』とともにアルバムからシングル・カットされた。鈴木の資質を反映してかポップで軽快なサウンドとなっている、この曲が完成されたことにより、はっぴいえんどは3人のソングライターを擁する音楽チームといった側面が強くなる。それはやがてバンドの結束よりもソロ活動の比重を強めるという結果をもたらすのである。この曲のサウンド・プロダクションにはドラマーとして林立夫が起用されている。


田家秀樹

 この曲は、蜃気楼のような幻の都市を出現させた『風をあつめて』の少年時代版とでもいおうか。東京に都電が走っていた頃の子供たちの原風景。路地裏には自転車に乗った紙芝居屋が姿を見せる。見終わった後の子供たちは、お話の主人公になったような気分で土埃を立てて走り回る。3番に登場する烟突は、見る場所によって本数が変わる、足立区にあった「お化け煙突」を歌っている、というのが定説だったように思う。松本隆は「はっぴいえんどBOX」でこう話していた。「教えようか。右手の煙突が細野さんで、左手の煙突が大瀧さんなの(笑)。解散直前で(笑)」。はっぴいえんどが「日本で最初のロックバンド」と言われるのは、四人四様の個性が生みだす創造的な緊張感にあった。演奏するだけではなく全員が作詞や作曲に関わっている。自分で書いた曲は自分で歌うという不文律もあった。バンドという形式を取りながらもシングル曲は外部の作家が書くことの多かったそれまでのGSのバンドとは天と地ほどの違いがある。彼が「みんな妙に怒りっぽいみたい」と書いたそうした関係性がどこに行きついたか。『花いちもんめ』は、松本隆が同じ「年下組」の鈴木茂を通して、「年長組」の二人をどう見ていたかを歌ったことになる。解散の予見。でも、当時この歌をそんなふうに聴いた人はいなかったのではないだろうか。ちなみにアルバム『HAPPY END』で彼が鈴木茂に書いた『氷雨月のスケッチ』にも、「ねえ もうやめようよ こんな淋しい話」という一節がある。『花いちもんめ』の例にならえば、この時のバンドの状態に対しての松本の気持ち、というようにも取れる。ダブルミーニングは『はいからはくち』だけではなかった。歌の世界として完結しつつ、そこにもう一つの個人的な事情や物語をしのぼせる。それはその後にも続く「作詞家・松本隆」の密かな楽しみだったのかもしれない。


鈴木茂

 それまでも遊びでは作ってはいたけれど、曲として完成させたのはやっぱり『花いちもんめ』が最初です。きっかけとしては、「お前も作れ」って言われたから。曲調としては、やっぱりプロコルハムだとかザ・バンドみたいな感じの影響が多分あったんだと思うんだけど。割とメロディ的にはプロコル・ハルムの影響って意外と強いんですよね。ヨーロッパ系の重いサウンドって意外と好きなんですよ。僕は。だから。プログレでもあんまり機械的なものとか早弾きのあるものは聴かないけども、そう嫌いじゃないですよ。


鈴木茂

 生まれて初めて作った曲だけれど、初めてのわりにはすんなり作れたと思う。ザ・バンドとかをよく聴いてた時期で、そのへんのイメージで曲を書いたね。サビ部分のコーラスはアレンジも大瀧さんに任せた。絶対に僕より良いコーラスを考えてくれるなと思って大瀧さん、ちょっとコーラスやってよって言ったら、わかったって。それで、何日かしてスタジオで「考えたら録るよ」と言って、聴いてみたら凄かったの。ぜひ耳を澄ませて聴いてほしいけど、毎コーラス違うんだよ(笑)一生懸命考えてくれたんだなと…もう頭が下がる、ホントに。あとは有名な話として、大瀧さんと細野さんの対立関係を暗喩した歌詞は、あとになって知った問題で僕は全然気がつかなかった。そんなの必ずバンドにはあるんだよ。

 

 

 

 

あしたてんきになあれ

 

 

ヒロ宗和

 細野晴臣の究極の裏技であるスモーキー・ロビンソンばりのファルセット・ヴォイスが聴ける唯一の作品。サウンドもドギモを抜くようなファンキー・ソウルで曲だけ聴いていれば洋楽のようだ。これに松本のシュールな観念詞がとけあって不思議な化学変化を起こしている。この曲などは当時より、今、再評価されるべき傑作だろう。吉野金次のミキシングもタイトな音像の構築に一役買っている。まさにハリー細野の名に相応しい先取りぶりを堪能できる作品。


山本精一

 はっぴえんどの曲で一番好きなのは、『あしたてんきになあれ』です。なぜなら、この曲こそ、はっぴえんどにしか絶対できない曲だからです。『風をあつめて』や、『はいからはくち』や『夏なんです』も好きですが、あ、もうひとつ言えば、『花いちもんめ』も好きですが、やはり『あしたてんきになあれ』がいいです。この曲はとてもファンキーで、いかにも細野さんで、後の、ティン・パン・アレーにも通じるような、怪しい雰囲気が有るんです。この怪しさこそ何ともはっぴいえんどっぽいんです。ファンキーなんですが、決して、「ファンク」という特定のジャンルを想起させない、彼らならではの強力なオリジナリティを感じます。このカンジは、当時他の日本のロック・バンドからは、得られないものでした。私にとって、はっぴいえんどは、特別な存在なんですが、それは彼らが、世界でも有数の「怪しいロック・バンド」だったからです。とても抽象的なバンドでした。


鈴木茂

 細野さんが裏声で歌ってるのは、スモーキー・ロビンソンのスタイルだね。この曲が面白いのは、ずばりカントリーとR&Bの融合。この曲って僕のギターはカントリーっぽい音と演奏だけど、ベースとドラムはR&Bのノリなんだよね。R&Bとカントリーってさ、黒人と白人の象徴と言える音楽じゃない?それが混ざると、もの凄く面白いの。1つの列車に色んな人種が乗ってワイワイやってるような楽しさっていうか。楽しさを感じる曲なんだよね。はっぴいえんどの音楽の魅力はこのミックス感にあるよ。そのミックスの仕方で個性を出す、という。そこを聴いてもらいたいって思いはあるね。


田家秀樹

 戦闘機、戦車、駆逐艦という言葉が1番から3番までにちりばめられている。戦闘機が墜ちてくる街、という言葉はあるものの、どこの空とも具体的には示されない。でも、70年に発売されて、歌詞がベトナムの街に雨のように落とされるナパーム弾を連想させるとアメリカで放送禁止になったクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルの『雨を見たかい』と重なりあう。日常の中の戦争。松本隆が石浦信三と見に行った新宿騒乱事件は、ベトナム戦争で使われる米軍の航空機用ジェット燃料輸送の反対運動に端を発したものだった。作詞から半世紀後、当時を振りかえった松本はこう語っている。「いい加減、戦争はうんざりだよね、っていうのは、あったかもしれない。でも、僕は反戦を主張するような人間ではないし、人間には闘争本能が備わっていると思ってるし。そういうことを全部ひっくるめてメルヘンにしちゃおう、という歌なのかな」

 

 

 

 

颱 風

 

 

ヒロ宗和

 布谷文夫のアルバム『悲しき夏バテ』のカヴァーでも有名な大瀧詠一得意のノベルティ・ソングの第一号。ただしサウンドは重厚でトニー・ジョー・ホワイトあたりを意識したアメリカの南部系に仕上げられている。この曲や『はいからびゅびゅーちふる』『愛餓を』のサウンド・プロダクションはすべて多羅尾伴内(大瀧の変名、七つの顔を持つ男にちなんで命名)が担当。徐々にメンバーのソロ志向が強くなっていくのである。曲の終わりで「なに?風速40メートル」と石原裕次郎もどきの台詞が聴けるのもご愛嬌。


鈴木茂

 これはジャム・セッション・ファンクといった趣が強い。僕たちは『風街ろまん』のちょっと前に、R&Bの直撃を受けてるの。相当慣れてたから。ともかく、はっぴいえんどにしては男っぽいというか、ワイルドさが出た曲だね。エンジニアの吉野金次さんの回想によれば、大瀧さんは「シラフじゃできねえ!」と言ってビールを飲んでいたような…とあるけれど、大瀧さん、お酒飲まないよ。でも、冗談でそういうことは言う可能性はあるね。実際にはたぶん、飲んでないと思うけど。

 

 

 

 

春らんまん

 

ヒロ宗和

 大瀧詠一が当時、凝っていたハンク・ウィリアムズやジミー・ロジャースなどのカントリー・サウンドを取り入れて作った。『空いろのくれよん』とはコインの裏・表のような関係の曲。あちらがソフトタッチ・ヨーデルなら、こちらはブルーグラス・バンジョーといった感じ。詞は『春よ来い』に対応しているようにきこえなくもない。この詞を解く鍵は松本隆の第二詞集『風のくわるてっと』の中の「へそ曲がりな春氏のこと」に隠されている。


鈴木茂

 どことなく無国籍で、不思議なタッチのフォーク・ナンバー。曲調としてはカントリー・フォークに仕上がってるよね。個人的にはなぜか時代劇の町並みが浮かんでくるんだよ(笑)川越のあたりの、小江戸みたいな。そういう不思議なムードはあるよ。僕のギターは指弾きでカントリー・ライクに弾いている。

 

 

 

 

愛飢を

 

 

ヒロ宗和

 大瀧詠一がヴァレンタイン・ブルー時代からレパートリーにしていた作品。もともと三番まであり、二番では「あかさたな」と横にいき、三番では「いろはに」となっていた。この曲は黒木和雄監督のATG映画『日本の悪霊』の中でも岡林信康の楽曲とともに使用された。また大瀧のソロ・デビュー・シングル『恋の汽車ポッポ』は当初、『愛餓を』のアンサー・ソングである『伊呂波(いろは)』になるはずだったが、松本隆の「それじゃ売れないよ」の一言で撤回された。


鈴木茂

 最後の曲は、50音にメロディをつけた大瀧さんの弾き語り曲で、実にユーモラス。これ、僕が入る前のヴァレンタイン・ブルー時代からあった曲らしいよ。日本語のロックに挑んでいた僕たちならではの曲だよね。ギターは大瀧さんが爪弾いていると思う。


細馬宏通

 アルバム『風街ろまん』の最後は、『愛餓を』でしめくくられる。ただ「あいうえお」にメロディを付けただけのことばあそびうたのようだけれど、わたしは最後の「ん」が付け足されるのをきくたびに、思わぬ方向にはぐらかされたような、不思議な気分になる。それは、歌の末尾が、ふだん単独で放たれることのない「ん」で終わっているから、だけではないだろう。この歌では、どの音にも一つの音程が割り当てられ、楽音のごとく律儀にそれぞれの音が唱えられ続ける。ところが、最後の「ん」だけは、そうではない。大瀧詠一は、この短い「ん」に、少しく上昇してさっと下降する、山鳴りのイントネーションを埋め込んでいる。とても素速く飛び降りるその声は、直前までの歌声とは全く異質なので、まるで音楽から離れて誰かに返事でもしているかのようにきこえる。彼はあれだけ多彩な「ん」を繰り出しながらなお、こんな普段着の「ん」を最後までとっていたのだ。そして、わたしは突然あることに気づいて、じんとくる。このアルバムの最初に置かれた歌もまた、「あ」で始まり「ん」で終わっている。

 

 

 

 

『解説をあつめて』2
はっぴいえんど全曲解説集

『風街ろまん』編