『解説をあつめて』2 はっぴいえんど全曲解説集『HAPPY END』編 | Kou

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音楽雑感と読書感想を主に、初老の日々に徒然に。
ブログタイトル『氷雨月のスケッチ』は、はっぴいえんどの同名曲から拝借しました。


 

 

風来坊

 

ヒロ宗和

 歌詞もメロディも細野晴臣が子供の頃に口ずさんでいたというディズニーの『三匹の子豚』をベースにした、ハリウッド経由のエキゾチックな名作。。「風来坊」という漢字3文字が英語のようにスムーズにサウンドと溶け込み、飄々とした歌い回しにホーンの音色が交じり合う。喪失感や倦怠感の波が押し寄せた70年代を何にもわずらわされることなく風来坊のように淡々と生きていこうというメッセージは、むしろ今、リアルに響く。小坂忠や矢野顕子、真心ブラザーズ、森高干里などのカヴァーを生んだ細野クラシックス。


鈴木茂

 トランペットが響きわたる穏やかなナンバーで、細野さんのポップな部分が出た曲だね。上質なポップ・ロックを思わせる。これ、メロディは「狼なんか怖くない」(『三匹のこぶた』の挿入歌)のオマージュだって話は有名だよね。細野さんって、アメリカの音楽だけじゃなくて文化そのものの影響が強い人だと思うんだ。それで、歌詞は細野さん自身が書いてるけど、風来坊のことを歌うっていうよりは「風来坊」っていう響きを音楽的にとらえているのが面白い。こういうところからも、細野さんがどれだけ実験をしていたかが伝わるね。

 

 

 

 

氷雨月のスケッチ

 

 

ヒロ宗和

 はっぴいえんどの「ジョージ・ハリスン」、遅れて来た天才作曲家、鈴木茂の名作。実際にポップで素晴らしいメロディの数々を提供し、このアルバムのイニシアティヴを握っているのは鈴木茂である。この曲も感情を押し殺したような控えめなギター・プレイが、男女の微妙な心の襞を見事に描き出している。松本/鈴木という微熱少年コンビが後の傑作アルバム『バンドワゴン』への布石を打ったバラードの佳曲。


鈴木茂

 僕の曲の中では唯一マイナー調のナンバー。着想はラスカルズの『Icy Water』かな。ゆでめんの時には見られないソウル的なアプローチで、僕の関心はロックよりはR&Bに行ってたから。ロサンゼルスで録ってるのに、妙に湿気があるというかね。歌詞の世界に寄せて音作りした意識はあんまりないんだけと……マイナーでロックを書くって、凄く面白いんだよね。自分なりにそこを挑戦してみたかった曲でもあるかな。


鈴木慶一

 はっぴいえんどのベスト1というお題・・・。むずかしいですねえ……よし、どこの派閥(細野派・大瀧派)にも触れないように、鈴木茂の曲『氷雨月のスケッチ』を選ぼう。当時アメリカ録音っていうのは非常に珍しいことだったから。で、見事に乾いた音になってるわけだけれども、この曲は哀愁があった。マイナーの曲で「ねえ もう やめようよ こんな さみしい話」って、いまでも出ますよ、鼻歌で。ギターの音もいいんです、非常に。茂の場合、1枚目は作曲してないでしよ。2枚目に1曲。だから、曲を作り出した感じの初々しさがあるってことだね。

 

 

 

 

明日あたりはきっと春

 

ヒロ宗和

 『春よ来い』『春らんまん』に続き、アルバム毎のお約束である「春」シリーズ第3弾。松本隆はよほど「春」と「風」いうワードがお気に入りとみえて、第一詩集の「風のくわるてっと」にも「春」という言葉が頻繁に出てくる。なにしろ、あのプロコル・ハルムも松本にかかっては。「プロコル春夢」なのだから…。トム・スコットのサックスをフィーチャーしたこの曲、春の到来を告げるような淡いジャズ・フレーヴァーが漂うサウンドで、その感触はLA産のはっぴいえんどだ。


鈴木茂

 アルバム中でも屈指の甘いポップ・ソングだと言われているけれど、僕の声質って『バンドワゴン』みたいなロック・サウンドで張り上げるよりも、こういうミディアムなポップスのほうが合ってるかもね(笑)。あまりにも楽曲が良すぎて、大瀧さんがパクリ疑惑を持ちかけてきた(笑)。バード・バカラックの『Alfie』にそっくりだって言うわけ。歌い出しがちょっと似ているだけで、僕はその曲を知らなかったから、濡れ衣なんだけどね。この曲でサックスを吹いているトム・スコットにも話しかけてたよ。これ『Alfie』に似てないか?って(笑)。それでさ、細野さんが仲裁に入って、なんて言ったかというと、「茂はジミヘンしか聴いてない人間だから、バカラックなんか知らないよって(笑)。本当、おかしいよね。そういうやり取りにユーモアがあるの。結局、無罪放免になったよ。この楽曲に対する思い入れはもちろん強いよ。イントロのコーラスで、大瀧さんに裏声で歌ってもらうパートも自分で考えたんだけど、そこも気に入ってる。ギター的には。サックス・ソロに行く前(1:29~)のジャージィなフレーズがスウィートで、ソロへの橋渡し的な一節として、いい感じに弾けたと思う。あそこはなんとなく古き良きアメリカの洒落た感じをイメージしてみたね。この曲は、ティン・パン・アレーの2nd(『TIN PAN ALLEY2』/1977年)でインスト・カバーをやって、AORなアレンジに生まれ変わった。今思うとやっぱり歌があったほうがいいよ。僕ははっぴいえんどのバージョンが一番だと思う。

 

 

 

 

無風状態

 

ヒロ宗和

 細野晴臣のペンによる後期はっぴいえんどの傑作。当時、この曲の歌詞の一節である「奴はエイハブ気取って 海をひとかき」を聴いた大瀧詠一は、自分の慢心ぶりを揶揄されたと勘違いし落ち込んだという。しかし、そもそもこの曲は、新しい音楽の大海に、たった一隻の船に乗って立ち向かおうとする細野の不安と矜持が投影された心象風景を作品化したもので、詞はプロコル・ハルムの『ア・ソルティ・ドッグ』からのいただきである。どっしりとしたザ・バンドのようなサウンドにファンキーな鈴木のギターが絡み、新鮮な味わい。


鈴木茂

 細野さんらしい浮遊感のあるアコースティツク楽曲。独特の世界観だね。イントロのフレーズはね、細野さんから指定されて僕も弾いている。開放弦をうまく使ったフレーズで、凄く考えられているよね。

 

 

 

 

さよなら通り3番地

ヒロ宗和

 リトル・フィートのビル・ペイン(エレクトリック・ピアノ)とローウェル・ジョージ(スライド・ギター)を迎えて、鈴木茂のファンキーでポップな色彩を全面的に押し出したナンバー。後の鈴木のソロ・アルバム『バンドワゴン』に直結するサウンドだ。そもそもこのアルバムは、松木隆の方針によりメンバーのセルフ・プロデュースを強化し、それぞれのソロ・ワークのオムニバス集に仕上げるよう意図されたものだが、その試みが吉と出た例。鈴木茂は、このLAレコーディングによって確実に作曲センスが開花した。


鈴木茂

 この曲はギタリストの曲らしいリフものとよく言われる。なんとなく、ロビー・ロバートソン(ザ・バンド)とかのイメージかな。指弾きがポイントだね。あの頃、シカゴとか、ホーン・セクションを入れたバンドがけっこう出てきていて。で、彼らとはちょっとアプローチが違うんだけど、ホルンとかも入れた吹奏楽っぽい感じと言ったらいいのかな?。そういう世界観を出したいってガービー・ジョンソン(ブラス・アレンジ)にお願いしたら、もう見事にそういう感じにしてくれて。僕のリフとか細野さんのベースをなぞった感じが面白くて、これは上手くいったなと思ったのを覚えてるね。このアルバムの『氷雨月のスケッチ』、『明日あたりはきっと舂』とこの『さよなら通り3番地』は、曲調がどれも違っていて、このころだんだん作曲に慣れたきたのはある。だから。僕はもっともっとやりたかったなって思いがあった。

 

 

 

 

相合傘

 

 

ヒロ宗和

 「初めに言葉ありき」の人、細野晴臣がリズムに乗る「相合傘」という言葉を探してきて生み出したラヴ・ソング。もともと『HOSONO HOUSE』に用意していた曲で、突然、降ってわいたサード・アルバム制作に間に合わせるため、しぶしぶ提供した。その名残りか『HOSONO HOUSE』のラストにもインストで収録されている。生音だけにもかかわらず南部色の強いファンキーなサウンドに仕上げられている。矢野顕子も『いろはにこんぺいとう』でティン・パン・アレーをバックにカヴァーしている。


鈴木茂

 もとは『HOSONO HOUSE』のために用意していたという『相合傘』。僕は聴き取りにくいかもしれないけど、右チャンネルのギターを弾いている。楽曲としては『風街ろまん』の『あしたてんきになあれ』に近いサウンドだよね。カントリーなんだけどどこかファンキーで、細野さんの世界がどんどん深くなっているのを感じる曲ですよ。

 

 

 

 

田 舎 道

 

 

ヒロ宗和

 鈴木茂の軽快なギター・リフから始まり、ハンドクラッビング(手拍子)やヨーデル唄法など、大瀧詠一の得意技が随所に織り込まれたポップ・チューン。1972年10月22日、アルバムのレコーディング終了後、ロス在住の日系人向けテレビ局「KEMO」に出演したはっぴいえんどが、この曲を演奏した映像が残されているらしい。典型的なウエスト・コースト・サウンドで、ソロ・アルバムで完全燃焼した大瀧のわずかながらの燃え残りが、この一曲に凝縮されている。


湯浅学

 『田舎道」は軽快なカントリー・ロック風で、『あつさのせい』の続編的な感覚がある。イントロの流れるような鈴木のギターにしびれる。少し重めの細野ベースのドライヴ感もさすがだ。「マーマレード色のおてんとさま」の歌い出しで一気にイメージが広がる。静かな夏の暑い日を描いた『夏なんです』とは対称的に夏の解放感と躍動をスケッチして、鈴木茂『バンド・ワゴン』所収の『八月の匂い』に通じている。ビル・ペインのピアノが跳ねている。「駆け出したい田舎道」で夏の晴天、おどけながらいちゃいちやしている爽快感は、これまでのアルバムにはなかった風情。これは渡米効果だろうか。日本にはない乾いた空気が、音楽のむこうがわへの想像からではなく、実際に身を置いている場所そのものにある。スタジオの響き、楽器の鳴り、初めて体験する体感はやはり影響しただろう。


鈴木茂

 現地で作曲してたからね、この曲を大瀧さんは。イントロのフレーズは僕だね。大瀧さんのために何かいいフレーズを考えないといけないと思って、一生懸命考えたんだと思うよ(笑)。そのフレーズは、メロディというよりもリズムで聴かせるプレイだと思う。指弾きをした時のパキンパキンっていうアタック感を最大限に出すようなアプローチ。それと、細野さんのベースとの絡みが上手くいってるような気がするな。僕のカントリー・タッチと細野さんのブラック・ミュージックなプレイ、この相反する要素が自然と絡み合っている。

 

 

 

 

外はいい天気

 

 

ヒロ宗和

 このアルバムに先立ってファースト・ソロ・アルバム『大瀧詠一』を作り上げていたこともあり、2曲しか提供していない大瀧詠一の残りの一曲。『風街ろまん』の『空いろのくれよん』やファースト・ソロ・アルバムの『水彩画の街』の系列に位置するうららか路線の小品。このアルバムでの大瀧作品には、新しい試みは見られず、従来のサウンドを焼き直したモノを無難に披露しているような印象を受ける。それだけソロ・アルバムに消費されたエネルギーが膨大だったのだろう。このあたりのバランス・オブ・パワーが、メンバー間の不協和音を奏でたことは確かであろう。


本秀康


 僕らの世代は『ロンバケ』を入り口にして、大瀧さんのソロを聴きながらはっぴいえんどまで逆上っていくというパターンの人が多いと思うのですが、そんな僕らにとって、はっぴいえんどはキツかった。とにかく大名曲だという噂の『抱きしめたい』を期待いっぱいで初聴きした時など、勝手に爽やかメロディー・タイプだと決めつけていた僕は、あまりのドロ臭さに泣きそうになったものです。そんな中で『外はいい天気』は僕らをホッとさせてくれました。『ナイアガラ・カレンダー』で『青空のように』を発見した時のような安心感です。というように、「はっぴいえんど最高!」と言えるようになるまで相当時間がかかってしまったワケですが、大瀧さんが「Happy Endで始めよう」と唄っているのは、こうならないためのアドバイスなのかもしれません。


鈴木茂 

 こちらも大瀧さんが現地で書いた曲。本当に素晴らしい、大好きな楽曲だね。本当にその場で作った曲なのかな?と思うくらいでき上がってるよ。とにかく全員、初めてアメリカに行って、その刺激がこうさせたのか…みんな普段よりもアイディアが冴えてたし。感受性もかなり敏感になってたんだと思う。それで、この曲はのちの『ロング・バケーション』につながる世界だよね。歌唱スタイルがロンバケと同じ。それで、手前味噌だけど僕のギターもいいよね。後半のとこ(1:40~)。スライド・ギターのようなニュアンスで、とてもロマンチックな演奏だと思う。この曲に合ってるし、音色もフレーズも、とても良い。


湯浅学

 『外はいい天気』は、『田舎道』に続く晴天ソング。「部屋に差し込んでくる陽光」を「水いろ」と歌っているのは新鮮で、時間を逆流させると実はここにサイダーのイメージがあった、といえなくもない。部屋に二人(男と女)でいるという設定は『かくれんぼ』から続いているが、この曲は『それはぼくじゃないよ』の二人のその後のような気がする。元の詞は二行長かったのでここでは短縮してある。大瀧のソロ活動のステージで、この曲はよく歌われたが、そこでは全長版だった。『デビュー』に収録の『外はいい天気78』でそれが聴ける。うすぼんやりとした時間感覚を表現しているような、大瀧のこの曲の歌唱は母音が半分溶けている。この歌唱を小林克也は「坂本九っぽい」と指摘。それがヒットとなり『ナイアガラ・カレンダー』の『お正月』を歌う歌手名を「坂本八」としたという。

 

 

 

 

さよならアメリカさよならニッポン

 

ヒロ宗和

 はっぴいえんどの最後は、この曲しか考えられない。まさに出来すぎた傑作。アメリカも、日本も、飛び越えてボーダレスな唄の普遍性を追求しようとした松本隆は、レコーディングの当日、このフレーズを産み出し(なるべく簡単なフレーズを探した)、ヴァン・ダイク・パークスはミニマル・ミュージックの手法にのっとり、眩暈のするような立体的なサウンド絵巻を創りあげた。これぞ真のコラボレーション。アメリカでもなく、日本でもない、メイド・イン・はっぴいえんどなサウンドは、一番最後に生まれたという幸運。これが伝説だ。


鈴木茂

 この曲にはヴァン・ダイク・パークスが参加しているけれど、突然なんかスタジオを覗きに来たんだよね。で、おもしれえからピアノを弾くわ!みたいな感じで、未完だったこの曲を一緒に作っていったの。みんなで演奏しながら…面白かったなあ。急に立ち上がってさ、「第二次世界大戦は日本が悪いんだ」みたいなことを言い始めて。突然でピックリしたけど。そんなシーンも含めて楽しかった。実に実験精神に富んだ現場だったよ。細野さんや僕は、1972年に出た彼の『Discover America』にとてつもない影響を受けたの。その中に入っている『Be Careful』は特に衝撃的で、実にサイケデリックで実験的なストリングスが入ってるんだよね。アレンジしたのはカービー・ジョンソンたったから、僕の『バンド ワゴン』のレコーディングで再会した時にどうやったか聞いたよ。ヴァン・ダイクと彼が背中合わせに同時にアレンジして、両方レコーディングしたのを合わせたんだって言ってて、興奮したね。とにかくウネっていて。その実験的な姿勢が素晴らしいと思った。で、僕がリスペクトすることになるローウェル・ジョージがスライド・ギターを弾いているのは、ヴァン・ダイクとリズム・テイクを録り終えた後に彼が来たんだ。よし、でき上がった、思ったところに現われたの。「ギターをちょっと呼んでるから」ってことで。当時、リトル・フィートのことはそんなに詳しくなくて、ローウェル・ジョージのこともさほと意識してなかったから、僕は正直、なんで僕がいるのにギターを呼ぶんだ?この上に何を弾くんだろう?"なんて思った。そしたら、スライドを弾き出してさ(0:33~)…ああ、これは素晴らしいと(笑)。僕のギターを邪魔するわけでもなく、とても世界観が広がったよ。


湯浅学

 それにしても一番の驚きはヴァン・ダイク・パークスの登場だった。曲の形を模索している最中に突然スタジオに現われアレンジを買ってでたパークス。はっぴいえんどの面々は呆気にとられていたという。曲作りは一気にすすみ基本トラックに歌とコーラスも入れた状態で一行は帰国した。でき上がった盤を聴いてまたびっくり。聴いたことのない演奏がたんまりダビングされ、ヴォーカルはエフェクト処理され、とんでもなくダイナミックな音像の曲に仕上がっていたのだった。こうなるとは、誰も予想だにしなかった。聴くほうはそのような事情は当時知るよしもない。それがはっぴいえんどの惜別の曲になった。最後にすごいことをやるものだと、少々混乱しながら感心したものだった。アメリカにもニッポンにも別れを告げて、どこへ行くのか。「メキシコにでも行くのか」とローウェル・ジョージはこの曲を聴いて言ったという。最後の最後に圧倒的に簡素な言葉を繰り返すとは、この人たちはやはりただものではない、と改めて思い、この後をさらに追い続けようと強く思った。それはこの曲が終わるに終われないでいるように聴こえたからだ。ヴァン・ダイク・パークスが投げかけた「未知」と快い「不可解」は今もたいそう有効だと私には思える。


門間雄介

 はっぴいえんどの四人に強烈なインパクトを与えたのが、ロスのスタジオにふらりと現われ、「アイ ライク イット!その曲をアレンジさせろ!」と言いだし、彼らのスタジオ・セッションをアレンジしはしめたヴァン・ダイク・パークスである。パークスはビーチーボーイズの幻のアルバム『スマイル』をブライアン・ウィルソンとコラボレートし、自身の初のソロ・アルバム『ソング・サイクル』では古きよきアメリカ音楽の世界を多彩な楽器やSEを用いて再構築した、奇才中の奇才だ。彼のアレンジはまるで魔術のようだった。パークスはその場の思いつきでメンバー・に指示を出し、アクセントを加えながら、絵を描くようにして曲を仕上げていった。彼は「ハイハットを16ビートで打ちつづけろ」「合間を見てバスドラを入れろ」などの指示を次々に出した。彼のようなリズムや音の扱い方、あるいは立体的なアレンジの仕方を細野は見たことがなかった。それは言葉にすることのできない経験だった。細野はかつてバッファロー・スプリングフィールドを聴いたときに感じた、いつの間にか吸いよせられていく得体の知れない魅力、「サムシング・エルス」をそこに感じていた。もとはGとDのコード進行しかなかった二拍子の曲の断片が、パークスの魔術によってウェストコーストの音と香りを備えた『さよならアメリカ さよならニッポン』に昇華した。


田家秀樹 

 73年2月に出たはっぴいえんど3枚目のアルバム『HAPPY END』は、確かに今(2021年)聴いてもそれまでの2枚のアルバムの持っていたどこか鬱屈した息詰まるほどエネルギー感は薄れているように思える。これからどうなるかも見えない中で新しい一歩を踏み出そうとする悲壮感すら漂う1枚目と、4人の個性がぶつかりあう中で言葉と音がバンドの音楽として昇華してゆく奇跡的なマジックが生じた2枚目。僕らが『HAPPY END』に感じた共感は、そうしたアルバム全体が発散しているオーラというより、最後の曲が決定的だった。

 タイトルは『さよならアメリカさよならニッポン』。作詞はっぴいえんど、作曲はっぴいえんど & VAN DYKE PARKS。68年に1枚目のアルバム『ソング・サイクル』でアメリカの古き良き音楽をホップミュージックとして再生させ、注目を集めていたプロデューサー、シンガーソングライター、ヴァン・ダイク・パークスが偶然、スタジオに遊びに来たことで生まれた共作。彼がリズムを作り、メロディーを大瀧詠一と細野晴臣が考えて、松本隆がその場で歌詞を考えたという。瞬間芸の1曲だ。

 歌詞らしい歌詞はない。「さよならアメリカさよならニッポン バイバイバイバイ」という同じフレーズが繰り返されるだけの曲は、1973年という時代の僕らの心情を見事に言い切っていた。何度も思わず「僕ら」と書いてしまったのは、程度問題こそあれ、誰もが同じようなことを感じていたように思うからだ。誰もが味わっていた幻滅。僕らには戻るところがない。1枚目のアルバム『はっぴいえんど』のタイトル曲が象徴するように、一流大学から一流企業というそれまでの日本にあった「幸せ幻想」への幻滅。ロックアウトされた学校やことあるごとに意見が対立した家庭という日常生活の拠り所ももうない。ちなみに細野晴臣がバンド解散後に組んだセッション・ユニットの名前のキャラメル・ママは、東大闘争の時に、学生たちにキャラメルを配って冷静になるように呼びかけた毋親たちの過保護さを揶揄してメディアが使った言葉だった。

 音楽の世界で言えば、一世代上が刷り込まれた。軍歌や三味線や尺八などを使った民謡などの伝統的な日本には戻れない。それでいて物心ついた時から身の回りにあった憧れとしてのアメリカは、ベトナム戦争で失墜していた。ヒッピーたちのドラッグカルチャーはファッションとしては成立しても日本では市民権を持ちようがなかった。『さよならアメリカさよならニッポン』という言葉が全てを物語っていた。

 

 

 

 

『解説をあつめて』2
はっぴいえんど全曲解説集

『HAPPY END』編

 

 

 

 

『ライブ・はっぴいえんど 1973.9.21』編

へ続く