『解説をあつめて』2  はっぴいえんど全曲解説集『はっぴいえんど』編 | Kou

Kou

音楽雑感と読書感想を主に、初老の日々に徒然に。
ブログタイトル『氷雨月のスケッチ』は、はっぴいえんどの同名曲から拝借しました。

以下は、はっぴいえんど1stアルバム『はっぴいえんど』の楽曲解説集です。

続くページには、2nd『風街ろまん』、3rd『HAPPY END』、そして『ライブ・はっぴいえんど 1973.9.21』の解説をアップしています。

 

これらは、書籍・雑誌などからの引用文で構成しました。
三年前にも同様のものをアップしていて、今回は以降に入手した資料をもとにしています。
このところ相次いで出版された、細野晴臣氏ら、はっぴいえんどメンバーの評伝などからも取り入れました。

出版元および執筆者に深く感謝します。

 

ちなみに前回の記事については、何人もの方にツイッターでご紹介いただきました。

ありがたいことです。

またそれを、松本隆氏がリツイートしてくれたこともありました。

図らずも、はっぴいえんどによる公認をいただいた(?)と思っています。

 

自分はこの時季になると、『明日あたりはきっと春』を聴きたくなります。

みなさんにも、心にしみる歌があるはず。

おひとりでも多くのはっぴいえんどファンのお目にとまることを願っています。




引用資料
(引用の都合上、文意はそのままに、一部を改変している場合があります)

『松本隆 言葉の教室』延江浩著
『風街とデラシネ』 田家秀樹著
『エッセイ集 微熱少年』松本隆著
『松本隆のことばの力』藤田久美子インタビュー・編
『細野晴臣と彼らの時代』門間雄介著
『成層圏紳士』松本隆著
『大瀧詠一読本』
『ニッポンの音楽』佐々木敦著
『旅に唄あり』岡本おさみ著

『70年代シティポップクロニクル』萩原健太著

『定本はっぴいえんど』

『風都市伝説』

『エッジイな男 ムッシュかまやつ』サエキけんぞう 著

『ライブ・はっぴいえんど 1973.9.21』ライナーノーツ
ロック画報2000年6月25日号
BRUTUS「特集松本隆」2015年7月15日号
Guitar「鈴木茂とはっぴいえんど」 インタビューから構成
レコード・コレクターズ「特集 はっぴいえんど」2015年1月号

別冊ステレオサウンド「大瀧詠一読本」2017年3月号

 

 

 

 

 

 

 

春よ来い

 

 

 

ヒロ宗和

 『12月の雨の日』とともに、はっぴいえんどの方向性を決定づけた名曲。詞先行で1969年9月末日、松本隆が大瀧詠一の住む笹塚のアパートを訪れ一気に書き上げた。詞的には永島慎二の漫画、音楽的にはニール・ヤングのファースト・ソロ・アルバムに収録されている『ザ・ローナー』の影響を受けている。タイトルの通り、バンド生活の「春」を希求する焦燥感あふれるロックを展開。感情のかたまりのようなアグレッシヴなサウンドを獲得した。まさしく、ここから日本語のロックが産声をあげたのだ。


高田漣

 一年で最も好きなのがお正月。雑煮が好物で、元日は大好きな日本酒を解禁して、大好きな『春よ来い』を大音量で聴いて過ごします。リリースされたのは、ロックに日本語の歌詞を乗せることが当たり前でなかった時代。デビューアルバムの1曲目にして出だしが「お正月」って斬新すぎですよね(笑)。続く「ものです」の音節がすごく長くて。初めて聴いた時は衝撃的でした。松本さんの意図なのか、大瀧さんの歌い方なのか、そうした引っかかりがまさに、はっぴいえんどらしさ。歌留多のようなトラディショナルな言葉遣いと、当時最先端のサウンドが融合しているのも含め、音楽のいろんな楽しさを教えてもらいました。言葉が耳に残るロックって後にも先にも出てこないんじゃないかな。

 

 

小林慎一郎

 レコードに針を落とし、針先が音声信号トラックに汕り着くまでのスクラッチノイズだけの静寂。アナログ時代の絶対的恩恵であるその緊張と期待の瞬間を打ち破ってディストーションを眼一杯効かせた煽情的なギターがいきなり攻撃してくる。しかし、如何にもニューロック的な気配のそのイントロに続いて聴こえてくるのは「♪お正月と言えば~、炬燵を囲んでえ……」という拍子抜けするほど日常的で説明調の語り口。いっぽう、そのヴォーカルには盛大な屈折と頑強な意志とが明確に感じられ、総体としてかなりアンビバレントな世界を浴びたオーディエンスの胸中には感嘆と困惑とが入り乱れる。アルバム全体に通底するこの輻輳的な緊迫感は、4人の若者が抱く「時代を切り拓くんだ!」という強い使命感、そして激しいプレッシャーの顕れだろう。


田家秀樹

 この音楽は何だろう。1970年8月5日発売、はっぴいえんどのファーストアルバム『はっぴいえんど』を聴いた時の第一印象がこれだった。気持ち良かったとか衝撃を受けたというような簡単な言葉では表せない、当惑したような戸惑いがありつつも異質なものに触れたというのではなく、むしろその逆の感覚。何だろうと思いつつ親近感を感じている。少なくともそれまでに聴いてきたどんな音楽とも違う音と言葉がそこにあった。その最たるものがアルバムの1曲目『春よ来い』だった。

 低く跳ねながら地を這うようなドラムとそこに纏わりつくベース、神経が引き攣れるように絡み合ったギター。60年代後半に爆発的なブームとなったグループサウンズの鼻歌のような軽さではない。湿った曇り空のように鬱屈した内省感のあるイントロだけで一瞬身構えさせるだけのインパクトがあった。しかもその後に登場する言葉はこうだ。「お正月と云えば 炬燵を囲んで お雑煮を食べながら 歌留多をしていたものです」

 デビュー作にそのアーティストの本質が凝縮されているというのは音楽に限らず表現者にとっての普遍的な真理ではないだろうか。はっぴいえんどが「日本語ロックの元祖」といわれる所以がこの1曲にあると言っても過言ではないように思う。戦後25年。戦時中に禁止されていた欧米の音楽が解禁され、それに半ば追従することから始まった日本のポップミュージックに「炬燵」「お雑煮」「歌留多」などの伝統的な正月風景が歌われたことがあっただろうか。しかも曲や音は紛れもないロックだ。日本語でありながら。「も~の~お~で~す」という音の伸ばし方も耳慣れない新鮮なものがあった。

 さらに、「していた」という過去形にあるように、主人公は今もそんなのどかなお正月を過ごしているわけではない。今年は一人ぼっちで新年を迎えている。除夜の鐘が寂しすぎて耳を押さえている。家を飛び出してしまって家族団らんのお正月を迎えられなかった若者の歌。60年代の歌謡曲の定番になっていた望郷ソングは、高度成長の始まりとともに地方から「金の卵」として上京してきた集団就職に代表される若者たちの故郷を思う心情を歌っていたものだ。

 彼らとは違う形で家を飛び出た若者の歌。当時の言い方をすればドロップアウトということになる。自ら落ちこぼれる、道を外れるという意味がある。ドロップアウトはしたものの、どこかで間違えたかもしれないという後悔に似た苦い感傷。でも、人生の全てを賭けたのだからやってみるしかない。春に託したものが何であるのか説明は不要だろう。

 松本隆は、2018年のラジオ番組のインタビューでこう言っている。「これから日本語のロックをやってどういう形で世間に発表していくかという時に『お正月』と『炬燵』『ミカンとお雑煮』。全然かっこよくない(笑)。わざとそういう言葉を使ってる。発売は8月、真夏なのにですよ。僕、そういうみんなが望んでいるようなものと正反対を提示するんです。それが松本式の世間に対するメッセージみたいになってるんですね」

 「歌では家を飛び出しているけれど、書いている僕は全然飛び出てない。はっぴいえんどの時はまだ家族で暮らしてました。でも、僕の父は言ってみれば高級官僚なんて、バンドをやるということにはものすごく反対してましたし、殴られたこともありますから。そういうのを秤にかけながらはっぴいえんどをやってたんです。もし、どっちを選択するかと言われたら何度でも、100回でもはっぴいえんどの方を選ぶだろうと。サラリーマンになることは魅力的ではなかった」

 松本隆は大学を中退し、平穏な人生を捨てた。後に伝説となるバンドのデビューアルバム1曲目は、まさにそうした始まりを象徴する曲だった。


松本隆

 後づけでいうと、この詞は「お正月」「炬燵を囲んで」「お雑煮を食べながら」というように、「O」の頭韻を踏んでます。それで印象が丸っこくなっています。とげとげしさがないでしょう。当時はそういうことをとくに考えてなくて、自然に出てきた言葉でしたけど。「お正月」「炬燵」という言葉が持つ温かい響きに憧れながら、いまの自分の寒さにいたたまれなくなって、「春よ来い」と叫んでしまう詞です。


大瀧詠一

 僕の下宿で『12月の雨の日』の詞ができて松本くんが帰ったとき、もう1曲、詞だけ書いて置いていったんですよ。それが『春よ来い』。僕の読んでいた永島慎二のマンガを見てサッと書いたもので。難しかったね、この詞に曲を付けるのは。詞を見ると曲ができない。だから、詞を適当な英語の音韻に変えてインチキな歌詞をこしらえて、そっちを見ながら作った。そんなふうに作り始めたは良かったけど、後が大変。大サビを作るのがものすごく大変で、細野さんにも手助けしてもらいました。ただ、大サビの最後はぼくが強引に締めた。


大瀧詠一

 『春よ来い』は詞をもらってむずかしくて、どうやったら曲になるんだろう。みたいなことで、ものすごく悩んでてね。霞町のアマンドにいた時に。何の話だったかなあ。何か誰かのうわさ話をしてて、フッと思いついたんだなあ。みんなは話をしてるんだけど自分一人の世界に入っちゃって。それでこれは松本にもらったやつに合うんじゃないかなあ、とか思って、その詞を持って歩いてたから、あっ、これ合った、なんて、それでできたんだよ。


細馬宏通

 はっぴいえんどのファースト・アルバムの1曲目『春よ来い』を最初にきいた人はまず、異様なことばの粘りに驚かされる。始まりこそおめでたい「お正月」だが、直後には「といえば」と続く。この歌は、祝いの歌でも思い出を懐かしむ歌でもなく、「といえば」によってお正月を思い出すという、パフォーマンスなのだ。そしてこの思い出しは、思いがけなく長い。「炬燵を囲んで」「お雑煮を食べながら」と、言い切りを避けながら粘り、引き延ばされて、「歌留多をしていた」とようやく文の終わりにたどりつく。そして、衝撃はそのたどりついたと思った終わりの先にやってくる。「もおおお~、のお~お~、おおお~でえす~」。

 わたしは最初にきいたとき、何を歌っているのかまるでわからなかった。歌詞カードと首っ引きできいてようやく、それは「ものです」なのだと知ったが、歌声を何度きき直しても「ものです」を延ばしているとは思えなかった。実際、そこではことばがただの雑煮の餅のように引き延ばされているのではなく、「も」や「の」に付随しているはずの「お」という母音が独立の拍と音程を得て、颱風のように吹き荒れており、ようやく「です」にたどりつく頃にはお正月も炬燵もお雑煮も歌留多の札もみんなみんな吹き飛ばされているのだ。この仕業が極めて意図的であることは、後の「耳を塞いでました」が「まあああ~、ああ~あ~、しいいい~た~あ~」と、やはり原型をとどめないほど解体されていることからもわかる。

 「ものです」や「ました」のようなことばは、大事な内容を言い終わったあとに連結される丁寧語であり、きこえなくても理解には全くさしつかえない。にもかかわらず、『春よ来い』の前半ではその部分こそが歌の中で猛威を振るっている。このようなことばの暴風雨域が、もっぱら「ですます」の前後であることは、「ですます」ではない部分に歌が至ることでよりはっきりする。

 たとえばサビの文末は「どこで間違えたのか」となっており、前半のですますと比べると、報告ではなく内省の感じが出ているのだが、この文末には「ものです」や「ました」のような母音を用いた引き延ばしは見られず、比較的きっぱりと終わっている。

 そして、「ですます」との対比がもっともはっきりしているのが、前半の「ですます」部分と同じメロディを持つ「今は遠くないはず」の部分である。前半と同じ構造をとるならば、ここで文末はぐいっと引き延ばされるはずだ。ところがここで大瀧詠一の声は、「遠くない」と歌ったあと、なんと「んんんん~」と意味不明の音をうなり出す。そして、「遠くない」ということばで終わりだったのかとこちらが観念した頃になって、いきなり「は~ず」とくる。文末の内部が引き延ばされて意味不明になった前半とは全く逆に、この後半の「はず」は、前後の音と無関係なうなり声によって隔てられているために、かえって独立した感情のように強く響く。

 このように、前半の崩壊する「ですます」調の文末から、後半の内省を外に押し出すような文末へと鮮やかに移行することによって、歌には確かな情動が立ち上がる。もはや「ですます」にほどこされていた、単語をちりぢりにする歌い方はきこえなくなり、季節はまっすぐに「春よ来~い」と呼びかけられる。

 それにしても、前奏や間奏で「ふんふん」と鼻歌を歌うならともかく、文節のど真ん中で「ん」という極めて音量を出しにくい音を唸って、「遠くない」から遠い場所へと「はず」を隔たらせるとは、なんとも大胆で人を食っている。

 実は「ん」は、大瀧詠一の歌声の中でも特に注意すべき音である。ここで『春よ来い』の別の部分に注意を向けてみよう。それは「囲んで」「迎えたんです」に含まれる撥音便「ん」の扱われ方である。日常会話では強調されることなく軽く鼻にかけるだけで経過してしまうこの音は、『春よ来い』では全く逆の扱われ方をしている。すなわち、「かこんで」の「かこ」や「むかえたん」の「むかえた」には1拍が与えられているのに対して「ん」には2拍が与えられているのである。しかも、「ん」の冒頭、鼻にかける瞬間は微かにフラットがかかって、そこからせり上げるように伸ばされるため、この2拍にはけっしてただの経過では済まない、禍々しい予兆が響いている。特に「迎えたんです」では5度で歌声が重なるので、「ん」の禍々しい存在感がいっそう際立つ。

 このように、『春よ来い』では、日常のことばでは重きを置かれにくい語や音韻である「です」「ます」や「ん」に、独自の働きが与えられて、日本語がねじ曲げられている。

 

 

 

 

かくれんぼ

 

 

 

ヒロ宗和

 最初に付けられたタイトルは『足跡』で、さらに『ちっちゃな田舎のコーヒー店』とタイトルも歌詞も全く別物に差し替わり、またまた詞の内容が変更され、最終的に現在の詞に落ち着いた難産の作。出だしの歌詞は「曇った冬の」であったが、大瀧がまちがえて「曇った空の」と歌ってしまい、それがそのまま定着した。男と女の微妙な心の襞を鬱屈したサウンドに乗せて歌うスタイルは斬新だ。わらべ歌になぞらえたタイトルも秀逸。バック・コーラスや鈴の音の入りにも日本的な惰緒が感じられる。


野上眞宏

 70年に初めて『はっぴいえんど』の見本盤に針を落とした時のスリルはいまだに忘れられない。『12月の雨の日』をはじめ名曲ぞろいだけど、この一曲目二曲目を続けて聞いて、ぼくははっぴいえんどの魅力に完全にノックアウトされてしまった。だから、あえていうなら『春よ来い』『かくれんぼ』の二つを合わせて「この一曲」だ。細野晴臣の音楽コンセプトと松本隆の詞のコンセプトを大瀧詠一が完璧なまでに具現化している。もちろん鈴木茂のギターも全編にわたって秀逸だ。以前から彼等が温め、聞かされていた、バッファロー・スプリングフィールドに日本語をのせるというアイデアを基に4人で作り上げたこの摩訶不思議な世界。それまで洋楽ロックしか興味のなかった日本のシリアスなロック・ファンが、耳を傾けることが出来る音楽の誕生だった。

 

 

大瀧詠一


 『かくれんぼ』は、元々、松本が書いた『足跡』っていう詞だった。その詞をもらったけれど、なかなか曲ができなくてね。できにくい詞だった。それが『かくれんぼ』になるわけだけども、前の段階では『足跡』という歌だった。そしたら詞が急に全編違う詞の『かくれんぼ』になっちゃったんだよね(笑)。メロディだけそのままで。もう、苦労して苦労して付けてたのに、全部変わってしまったんだよなあ(笑)。メロディは同じだから、やってよとか言われたもんなあ。それも即、『かくれんぼ』でもなかったんだよ。『田舎のコーヒー屋にて』ってタイトルになってたんだよ(笑)、せっかく『足跡』に付けたのに、『田舎のコーヒー屋にて』という、全然違う歌になっていた。ただ『田舎のコーヒー屋にて』って、中はちゃんと『かくれんぼ』と同じだった。「曇った空の・・・」となっていた。それから松本は、『田舎のコーヒー屋にて』ではあんまり長いからっていうんで。何かまた思いついたみたいで、それで『かくれんぼ』になったんだよ。


松本隆

 60年代後半、原宿の珈琲店で、細野晴臣と初めて会わなければ、ぼくの人生は今とは違ったものになっていただろう。あの頃は、ドラムのスティックと詞を書き連ねたノートを持って、東京中の珈琲店を漂流していたものだ。渋谷のブラックホークは、最初にロックのレコードをかけたジャズ喫茶だった。ぼくはある日の午後、そこでコルトーレンを聴きながら、煙草の煙が雲のようにたなびき、渦巻くのを見ながら、「かくれんぼ」という詞を書いた。


松本隆

 はっぴいえんどの頃、ぼくは毎日のように、渋谷のブラックホークやマックスロードで時間をつぶしていた。たいてい一人で、本かノートを小脇に抱えていた。『かくれんぼ』という詞は、ファンの女の子と、ブラックホークでお茶を飲み、話すこともなくなってしまったので、ノートに詞を書く振りをしていたら、ほんとうにできてしまった詞だ。午後の薄暗い店内に煙草の煙が白くたなびいて、雲が浮かんでいるようだったのを瞳が記憶している。女の子の顔は忘れてしまったが。

 

 

松本隆

 『かくれんぼ』っていうのはさ。詞を書こうと思ってね、渋谷のブラックホークヘ行ったのね。冬の午後でさ、換気が悪かったのあの店。タバコを喫うとさ、たまるの、煙が空間に。それでね、何がかかってたんだろなあ。ラリー・コリエルか何かのレコードが例えばかかってるとするじゃない。それで、ボーツとその煙を見てて。それで、何か後でその印象を詞にまとめるんだ。すると曇った空になるわけね。あれ本当は「曇った冬の」ってのが正しかったの。そしたら、唄う人(注:大瀧詠一)が「曇った空の」って唄っちゃってね(笑)。詞を作った人(注:松本隆)がレコードになるまで気が付かなかったという。歌詞カードを書いてる時に気がついた、恐しい事件です。


鈴木茂

 何なんだろうね、この畳っぽい感じって。歌謡曲でも演歌でもないし、トラッドなブリティッシュ・フォークでもないし……。松本さんの歌詞の世界に大いに関わっている。でもやっぱり、作曲者である大瀧さんの声質とメロディ、あと和音の響き。この3つの組み合わせによるものだね。大瀧さんという人はそういう音楽的な才能を全部、生まれつき持っちゃった人なの。歌も上手いし、作曲技術もすごく高い。“良い曲が作れて歌も上手い"人って。実は少ないんだよね。どう見ても普通の人間じゃないよ、大瀧さんは(笑)。鈴の音は大瀧さんのアイディアだったと思う。とにかくアイディアマンだよ。大瀧さんのこだわりは当時からもの凄く強いから、誰も逆らえないの(笑)。「ゆでめん」の写真を見ると、僕が鈴を持っているカットがあるんだよね。だから僕が大瀧さんにやらされたのかも。

 

 

 

 

しんしんしん

 

 

ヒロ宗和

 細野ミュージックの原点というべき寂寥感漂う名曲。鈴木茂の転がるようなギター・プレイも新鮮だ。彼らが信奉するバッファロー・スプリングフィールドの中でも、一番地味な印象のリッチー・フューレーによるやわらかな曲調を感じさせるところが、いかにも細野っぽい。東京に降る雪と都会人の虚ろな心象をオーバーラップさせている松本隆の歌詞もさすがの出来ばえ。この詞にみられるような東京で感じる喪失感が以降の『風街ろまん』へとつながる重要なモチーフとなっていく。


鈴木茂

 これは良い曲だよね。細野さんも、大瀧さんと同じくすでに光るものがあるんだよ。曲作りが上手い。細野さんは生ギター、ベース、ドラムでロックを感じさせる達人っていうか。大瀧さんも間違いなくそこに影響を受けているはず。生ギターでロックを感じさせるってさ、カッコいいでしょ?日本のフォークの人たちは、こういう細野さんみたいな領域には来れなかったよね。『しんしんしん』って原始的なカントリー・ロックでもあるの。細野さんが弾く生ギターがちょっとロック的なリズムの刻み方で、僕のクリーンなエレキはカントリー的でさ。さらに面白いのは、この曲ってベースがファンキーな感じでしょ。R&Bとまではいかないけど、ちょっと腰が振れるようなリズムで。生ギターってサステインがない分、音の隙間がいっぱいできるから、空間が凄い開けていてなおさら腰が振れるんだよね。そういうグルーヴィな要素があるのも面白い曲ですよ。はっぴいえんどってロックやフォークのイメージが強いが、ダンス・ミュージック的な要素もある。だから細野さんにキャッチ・フレーズをつけるなら、“腰を振らせるフォーク・ミュージシャン"みたいな(笑)。松本さんのドラムも細かくキックを踏んだり、ゴースト・ノート的なものをよく叩くからなおさら踊れる。不規則にバスドラを踏んだり。あれがまた細野さんの曲と合うんだよ、凄く。松本さんのドラムってね、ビートを刻むだけじゃなくて、曲に絵柄を描き添える感じなの。なかなかああいう人っていないんだよ。

 

 

 

 

飛べない空

 

 

 

ヒロ宗和

 詞、曲ともに細野晴臣によるもので、当初はタイトルも「フィルモアから遠く離れて」という時代を反映したものであった。歌詞は歌をつくるということはどういうことかを解説したもので、アメリカと日本のロックとのギャップに悩む彼らの音楽的立場を代弁したようなメッセージ・ソング。もともと細野作の「旅」という夕イトルの楽曲が録音当日になって、急遽、この曲に差し替えられたといういきさつがある。細野が敬愛するイギリスのロック・バンド、プロコル・ハルムの影響が強いノスタルジックなキーボード・サウンドが聴ける。


鈴木茂

 実にサイケデリックな楽曲で、“ゆでめん”ならではのダークな世界観。これはプロコル・ハルムっぼいというか、イギリス的な世界だよね。半音ずつ下がっていくパートは、これもイギリスの伝統芸。プロコル・ハルムもクイーンも、ビートルズも似たようなことをやってるからね。この曲、細野さんにしては珍しいかもしれないね。イギリス的で。作詞も細野さんで、オルガンも細野さんだし、かなり細野ワールドの曲だね。僕の4つ上だから、サイケデリックな音楽も通ってる世代なんだよ。僕はサイケにハマったわけではないけと、僕もプロコル・ハルムが大好きで。特に2枚目の『Shine on Brightly』ってアルバムは、ちょうど多感な時だったから涙を流しながらよく聴いてたよね。“いいなあ……”と思って。『飛べない空』も、ブロコル・ハルムの気分で弾いたよ。

 

 

 

 

敵 タナトスを想起せよ

 

 

 

ヒロ宗和

 サンフランシスコのサイケ・バンド、モビー・グレープのサウンドからインスパイアされた本アルバム中、最もリズミックな曲。のちにリズムの魔術師と称せられることになる細野晴臣の萌芽が見られる作品。詞は、エイプリル・フール時代の名残りを感じさせる日本的なサイケデリック・ワーディング。フェイド・アウト部分の効果的なパーカッション処理も面白い。はっぴいえんどの作品系列においては異色ともいえる曲だが、エイプリル・フールとはっぴいえんどをつなぐ作品として見落とせない。


鈴木茂

 不思議な質感の曲で、サイケデリックでシュールというか。これ、歌詞を無理矢理押し込んで歌ったりしていて、ちょっとヘンなんだよね。でも演奏はタイトで、自分のギター・パートを聴いていても良い感じだと思う。思いつくまま自由に弾きまくっているようで、歌の邪魔はしてないんだよね。そこがミソというか、ぜひ聴いてほしいですね。エレキはほぼ100%僕だよ。細野さんはめったにエレキを弾かなかったからね。途中のギター・ソロはたぶん僕のアイディアだったと思う。このツイン・リードのパートは、音数が極端に少なくて楽曲に馴染んでいる。テンポが速くて激しめの曲なので、ギタリスト然としたソロを弾きまくることも可能だったと思うが、あくまで楽曲に寄り添っている。僕はそういうギタリストだからね。細野さんの曲って、やっぱりリズムか面白いの。僕はそのリズムの上に乗っかって何か弾くっていう、けっこうシンプルな考えで臨んだかな。だから、なんら迷いがない。それは曲そのものが良いおかげたよね。細野さんはリズムの躍動感で聴かせて、対する大瀧さんはメロディで聴かせる人なの。2人が違う形で良い曲作りをするから、本当に面白かったよ。

 

 

 

 

あやかしの動物園

 

 

 

ヒロ宗和

 ほとんどがひらがなで書かれた松本隆の観念詞の傑作。自動筆記のようにおもむくままに書き連ねられた言葉の羅列がさまざまなイメージを想起させる。まさに「語呂合わせロック」の最高峰。そんな詞の語感を生かして、サウンドも軽快なロックンロール・スタイル、「ひぃふうみいよう!」の日本語カウントもかっこいい。鈴木茂のスティーヴン・スティルスばりのギター・プレイも全開。ワイルドなガレージ・バンドしての初期のはっぴいえんどサウンドの魅力が凝縮した一曲。


鈴木茂

 ファズ・ギターによるイントロから始まるロック然としたナンバーで、ロック・ミュージシャンが好きになりそうな曲だよね。イントロからソロまで、僕はブリティッシュ・ロックな気分で弾いている。僕は、まずその曲に合った気持ちいい音色を探す。逆にそこが決まんないと、フレーズが思い浮かばない。ユーミンの『卒業写真』だって、音色を作ったとたんにあのギター・ソロのメロディが浮かんだし、ずっとそうなんですよ。

 

 

 

 

十二月の雨の日

 

 

 

ヒロ宗和

 この曲から日本語のロックの歴史が始まった。はっっぴいえんどの記念すべきデビュー曲。大瀧がつくっていた曲に、松本隆が『雨あがり』という詞をつけ、さらに鈴木茂があの素晴らしいギター・リフを乗っけて完成された名作。サウンド的にはバッファローの『クェッションズ』からの影響もうかがえるが、そんな詮索をよせつけないオリジナリティを獲得している。バックに聞こえる杭を打つような効果音もバンド・サウンドの独特のうねりを増幅しており素晴らしい。


松本隆

 『春よ来い』より『12月の雨の日』の方が先だったと思うんだけど、非常にリアルタイムで時系列。私小説に近いですね。当時、僕の家は西麻布で大瀧さんは経堂あたりに住んでたの。その下宿に行く途中の景色ですね。雨上がりの街だったし風が吹いていたし。風景をそのまんま詞にしています。大瀧さんのところに行ったら永島慎二の漫画があって、炬燵があった。彼と僕とは出身も違います。彼は岩手の人で宮沢賢治と同じところから出てきて僕は青山で生まれて麻布で育った。都会しか知らないんで会話の糸口がないんです。音楽の話は通じるけど音楽以外の部分では何を話せばいいんだろうと悩んでいて。その部屋にはガロ系の漫画雑誌があって、僕も読んでいたから、そこで初めて接点があったんですね。


大瀧詠一

 松本くんが、たまたまぼくが読んで転がしておいた永島慎二のマンガを読みながらスススッと歌詞を書いて、「この詞で歌ってみてよ」と言って去って行った。それが「12月の雨の日」の前、仮タイトル「雨あがり」。で、これは面白そうだということになって、細野さんの家か松本くんの家か、どっちかで試しに録音してみて…。あとで茂が呼ばれてイントロに例のギターをダビングしたという、歴史的な(笑)。これで4人のラインアップが完成した。


鈴木茂

 はっぴいえんどへの加入を決めた記念すべき曲。はっぴいえんどで1曲選べって言われたら、この『12月の雨の日』になると思う。ライブでもかなり演奏したし。一発であのイントロ・フレーズを弾いてみせたというのは語り草になっているけれど、あの日は細野さんからギターを持って松本の家へ来てくれって呼び出された。ジャム・セッションでもするのかなぐらいの軽い気持ちで、エレキ・ギターを持って霞町に行って。今の西麻布あたりだよね。それで松本さんのところに着いたら、なぜか大瀧さんはいなかったのね。それでそんなに長話もせずにこんな曲があるんだと言って細野さんが生ギターで弾き語りを始めて。これにギターを入れてみてくれって言われたの。Am7- Am7-C-G-D-Dっていうちよっと変則的なコード進行で、その後の展開が読めないような、飽きさせない魅力があったよね。で、僕が即興でひとまず弾いてみたら、そのフレ-ズが良かったの。ちゃんと流れに沿っていて、自分でも凄く手ごたえがあったのを覚えてる。それで後日だったか、「バンドに入ってくれ」と連絡が来たんだよね。あの最初に弾いたフレーズのまま、何も変えずレコーディングしたよ。


松本隆

 あるとき、実験的に目に映るものすべてをノートに書いてみようとやってみたことがありました。待ち合わせた人がなかなか来ないので、その時間潰しにちょうどいいな、と。喫茶店の、外のよく見える窓際に腰をおろして、そこから目に入ってくるものを次々言葉に置き換えていきました。そうすると大学ノート3ページくらいが、気づけばびっしりと文字で埋まってました。

 人間の目がとらえる情報量って、自分が考えているよりずっと多いです。目になにがどう映るか。普段は意識しないけど、敢えて意識的にものを見ると、発見があるかもしれません。『十二月の雨の日』はぼくが初めて大瀧詠一さんに書いた詞なんですが、六本木で目に映った風景が元になっています。

 この場合、ぼくはテレ朝通りから六本木通りに出たところに立って見ている。初めて大瀧さんに呼ばれて下宿に遊びにいったときのことでした。当時、ぼくが住んでいたのは西麻布。自宅を出て、富士見坂を上って、いまのテレ朝通りでタクシーをつかまえようとしたとき、雨が降ってきた。銀座に向かうタクシーはたくさん来るのに、反対方向はなかなか来ない。雨が降るなか、行き交う人々の光景が目に焼きつきました。もしぼくの視点がもっと上、たとえばビルの屋上から見てたら、もしくはもっと下のほうで、たとえば猫の目線だったら、違う詞になっていた。

 その日はちょうど11月30日。なぜ覚えているかというと、雨は11月30日までしか降らないと天気図にあったから。12月1日になると雨は上がるはず。それで「十二月の雨の日」というイメージが頭に思い浮かびました。やっとタクシーを拾って、大瀧さんが下宿するアパートに着いた頃、雨は上がりました。ぼくは炬燵に入って、「ちょっと待ってて、ひとつ詞を書いてみるから」と伝え、そのときは「雨あがり」という仮タイトルをつけてこの詞を書きました。

 のちに大瀧さんにこのときのことを話すと、曰く、「あれはおれの部屋じゃなくて、布谷文夫さん(注:ロックシンガー、当時大瀧詠一らと「タブー」というバンドを結成していた)の部屋だったんだよ」って。居候してたんだね。「雪が降ってたら『十二月の雪の日』になっていたんだ」と笑っていました。大瀧さんが2013年12月30日に急逝したことで、「十二月」というメタファーはぼくにとって心の痛みを伴うものとしていまもあります。

 

 

 

 

いらいら

 

 

 

ヒロ宗和

 1970年2月5日に大瀧詠一が、当時の心象をそのまま歌にした一曲。楽曲的にはビートルズの『カム・トゥゲザー』の影響を少し感じる。この曲のメロディ・パターンは『颱風』や大瀧のソロ・アルバムの『びんぼう』あたりへと受け継がれていく。また詞のパターンとしては、やはりファースト・ソロ・アルバムに収められている『あつさのせい』などが同系列下の作品といえるだろう。唐突なエンディングから、静的な『朝』に引き継がれる流れもビートルズっぽい。サウンドそのものでなく楽曲構成で彼らの影響を受けているのがわかる。


鈴木茂

 はっぴいえんどの中では、ストレートでハードロックっぽい曲。大瀧さんも細野さんもハードロックって好きじゃなかったと思うんだけどね。リフを付けやすい曲調だけと、なんで弾かなかったんだろう?もしリフを入れていたら、印象が変わっていたかもしれないね。大瀧さんはこの曲で茂さん所有のエルグのエレキ・ギターを弾いている。リード・ギターは僕だよ。しかしさ、ものすごい歪んでるよね。僕がこんなにファズの音を出したのって、後にも先にもこのアルバムだけだよ(笑)。ゆでめん以降はどんどんクリーン・トーンが好きになっていくから。

 

 

 

 

 

 

 

ヒロ宗和

 アコースティックーギターの調べにのって淡々と歌われるアルバム中、唯一のソフト・ロック・ナンバー。『空いろのくれよん』『外はいい天気』『それはぼくぢゃないよ』『乱れ髪』といった松本・大瀧コンビによる一連のラヴ・ソングの先鞭をつけた曲としても重要。恋人たちの日常の一コマを切り取った作品だが、詞先行で作られたこの作品は、なかなか曲が付けられず細野・大瀧の両名を大いに悩ませた曰くつきのもの。結局、大瀧が作ったメロディが採用され無事に完成の運びとなった。


鈴木茂

 美しいアコースティック・ナンバーで、細野さんの生ギター・プレイが実に端正。大瀧さんのメロディも素敵で名曲ですよ。僕はこの曲には参加してないんだけど、もう何もいらないでしよ、こんなに歌とギターが良かったら(笑) この曲は作曲者が大瀧さんになっているけど、コード進行の雰囲気は完全に細野さんだよね。2人で一緒に作ってたのがよくわかるでしよ?この共作感もゆでめんならではというか、このアルバムだけだと思う。途中で出てくるチェレスタによる可愛い音が出てくるけれど、これはレコーディングで使ったアオイスタジオにはチェレ・スタが置いてあって、大瀧さんにやらされた(笑)。「茂が暇そうだからチェレスタでも」ってことで、あえて僕に頼んだんだと思うな。大瀧さんのユーモアという、気遣いというかね。大瀧さんってそういう人なんです。

 

 

 


はっぴいえんど

 

 

 

ヒロ宗和

 このアルバムのディレクターを務めていた(途中で降番)元ジャックスの早川義夫が評価した60年代の鎮魂歌のようなメッセージ・ソング。タイトルはそのままバンド名にも転用された。大瀧詠一がリード・ヴォーカルをとっているが、当初ヴォーカルは細野晴臣だった。この詞の中の「しあわせなんてどう終わるかじゃない、どう始めるかだぜ」「しあわせなんて何を持ってるかじゃない、何を欲しがるかだぜ」というメッセージは今こそ新鮮。曲名には「はっぴいとは言えんど」の意もある。


鈴木茂

 僕は不参加だったが、これははっぴいえんどっていうよりも、ヴァレンタイン・ブルー的な曲だね。細野、大瀧、松本の3人の世界。そういうのが残ってておかしくないよね。直前まで3人でやってたわけだから。だからこの曲での僕は例えるなら、時代劇で言ったら客分みたいな感じ。これは俺たちヴァレンタイン組がやるから、客分はちょっと隣の席で酒でも飲んどいてくれ、っていうような(笑)。もし僕がこの曲で弾いてたら、もっとわかりやすい感じになっていたかもしれない。エキゾチックなアコースティック・ギターは細野さんだよね。あの人、ああいうのも上手いんだよ。ちょっと淀んだ世界を表現するような演奏もね。ドラムが入ってからの展開は、プロコル・ハルム的な感じ。

 

 

 

 

続はっぴいえんど

 

 

ヒロ宗和

 アルバムの録音最終日の前日に細野晴臣の提案により、もう一曲収録することとなり急遽作り上げられた曲。レコーディング・ディレクターの小倉栄司が12弦ギターで参加し、メンバーが雑談するなか、松本隆のポエトリー・リーディングで締めくくられる。この空気感と雰囲気は、4人が生み出す即興性の成果であり、70年代初頭という時代を感じさせるものだ。いずれにしろ今のロックが失ってしまった何かであることは確かであろう。


鈴木茂

 この曲はもっとディープな世界に入っていき、松本さんと細野さんの中にある暗い世界が全開だよね。松本さんによるポエトリー・リーディングも入っていて、これは自己主張だね。より内面的というかさ。このレコーディングのときは、ポカンとしていたかな(笑)。この曲は僕の世界観にないなと。細野さんはそれに気づいて、僕に参加しろって言わなかったのかもね。でもはっぴいえんどは、常に実験をしていたバンドだから。ある意味、芸術作品を作るような心持ちもあったかもしれない。音楽の表現ってさ、どうとらえるかは人それぞれじゃない?僕の場合、音楽は娯楽として考えてるところはあるけどね。

 

 

 

 

『解説をあつめて』2
 はっぴいえんど全曲解説集

『はっぴいえんど』編


 

 

 

『風街ろまん』編に続く