秀吉からの命令は、朝鮮国王を来日させ、京で天皇に拝謁させよというものでした。
すなわち、日本の天皇が朝鮮国王を臣下とみなすに等しい要求だったのです。
もとより、朝鮮側にそのまま伝えるわけにはいかず、かといって朝鮮側の意思をそのまま伝えたら、戦争になるのは必至です。
そこで義智は一計を案じます。
彼は博多聖福寺の僧・景轍玄蘇を日本国王の正使という形にし、自身は副使という立場で漢城(ソウル)へ入り、あくまで秀吉の天下統一を祝う使節だと話をすりかえたのです。
さらに義智らは倭寇を手引きした朝鮮人を捕らえて本国へ送還するという条件を加え、朝鮮側を納得させました。
天正一八(1990)年七月に朝鮮の正使・黄充吉と副使・金誠一ら総勢二〇〇名の使節が京に到着しましたが、秀吉が使節を面会したのは一一月七日になってからです。
朝鮮使節に天皇への拝謁を求めた秀吉にしたら、当然、朝鮮は日本に従属したものだとばかり思っています。
だから、使節をぞんざいに扱ったのです。
(つづく)
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