彼女は殺されたのか?――源家の生き残り「竹御所」の謎②[比企氏の乱] | 跡部蛮の「おもしろ歴史学」

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竹御所の父は二代将軍源頼家(よりいえ)で、母は若狭局(わかさのつぼね)


(けん)(にん)年(1203)の生まれです。


母の若狭局が比企能員(よしかず)の娘だったことから、竹御所も数奇な運命をたどります。


頼朝は比企氏を信頼し、嫡男の頼家の妻に、能員の娘(若狭局)を迎えました。


やがて、若狭の局は竹御所の兄である(いち)(まん)を生みます。


その一幡が三代将軍となれば、外祖父は比企氏という形となって、頼朝の舅として幕府を掌握していた北条時政政治的立場はなくなります。


つまり、幕府の実権を比企氏に奪われるとみた時政・政子の父娘が、頼朝の死後、比企氏を攻め滅ぼしてしまうのです。


これを比企氏の乱といい、能員とその妻若狭の局、三代将軍となるはずの一幡も殺されました。


二代将軍頼家は政子の息子ですが、それでも、修善寺(静岡県伊豆市)に幽閉されたのち、暗殺されてしまいます。


こうして幕府内の北条氏の立場はゆるぎないものとなりますが、この比企の乱が勃発するのは、竹御所が生まれたばかりのころ。


まだ乳飲み子だった彼女はおそらく女だという理由で助けられたのでしょう。


竹御所が物心ついたころには、両親と同母兄はすでにこの世におらず、しかも、彼らの殺害に祖母の政子が関与しているという関係でした。


事実を知った竹御所の心中は、いかばかりであったでしょう。



(つづく)




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