彼女は殺されたのか?――源家の生き残り「竹御所」の謎①[摂家将軍誕生] | 跡部蛮の「おもしろ歴史学」

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鎌倉幕府の源家将軍は三代で滅びます。


その背後に、幕府の執権(しっけん)北条氏の陰謀があったことはよく知られています。


また、()(ろく)元年(1225)七月にこの世を去るまで、初代将軍源頼朝の正室・北条政子が「尼将軍」として事実上、幕府を率いていたことも周知の事実です。


滅びた源家に代わり、政子は京の九条家から関白藤原道家の息子を迎えます。


ちなみに、この道家の息子は、生まれたのが 年・寅日・寅刻だったため、幼名を()(とら)と名づけられたといいます。


政子が死去した翌年、元服していた三寅は、四代将軍九条(より)(つね)として鎌倉幕府四代将軍の座に就きました。


この九条頼経のことを藤原将軍、あるいは摂関家出身だったことから摂家将軍といいます。


その四代将軍頼経の正室が今回の主役。媄子(よしこ)という女性です。


のちに彼女が住んだ鎌倉比企ヶ谷(ひきがやつ)の屋敷の名を取り、「竹御所」と呼ばれます。


頼朝と政子の孫娘にあたり、幕府の中では、源家の血を受け継ぐ唯一の生き残りでしたが、その生涯は意外に知られていません


そんな彼女の波乱に富んだ生涯とその死にまつわる謎を解き明かしていこうと思います。


(つづく)




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