江戸城「大奥」スキャンダルの真相ー其の壱④[南町奉行による再捜査] | 跡部蛮の「おもしろ歴史学」

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『徳川実紀』に、こう記録されています。


「後閤(大奥のこと)の女房絵島、宮路ともに親戚の家に召し預けらる。これは正月十二日、東叡(寛永寺のこと)、三縁(増上寺のこと)両山に詣づるとて、道より語らい合わせ、同じ女房等ともない、木挽町の劇場にまかり、薄暮に及びて帰りぬ。(中略)同じことにより、梅山、吉川等の女房七人禁固せらる」

 

 ここでの絵島の処分はあくまで謹慎です。


 羽目を外して“門限破り”したことへの責任をとらされたに過ぎませんでした。


 したがって、事件はこれで終わるはずでした。


しかし、そうなりませんでした。


南町奉行の坪内(さだ)(かね)が新たな捜査へ乗り出したのです。


そして三月五日になって判決が下ります。


『徳川実紀』から抜き書きしてみますと、


「身の行い正しからず」

「遊楽に耽り、御使(おつかい)奉わり他にづるついで、また暇休み賜わりし折から、ゆかりなき家に信宿」

「俳優となれむつみ」


どなど。


 調べはじめると、絵島の不行状が次々と明るみにでて、遠島に処せられることになるのです。


(つづく)


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