正徳四年(1714)の正月十二日、絵島は月光院の名代として、前将軍家宣の菩提所である芝増上寺へ参詣しました。
その日、もう一人、宮路という大奥の年寄も、先々代将軍綱吉の菩提所である上野寛永寺へ参り、二人は申し合わせて山村座で芝居見物をし、生島らと酒宴を催します。
しかしこれは、絵島が生島と逢引きするために仕組んだものではありませんでした。
このように寺社参詣の際に芝居見物するのは通例です。
大奥年寄の外出ともなると、供奉する女房衆もたくさんいます。
供奉する女房たちにとっては、息苦しい大奥の暮らしから解放され、羽を伸ばせる機会であり、芝居見物は何よりの楽しみでもありました。
つまり、大奥の女房たちにとって芝居見物は最大のレクリエーション。
大奥を束ねる立場として、芝居見物に立ち寄らないほうが問題でした。
ただ、楽しかったあまりに時を忘れてしまいました。
これは皆さんにも経験あるところでしょう。
飲み会で盛り上がり、我に返って時計を見ると、終電の時間が過ぎていた――。
そう、絵島はそれをやってしまったのです。
(つづく)
※ホームページを開設しました。執筆・出演依頼などはホームページよりお申し込みください。