江戸城「大奥」スキャンダルの真相ー其の壱②[熟年カップルの恋?] | 跡部蛮の「おもしろ歴史学」

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幼い将軍家継には、側用人間部詮房と母の二人が夫婦(将軍と御台所()のように見えたのでしょう。


家継は月光院へこういったといいます。


「高崎侯(間部のこと)は王(将軍)のごとくかな」(『三王外記』)

 

 このような風紀の乱れが大奥に蔓延し、大奥の総責任者ともいうべき立場の絵島と生島のスキャンダルを生んだともいえますが、この事件には不可解ないくつかあります。


まず、処罰されたときの生島の年齢です。


ドラマなどではイケメン俳優が生島を演じているものの、事件に連座して処罰された者らのリストをみると、生島は当年四十四歳。


当時としては初老といってもいい年齢でした。


一方、絵島もまた、当時としては年増といっていい年齢(三十三歳)でした。


熟年カップルとして釣り合っているようにも思えますが、二人は本当に“禁断の愛”を育んでいたのでしょうか。


あらためて、この事件を振り返ってみましょう。


生島は、木挽(こびき)(ちょう)(現中央区銀座付近)にある芝居小屋山村座の人気役者


一方、絵島は幕臣の娘(本名おみよ)として生まれ、父の死後、の連れ子となって、同じく幕臣白井平右衛門の養女となりました。


尾張徳川家をへて、まだ六代将軍になる前の家宣(当時は徳川綱豊=甲府藩主)に仕え、やがて大奥入りします。


おきよの方(のちの月光院)(つき)女房となり、その才覚によって大奥の「御年寄」という地位にまでのぼりつめるのです。


 そして、正徳四年(1714)の正月十二日に事件が起きます。



(つづく)


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