〽蒸籠で深入りをする不届きさ
江戸時代、こんな川柳が詠まれています。
人気役者・生島新五郎が蒸籠に隠れ潜み、男子禁制の江戸城大奥へ忍び込んだというから、たしかに不届き千万な話です。
こうして生島は、大奥年寄という実力者の絵島と逢瀬を重ねますが、やがて二人の逢引きは露見します。
結果、絵島が信州高遠、生島は三宅島に流されてしまうのです。
江戸城大奥最大のスキャンダルともいわれる「絵島生島事件」です。
このころ、バブルに沸いた元禄時代の名残りで、大奥でも風紀が乱れていました。
当時、七代将軍徳川家継の時代でしたが、将軍はまだ幼く、側用人間部詮房が政治を壟断し、将軍家継の生母月光院が大奥を掌握していました。
月光院は六代将軍家宣の側室ですが、いまだ若き未亡人。
一方、将軍家継は幼少であり、母親の月光院のもとで過ごすことが多くなります。
そうなると、必然、将軍の側用人である間部も、月光院のもとへ通うことになります。
こうして、二人はできてしまったと、『三王外記』に記されています。
幼い家継には、そんな二人が夫婦(将軍と御台所)のように見えたようです。
(つづく)
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