「軍師官兵衛」切腹の危機の謎(最終回)[緊急帰国の理由] | 跡部蛮の「おもしろ歴史学」

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囲碁事件については、官兵衛らが人を待たせて囲碁を打っていたのだから、三成らが怒るのもうなづけます。



ここまでは官兵衛が悪いといえます。



しかし、『家譜』によると、官兵衛らはすでに総大将の宇喜多秀家と軍議し、方針を確認し合ったあとのことだとあります。



しかも、その後、官兵衛らは奉行衆を呼び戻しています。



三成らが怒って帰るのは勝手ですが、逆に三成らは、決定した方針を官兵衛らから聞く立場にあり、三成らが呼び戻しに応じず、無視したとなると、彼らのほうが役目の放棄ととれなくはありません。



そして『家譜』は、



「(三成らは)人にあへば、必ずこの事を語りそしり、あまつさえ、のちに太閤(秀吉)にこの事を訴えける」

 

 と記しています。



三成らが秀吉に讒言したため、官兵衛はその申し開きのために帰国したことになったというのです。



この囲碁事件の顛末が脚色されている可能性は否定できませんが、官兵衛と奉行衆との間に何らかの確執が生じ、官兵衛はやはりその申し開きのために緊急帰国したのではないでしょうか。



緊急帰国の理由が正当なものなら、秀吉が官兵衛を成敗しようと思わないはずだし、のちの黒田藩も、この事実を隠蔽しようとするはずがないからです。






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