雲霧仁左衛門が実在するのか、しないのか――。
ここはひとつ結論を急がず、まず現代に語り継がれる怪盗・雲霧仁左衛門の「元ネタ」となった物語(『大岡政談』)を眺めてみましょう。
仁左衛門は甲州韮崎の出身。
若いころから真影流の剣術を学んだ剣士でした。
あるとき、落雷があって四方真っ暗闇となり、仁左衛門が周囲を覆う雲を抜き打ちに切り裂くと、イタチのごとく獣が真っ二つになって落ちてきたといいます。
そもそも、雲か霧のような鮮やかな手口で盗みを働くからではなく、これが“雲霧”と仇名される理由だったのです。
その雲霧の手下は、“肥前の小猿”と“向こう見ずの三吉”の二人。
彼ら雲霧一味が狙ったのは、甲州原沢村の豪農・文蔵でした。
文蔵は、義父が急病になったという知らせを受け、関所手形をもらう時間を惜しんで、それがいけないこととは思いつつも、関所破りのために裏道を使ってしまいます。
しかし、それが災いの元となります。
関所破りをしようとする文蔵の動きを嗅ぎつけた仁左衛門は、手下を岡っ引きに化けさせ、関所破りしたことをお上に黙っていてやるからという名目で持ち金を巻き上げるのです。
しかし、ここで話は終わりません。
仁左衛門は、関所破りをネタにさらに大金を稼ぎ、盗賊家業から足を洗おうと決意します。
おいしい獲物は逃さない。小説やドラマの中の仁左衛門とちがい、この「元ネタ」の中の仁左衛門はまことに悪いヤツです。
さて、仁左衛門一味はどうしたのでしょうか。
ここに名奉行の大岡越前が登場します。
(つづく)
※ホームページを開設しました。執筆・出演依頼などはホームページよりお申し込みください。http://officekimoto.jimdo.com