幕末の英雄「西郷隆盛」前半生の謎①[小姓組からの出世] | 跡部蛮の「おもしろ歴史学」

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東京上野で銅像になった西郷隆盛(吉之助、南洲)はまぎれもなく、日本を代表する偉人の一人でしょう。



しかし、混沌とした幕末の政局にあって彗星のように現われたかと思うと、大老井伊(なお)(すけ)による政治弾圧「安政の大獄」の網にかかって、あっけなく自殺未遂を遂げてしまいます。



その後、奄美大島や沖永(おきのえ)良部(らぶ)(じま)での幽閉生活を経て、公武合体派と反幕府勢力との対立が鮮明になるや、ふたたび歴史の表舞台に登場。そうして維新の実現に奔走するのです。



彼の生涯は、自殺未遂を遂げるまでの前半生と、島送りから戻って幕末の政治史に大きな足跡を残し、維新後、不平士族らとともに西南戦争で斃れるまでの後半生にわけられます。



今回はその前半生の謎に迫ろうと思います。



下級武士の彼がなぜ歴史の表舞台に登場できたのでしょうか。



はたまた、彼はなぜ死のうとしたのかという謎です。



西郷の盟友・大久保利通の場合、囲碁好きの島津久光(当時、薩摩藩の事実上の藩主でした)に囲碁を通じて取り入ったという通説が語られています。



もちろん、西郷の場合も、賢侯と呼ばれた藩主・島津(なり)(あきら)(久光の兄)に見出される理由がありました。



その西郷は文政十年(1827)、鹿児島城下の加治屋町で生まれます。



西郷家の家格は小姓組。城下に住む藩士としては下から二番目の身分です。



泰平の世であれば平凡な一生を送っていたことでしょう。

(つづく)





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