幕末の英雄「西郷隆盛」前半生の謎②[水神坂の出会い] | 跡部蛮の「おもしろ歴史学」

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小姓組という下級藩士の家に生まれた西郷は、二十歳のころ、郡方書(役助といって、郡代官の下役(的な仕事を仰せつかりました。


このとき農民の窮状を肌で感じ取ったことがのちに生かされます。


安政元年(1854)、西郷二十八歳のとき、主君の島津斉彬は藩主就任後初めての参勤交代で江戸へ出府することになりました。


斉彬は、下級藩士でも能力のある者は取り立てて江戸へ連れていく方針を打ち出しました。


そして、西郷が郡方時代の経験にもとづいて藩庁へ建白していた意見書に、斉彬の目がとまります。


このことはのちに西郷が述懐していますから、事実だと考えられます。


通説はここでより効果的な演出をおこないます。


明治時代に書かれた『西郷隆盛伝』によりますと、江戸出府のために鹿児島城下を発った斉彬の一行は、藩境の水神坂の坂上で休息することになります。


斉彬は建白書を読んで西郷を中小姓として一行に加えたものの、まだ面識がありません。


そこで斉彬が、


「今日、()が供廻りに西郷吉之助はおるか」


と側近に質すと、側近は、


「かの大兵肥満の人物」


といって西郷を指さしました。


すると斉彬は、


「無礼な奴」


という感想を洩らします。


なぜだったのでしょうか。


(つづく)



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