青年時代の光圀はかなりの放蕩息子だったようです。
遊里に通うは、辻相撲で負けた腹いせに刀を振り回すは……。
はたまた、辻斬りに興じたこともあったといいます。
そんな放蕩息子が心を入れ替えるのは十八歳のとき。
兄弟が君主の座を譲り合って餓死するという『史記』(中国・前漢時代に司馬遷によって編纂された歴史書)の「白夷伝」を読んで感銘を受けるのです。
その後、学問に精進するようになるものの、『史記』を読んで学問、とくに歴史に目覚めた彼は、三〇歳のときに江戸藩邸に史館(のちに彰考館と命名)をつくり、やがて著名な『大日本史』の編纂事業をはじめます。
この編纂事業は歴代藩主に受け継がれ、完成したのは明治になってから。
彰考館の館員らが日本中をかきずりまわり、史料を集めるわけですから、その編纂には莫大な予算がかかります。
光圀の治世もそうだったが、この編纂事業が水戸藩の財政を圧迫し、そのツケは増税という形で農民にまわってきました。
こうみてくると、とてものこと、光圀は勧善懲悪のヒーローとなる人物とは思えません。
(つづく)
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