黄門様が助さんと格さんをお供に諸国漫遊しつつ、悪を懲らしめる――テレビドラマで描かれる水戸黄門、つまり徳川光圀の活躍はもちろんフィクションです。
江戸時代の半ばごろ、『水戸黄門仁徳録』という実録小説に登場する黄門様ですが、実録とは名ばかりで、この手の本は事実をもとに大幅に脚色した作り話です。
その後、講談『水戸黄門漫遊記』のストーリーが成立し、皆さんよくご存じの助さんこと佐々木助三郎、格さんこと渥美格之進も、この『漫遊記』に登場します。
それでは、なぜ黄門様が勧善懲悪モノのヒーローになったのでしょうか。
光圀の実像を探りつつ、そのことを明らかにしていきたいと思います。
光圀は寛永五年(1628)、初代水戸藩主徳川頼房(家康の十一男)の三男として家臣の邸で生まれました。
父の頼房は生涯正室をもうけませんでしたが、光圀やその兄頼重(のちの高松藩主)の母は正式な側室ではありませんでした。
したがって光圀はしばらく家臣の家で育てられます。
しかし六歳のとき、光圀は兄頼重を差し置いて頼房の世子となったのです。
その理由は諸説あり、この人事に当時の将軍徳川家光や水戸藩内で隠然たる勢力を持つ英勝院(家康の愛妾で藩主頼房の准母)の推薦があったなどとされています。
ただ、父頼房が少年時代の光圀を見てその器量を買っていたことが最大の理由ではないでしょうか。
こうして父に認められ、水戸藩の世子となったものの、青年時代の光圀はかなりの放蕩息子だったようです。
(つづく)
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