戦国時代の幕を開けた男の実像②[将軍廃位クーデター計画] | 跡部蛮の「おもしろ歴史学」

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 政元は“下剋上の先駈け”という意味においても、乱世の到来を印象付けづける人物といえます。


 彼は将軍をクーデターによって廃すという行動にでるのです。


まずその経緯をたどってみましょう。


九代将軍足利(よし)(ひさ)長享三年(1489三月、近江出陣中に病死し、しばらく将軍は空位となりますが、その父義政(八代将軍)も翌年一月に死去すると、次期将軍決定の発言権は、前将軍(義尚の生母であり、前々将軍(義政)の正室である日野富子が握ることになりました。


こうして富子に支持され、十代将軍に就いたのが足利義稙(よしたね)です。


彼は応仁の乱で西軍の盟主に擁立された義視の嫡男でした。


かし、義稙はやがて、擁立してもらった富子と対立するようになります。


一方、政元はもともと、この将軍人事に反対でした。


また、父が義視との政争に敗れて京を追われたことのある幕府政所(まんどころ)執事伊勢貞宗にとっても、現将軍はいわば仇敵の子。



そこで政元は、富子や貞宗を抱きこむ形でクーデターを計画するのです


政元らは、掘越公方(関東公方)足利(まさ)(とも)子で京の天龍寺香厳院主なっていた(せい)(こう)還俗して足利(よし)(ずみ))を代将軍の座にすえようとしたのです。


(つづく)



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