大岡裁きの「虚」と「実」③[お熊事件の判決] | 跡部蛮の「おもしろ歴史学」

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白子屋の一人娘のお熊(21歳)は又四郎という者を婿養子に迎えていながら、手代の忠八(37歳)と不倫関係に陥り、母のお常(48)とともに、夫を追い出そうとして、まず、下女(げじょ)菊(18)に又四郎を襲わせました。


また、もうひとりの下女の久も、朋輩の菊に、又四郎が傷つくくらい叩きなさいとそそのかしました。


この傷害事件で忠相が下した判決は次のとおりです。


まず又八と不倫していたお熊の処分です。


彼女は「手代忠八と密通いたし、不届について、町中引廻しの上、死罪」となりました。


次いで、忠八も同罪で「獄門」。


母お常も娘の(わる)だくみに加担した罪で遠島(えんとう)


下女の久は「くま(お熊)へ手代忠八密通の儀取次」、さらには「又四郎へ疵つき候ほどたたき候ようにと、傍輩菊へ申すすめ候」により町中引廻しの上、死罪となりました。


問題は、もうひとりの下女お菊への判決です。


忠相は「死罪」を言い渡しています。


ここからは、人情に溢れ、機知にも富んだ『大岡政談』の名裁きぶりは窺えません。


なぜなら、彼女がこの傷害事件の実行犯であるのはたしかながら、主人(お常)に命じられて、やむなく実行した事情が窺えるからです。


「ただし、引廻しに及ばず候」というのがせめてもの忠相の情けだったのでしょうか。

(つづく)


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