大岡裁きの「虚」と「実」②[白子屋お熊事件] | 跡部蛮の「おもしろ歴史学」

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史実としての大岡越前のお裁きはどうだったのでしょうか。


『大岡政談』の話の多くはフィクションですが、同書に登場する話の中には、忠相の奉行在任中に起きた現実の事件もありました。


八代将軍・徳川吉宗のご落胤を騙った「天一坊(てんいちぼう)事件もそのひとつ。



そのほか「白子屋お熊」事件と「直助権助」事件も実際にあった事件でした


ただし、越前が裁いたのは「白子屋お熊事件」のみです。


それではまず、『大岡政談』の中で唯一、越前が裁いたといえる事件の概要をみてみましょう


ただし、『大岡政談』ではスト―リーが脚色され、そこに登場する事件の内容はすべて史実とはいえません。


そこで当時の裁判記録をおさめた一級史料の『享保通(きょうほう)(つがん)』にもとづいて再現してみます。


享保十二年(1727)、事件の舞台は新材木町の白子屋という商家でした。


一人娘のお熊(21歳)は又四郎という者を婿養子に迎えていましたが、手代の忠八(37歳)と不倫関係にありました。


お熊にとって婿の又四郎は邪魔な存在。


いっそいなくなってくれればと思い、策を巡らすのです(別の史料では毒殺をたくらんでいます)。


この(くわだ)に母のお常(48)も加担します。


まず、下女(げじょ)菊(18)に又四郎を襲わせたのです


また、下女の久(彼女は、お熊と忠八の仲を取り次いだ張本人)は、朋輩の菊に、又四郎が傷つくくらい叩きなさいとそそのかしました。

(つづく)



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