戦国三英傑ゆかりの武将の謎⑰[裏切りの連鎖] | 跡部蛮の「おもしろ歴史学」

跡部蛮の「おもしろ歴史学」

歴史ファンの皆さんとともに歴史ミステリーにチャレンジし、その謎を解き明かすページです(無断転載禁止)

関ケ原で天下分け目の一戦がおこなわれた九月十五日。


すでに甲冑を着用できないまでに病状が悪化していた吉継は、垂水城主の為広に全軍の指揮を委ね、同時に、松尾山に陣する小早川秀秋(西軍)の去就を怪しんで、抑えの役を買って出ました。


そこへ、小早川隊が松尾山から逆落としに、大谷・平塚隊をめがけ、裏切りの攻撃を仕掛けてきたのです。


予期していた大谷・平塚隊は動じず、小早川隊の横合いに回りこんで激しく攻め立てます。


この猛攻によって、逆に三〇〇人以上の小早川勢を討ち取り、一時松尾山へ押し返しました。


しかし、反撃もここまででした。


小早川隊の裏切りを見て、赤座直保や朽木元綱らが”第二の裏切り“に走ります。裏切りの連鎖が起きたのです。


さすがの大谷・平塚隊も持ちこたえ切れず、壊滅します。


そのとき、吉継は光の失った白眼で彼方を見やり、


「秀秋の無事は、三年は過ごすまじき」


といい、自害して果てたといいます(『関ヶ原御合戦当日記』)。


友情のために壮絶な最期を遂げた吉継ですが、そんな彼にはひとつだけ、不名誉な嫌疑がかけられています。

(つづく)



※サブブログで「織田信長の死」の謎をめぐる歴史小説(「花弁」)を連載しています(毎週木曜日)。そちらもぜひご覧ください。