戦国三英傑ゆかりの武将の謎⑱[千人斬り] | 跡部蛮の「おもしろ歴史学」

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 吉継には、ひとつだけ、不名誉な嫌疑がかけられています。

 

 天正十四年(1586)二月のこと。すでに秀吉の側近として吉継が頭角を現していた頃の話です。


 大坂城下で大勢の人夫風情の者らが何者かによって惨殺される事件が相次ぎました。


 容疑者として浮上したのが吉継でした。


 なぜなら、「悪瘡(できもの)気につきて、千人殺してその血をねぶれば彼の病、平癒する」(『宇野主水日記』)という噂が流れたためでした。


 千人の人の血を悪瘡に塗れば治癒するという迷信を信じて下手人が凶行に及んだというのです。


 たしかに吉継が不明の病気を患い、顔を蔽い隠していたのは事実です。


 だからといって、この犯行を吉継に結びつけるのは無理があります。


むしろ、彼の出世を憎む輩が、彼を“千人斬り”の下手人に仕立て上げたとみるほうが自然ではないでしょうか。


その後の関ケ原の際にみせる吉継の“男気”をみたら、吉継がそのようなことをする男とは思えないからです。

(つづく)


 

※サブブログで「織田信長の死」の謎をめぐる歴史小説(「花弁」)を連載しています(毎週木曜日)。そちらもぜひご覧ください。