ATMANの叫び -4ページ目

behind my back

 模様替えのつもりが掃除に取って代わられたのはことに当たって間もなくのことで、

今となっては模様替えの機運などどこ吹く風。それでも手狭なこの部屋を小なりとも

住み良くせんと意気込んで、要らぬあれこれを生まれながらにしてゴミとなる運命の

ゴミ袋にこれでもかと喰らわせた。

 思えば要らぬ物が多い。あれも捨て、これも捨て、不要な思いでも捨てられれば良かった

がこれはナカナカ粘っこい。時の流れが洗い流すかと期待もした。あるいは風が吹き飛ばすかと

バイクで彼方此方へ赴き風に逆らってみもした。塗りつぶさばよかろふと上塗りしたり、

火で炙ってみたり。全て徒労であった。南無。


 では実際その思い出したくないような要らぬ思い出を仔細に覚えているのかというと

テンデそんなことはなく、ほぼ忘れている。思い出せと脅迫されたとてぐうの音さえも

出ない。なんだ既に投棄せられたるではないか。が、喉に刺さった小魚の小骨のごとき

何かが時にイライラ工場、すなわちfrustration factoryをフル稼働させることがあるから

大いに困るものよ。合掌。

ぽじてぶしんきんぐ?

 世の中とか世間とか社会とかなんとか。まぁなんでもいいけど仕事をするにあたって

強烈に意識せられたるこの曖昧模糊とした観念の正体は一体全体なんなのかと思うことがある。

仕事をしようがしよまいが世の中はあるわけで、仕事をしていないからとて無視できる

ものではない。そして無視して良いということもない。無視できるならそれもよかろうが

凡夫には無理というものである。

 さて先日、とある方からお誘いを受けてナンチャラ開発セミナーなどどいう

およそ私には縁のなさそうなものに参加をさせていただいた。セミナーというからには

研究会ということであるからして実に興味深き情報を持って開発なぞをしてくれるので

あろうと期待して脚を運んだのであった。

 するとあれである。このセミナー、ビジネスマナーだどうのから始まり、

礼儀作法だの、ストレス発散法だのと色々分かっちゃいるけど案外分かってないことを

ご教授下さったのである。

「コレナはカナカありがたい話しではある。人が集まるのも頷けるというものよ。」

と得心していた。

 が、さわやかな笑顔を振りまきながら実に結構なことを先ほどから熱心に

語っておられる講師先生が社会で上手くやっていくにはポジティブシンキング

がなんだかんだと口走ったあたりから私の右眉がククイと上がって、

疑い深くネガティブであることを信条とするもう一人の自分が胡散臭そうに

かの先生を観察し始めたのである。

 師曰く、負の感情を正に転ぜばぽじていぶに生きることこれ可也。

まことにありがたいお言葉であった。して実践するにまずは鏡に己が顔を映しこみ

ニカと笑って手前を褒めることからやってみろとおっしゃる。

 嘘を申されているとは思わぬし、まさかまやかしでもなかろー。

鬱々とした暮らしぶりを快活なものに変えることは実に結構なことである。

にもかかわらず私の右眉は上がったままで、何か釈然とせぬまま家路に着いた。

ウーンと唸りながら鏡の前を通りかかったので除きこんでみると正真正銘の仏頂面である。

しばらく睨み合いを続けた後エイヤッと笑顔をこしらえてたが上擦ってしまって醜く酷い

有様であったので、やはりネガを無理やり捻じ曲げてポジにするというのはどうもポジティブ

なやり方ではなさそうなのでよした。Oh yeah!!!

パスタの戦慄

 今晩は何を喰らふてやろふかと思案し冷蔵庫を開けてみるとそこにはホールトマトと

タマネギ、食糧貯蔵庫にはパスタがあった。ミートソーススパゲッティを連想し、

次の瞬間にはもうタマネギを刻み始めていた。

 当時の、と言ってもつい先刻のことであるが、心境を鑑みるに私は相当に焦っていたようで

あるがそれは、なんとなれば空腹であったからだ。

なんとなれば今朝何も口にせず出かけたからだ。

なんとなれば出先でコーヒーとタバコしか呑んでいなかったからだ。

 慣れたつもりのぎこちない手つきでそれでも素早くタマネギを木っ端にしてやり、

その間に沸騰した鍋にパスタを投げ込み、次いで木っ端ネギとニンニク(これも

既に切っていたのである。我ながら素早いものであると関心す。)を軽く炒め、

胡椒や何がしかの調味料を降り注ぎ一丁前を気取った後に愕然としたのである。

 「ミンチがない!!!」

 当たり前のことであった。つまるところ当然であった。当前ではないが。

冷蔵庫にはホールトマトとタマネギ(とニンニク)、貯蔵庫にはパスタ、

それらがあったのみで私はミンチなぞそれが牛であれ豚であれ鶏であれ合わせであれ

ついぞ見ていないのであるからどこだどこだとあらぬ引き出しを引っ張ってみたところで

出てくるはずはないし、そもそも鼻からないのであった。

 この際致し方ないのでそのまま調理を続けたが、肉なしのミートソースを作るという

まったくもって矛盾したこの行為は、いつも右斜め後ろにいるもう一人の私が前に立つ

私を散々に罵倒するきっかけとなり、その罵詈雑言は私を苛んだが幸いにして出来上がった

肉なしミートソース、いやもうトマトソースだな、とにかくそれはさっぱりとした

春風のような爽やかな味で、それは右後ろも黙してしまうほどであった。


 慣れとは恐ろしいものであるという再認識を更に新たにした晩餐であった。

料理をするようになってしばらくになるが、初めのうちはおっかなびっくりでレシピから

手順はおろか野菜の切り方、所在無さげな左手の落ち着け方までネットで探して

読んで、読んでは細切れの何かを撒き散らしながらの作業を繰り返していた。

それがほんの一年かそこら、おまけに連日山盛り作っているわけでもないに

分かったような気分になって調べることを怠け、車の運転時にはやってはいけない

というだろう運転ならぬダロウ料理をするようになった。その結果がこの体たらくである。

 何をやってもいつまでも慣れぬというのも困ったものではあるけれど、

やはり慣れとは恐ろしいものである。万が一戦場へ銃を握り締めて行かねばならんと

なればやはり恐怖すると思う。撃たれるかもしれないことも撃たなくてはいけない

ことも恐怖である。しかるに歯の抜けまくった一年やそこらで一端を気取り、肉なし

ミートソースなどという訳の分からぬ奇態極まりない矛盾と混迷の料理をなして

なかなかどうして美味いですななどとのたまうような私はやはり間もなく

慣れてしまうであろうと思われるのだ。特に引き金を引くことには。

恐ろしいことである。