また『パトリオット・ゲーム』を観ました。
前回の感想はコチラ。
このところ、ジャック・ライアンシリーズ(と便宜的に呼ぶ)としての前作『レッド・オクトーバーを追え!』が、ずいぶん面白いと感じるようになりましてね。
そう思うようになった後で本作を観ると、つまんないとまでは言わないにせよ、そんなノリだったっけ?とチト違和感を抱くんですよ。
前作でライアンは妻子持ちである事が語られますが、一緒に過ごしているシーンは(確か)ありません。
これに対し、今作でのライアンはCIAの仕事は二の次に、あくまで家族ファーストな優等生の亭主となっています。世界の平和より家族の安全を優先する男に成り下がってしまった(?)のがどうもね…。
90年代、ライアンを演じるハリソン・フォードさんは、アクションヒーローにも感情はあるし愛する家族だっているはずだと常々言っていましたが、体を動かしてばかりではない、人間味のある役を演じたいという欲求から出た言葉なんでしょうね。90年代にハリソンさんが演じる役の多くには家族がいるのが、その証左です。
家族水入らずのシーンなんて要らない、前作のような純粋なスリラーorサスペンス映画を楽しみたい人にとっては無粋な要素かもしれません。
前作でのライアンはアメリカとロシアの間に生じる軋轢、ひいては戦争にまで発展しかねない状況を回避するため奮闘するような役で、作品としてもポリティカル・サスペンスの様相を呈していました。
それに対し、今作のライアンはIRA内の過激派の一人=ショーンに付け狙われる役で、ポリティカル=政的要素は薄くなっているんですよね。
あくまで個人同士の報復合戦というか、犯人に狙われる男のお話が中心になっていて、ジャンルすら違う感じがします。
ジャック・ライアン感に欠けるというか。
それ故か、ショーンが属していたIRA過激派の壊滅も、衛星からのサーモグラフをモニターで見てるだけで終わるという淡白な描かれ方で終わります。
が、神妙な面持ちでこれを見届けるライアンの表情には様々な感情が含まれているようで、これが秀逸。
実際に戦っている状況が定点カメラ等で映されるのではなく、生身の人間の命のやり取りが古いテレビゲームのような画面で記号的に表されるのは寒々しさすら感じます。ライアンもそんな風に思ってたのかなぁと。
ひたすらジャックへの復讐に燃えるショーンを演じるショーン・ビーンさん(ややこしい!)の悪役ぶりもいいですね。
個人的に、ゲイリー・オールドマンさんやウィレム・デフォーさんらと並ぶ、90年代を代表する悪役俳優だと思います。
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