『仮面ライダーストロンガー』を観終えました。
第1作『仮面ライダー』から見続けてきて、第7作となる本作でようやく、どうにか飽きずに一編を観終えられるようになりました。
というのも、仮面ライダーストロンガー=城茂というキャラの魅力によるところが大きいからだと思うんです。
これまでのライダーたちって常にシリアスというか、眉間にシワを寄せて敵を倒す事に躍起になってばかりのキャラでしたが(仮面ライダー2号=一文字隼人の軽い感じも序盤だけだったし)、茂の明るくカラッとした性格は従来のライダー像を見事に打ち破った、快男児と呼ぶに相応しい江戸っ子感が良いんですよ。
まさに僕らの兄貴、城茂!
そして茂が明るくいられるのは、相棒である電波人間タックル=岬ユリ子があってこそだと思うんです。孤独に飲まれて暗くならずに済んだというかね。
ユリ子とは掛け合いも面白く、一見すれば女だからってナメてるように見えますが、実際に弱っちぃんだから仕方ない(笑)。
けど、女だからってのが真っ先に来るのではなく、あくまで実力の差というのが大きな理由で、それを小馬鹿にしてからかう姿こそ男女対等な関係である表れなんですよ。お守りのごとく、常にユリ子に手を貸してやる方がよっぽど見下しているじゃない?
ユリ子もユリ子で、その辺には1ミリの負い目もなく(笑)、言われたら言い返すくらいに威勢がいいんだよね。女の部分を前面に出さないのも良いんです。
それ故、ユリ子の退場は残念ですね。せめて変身能力を失う程度に留めてくれればなぁ。
今作の白眉と言えば、最終回目前の数話。
けっこうな強敵だったジェネラル・シャドウが起ち上げた新組織デルザー軍団の脅威にさらされ、ストロンガーも割と苦戦を強いられます。
そこに先輩ライダーたちが現れるのは、今の目で見れば大した事ない展開ですが、”仮面ライダー1号からアマゾン”だけでなく“本郷猛からアマゾン(もしくは山本大介)”が揃う事は、今の目で見ればこそ奇跡に思えます。一堂になった彼らが目の中に入って来れば、おやっさんじゃなくても泣いちゃうよ。
昭和ライダーにできて平成&令和ライダーにできない、まさに”栄光の7人ライダー”と呼ぶに相応しいスペシャル感!
顔出しの出番はなくても本人がライダーの声を当てるのも真摯的というか、変身前と後で一体感も生まれますよね。平成ライダー映画によくある、その辺のアニメ声優を代役にして決めゼリフを言わせるのが寒くて寒くて…。
…ただね~、仮面ライダーV3=風見志郎を先輩として捉え、さん付けで呼んだり敬語を使ったりと、ライダーマン=結城丈二のキャラ変だけが納得できないんだよね~。復讐に燃えていた頃の近寄りがたい感じが抜けてしまっているのがさ~。
そもそも、あの場に丈二がいるのがおかしな話なんですが(笑)、瀕死の状態ながらも助かった丈二は志郎の手によって甦り、その際の改造手術が脳にも影響を及ぼし、ライダーとして敬うべき先輩であると認識するようになったんだろうと脳内補完でもするしかないよね。
とりあえず昭和ライダー1期は本作にて終了。
観終えて思うのは、昭和ライダーは本当に脚本が薄いというか文芸レベルが低すぎます。ジャリ番などと見下されてカチンと来るのは分かるけど、客観的に見ればそう言わざるを得ません。
それが証拠に、ウルトラマンシリーズにはドラマとして未だに擦られる名編(手っ取り早いところでは『怪獣使いと少年』)がいくつかありますが、仮面ライダーシリーズにはそれがないんですよね。まぁ、ウルトラもそれ以外のどうって事ない話が8割ですが(笑)。
事あるごとに、初期の仮面ライダーには改造人間としての哀しみが描かれていて云々とか御託を並べる年寄りは未だにいるけど(多くは平成ライダーのノリに順応できない妬みが発端)、それって何話のどこのシーン?と聞かれても答えられない人が大半だと思います。あったとしても、「これのどこで泣けちゃうの?www」みたいな感じになりそう。
個人的には『仮面ライダーアマゾン』の最初の数話くらいには、孤独や理不尽に苦しむ姿を見い出せましたがね。来日したアマゾンが早めに覚えた日本語が”バカヤロウ”なんて胸が苦しくなりましたよ。
にしても、幹部クラスの強敵のやられ方が呆気ないのも今作の見どころです。
記憶に残るのはパワーアップしたタイタンやマシーン大元帥で、前者は海に入っただけで(笑)、後者はただの生パンチで顔を殴られただけで大爆発してしまうという、あまりにも雑な死に方にはただただポカーン…。