観比べた、『八つ墓村』 | Joon's blog

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先日、BS11で『八つ墓村』が放送されていたんですよ。

「『八つ墓村』ねぇ……で、どの『八つ墓村』なんだい?」と、博識な人、正確にはメンドくせー人はそこが一番気になるところでしょう。

今回、放送していたのは古谷一行さんが主演のテレビスペシャル版(古谷さん主演の連ドラ版もあったらしい)です。

 

そういえば前に映画版='77年版と'96年版を録画していた事を思い出し、今回のテレビスペシャル版を加えた3作を見比べてみようと思い立ったわけです。

…ええ、ええ、我ながらヒマ人の発想ですよ(笑)。

 

東京で暮らす寺田辰弥は、祖父の言葉に従い故郷である八つ墓村に帰る事になる。

腹違いの父の実家である多治見家にやって来て早々、兄である久弥の急死に始まり、辰弥の周辺の人々が次々と殺される。

これらが何者の仕業なのか、八つ墓村の言い伝えにある落武者の祟りなのか? 金田一は謎多き連続殺人事件に臨み……といったお話。

 

…とまぁ、粗筋としてはこんなところですが、ディテールに関しては各作品により大なり小なりの差異があります。

公開形態や製作年の時代背景もありますから、これは仕方がない事であると同時に、どうせ新たな作品を作るなら”オリジナル要素”というより“アイデンティティ要素”を入れたいだろうし、あってもいいものだと個人的に考えます。

何しろ俺ッチは「原作改変は悪行だ!」とか大騒ぎしている連中を冷ややかに見下しているクチなのでね(笑)。映像化する事で原作が消滅するわけでもないのに、何をそこまでムキになれるんだろうな、あいつら(特に漫画&アニメバカたち)。

 

そんな各作品における手っ取り早いアイデンティティとしては、金田一耕助を誰が演じているかにあります。“石坂版金田一”だの”古谷版金田一”だのという一言を添えておくと話がスムーズでしょ?

今回観た3作では、お馴染みの古谷一行さん、渥美清さん、豊川悦治さんらが金田一を演じていますが……まぁ渥美さんはないよね(笑)。物腰を柔らかくして区別化を図っているのは見て取れるけど、どうしてもあのフーテンのキャラが染み付きすぎているのがね。

“横溝正史さん原作の角川映画”と聞くと、直感的に監督は市川崑さん、主演は石坂浩二さんという布陣を思い付くけど、『八つ墓村』に関しては石坂版金田一というのがないんですよね。『犬神家の一族』を市川監督でセルフリメイクするくらいなら、'96年版『八つ墓村』で金田一を石坂さんに演じてもらっても良かったんじゃない?

 

知名度の高さから、どうしても金田一は出ているだけで主役だと曲解しそうですが、1本の映画として見てみれば真の主役は辰弥です。

'77年版の辰弥って喋って欲しいところで喋らないし、モノローグすらないのがモヤッとします。あんまペラペラ喋らせない方が良いとは言え、そこまで言われてるんだから少しくらい言い返せよ!と思わせる箇所が多々あるんですよね。

ついでに言えば、もう少し若い人をキャスティングした方が良かったんじゃないかな。

 

ストーリーとして誰がどこでどう動くかが決まっているものですが、各作品を比較してみると、それぞれで動機や理由がバラバラなのが面白いですね。誰が誰をどう思っているとか、キャラの人間関係も各作品で異なります。

それが最も顕著なのが真犯人キャラで、あっちの作品ではああ思ってたのに、こっちではそんな風に思ってたの?みたいなね。

それを思うと、最も原作に忠実なのはどれなんだろう?

 

タイトルにもなっている通り、八つ墓村の景観は本作の世界観を表す重要な要素。周りを山に囲まれた盆地とか、よくあんな土地を探せたなと。

ちなみに、映画版2作で使われている多治見家は同一のものなんですね。'77年版のラストを考えると、どう撮ってたんだろうと…。

 

にしても、3作に共通する見せ場の一つでもある、多治見要蔵の乱心シーンはどの作品とも強烈ですね。

頭には一対の懐中電灯、日本刀だけでなく体に弾帯を提げ猟銃まで持っている姿は一見するとギャグっぽく見えますが、誰彼構わず&情け容赦なく村人を虐殺しようという表れに見えてゾッとします。

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こういうオモチャを買う層には、ああいう鬼気迫るシーンに寒気を感じないんだろうね。だって、本気で恐怖を感じるなら、こんな物騒な物は家に置けないだろう?

 

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さすがに古谷さん版のテレビスペシャルはありませんね。興味のある人はBS11の再放送を待ちましょう。