観た、『大魔神怒る』 | Joon's blog

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どんな傑作にも100点を、どんな駄作でも0点を与えないのが信念です

『大魔神怒る』を観ました。

 

千草家と、その分家である名越家は八雲の湖を挟む領地を抱え、領民たちも平和に暮らしていた。

山々に囲まれる領地を持つ御子柴[ミコシバ]家は湖から流れ来る水の恩恵で豊かに暮らす両家を疎み、御子柴弾正[ミコシバ・ダンジョウ]は千草家と名越家を襲う。

名越の娘である小百合はかろうじて逃げ延び、弾正に捕らえられた兄の勝茂、行方をくらました許嫁である千草の十郎の身を案じ、湖に浮かぶ神の島にある武神像に祈りを捧げる。

そんな折、弾正の配下である玄蕃は千草を探し当て、武神像を破壊してしまう。

勝茂や十郎は無事だったものの、弾正に捕らえられた小百合は火炙りに遭う。武神像はもうないが、自分の命を捧げてまでも平和を願う小百合の涙が頬を流れた時……といったお話。

 

『大魔神』の続編、シリーズ第2作です。

圧政を強いる為政者と苦しむ民、この関係を打破するお話は得てして痛快劇になり得る事が多く、我々のような小市民は現実がダブるせいかカタルシスを感じるもので、そこが受けたんでしょうね。

為政者を懲らすのが小市民(の代表者)ではなく、神というのも公平性を感じます。

 

便宜的に“続編”という言葉を使いましたが、続編にあって続編にあらずな内容です。

というのも、前作とリンクする点が大魔神のキャラ以外に何もないんですよ。シリーズを通して脚本は吉田哲郎さんという方ですが、こうまで他の作品と切り離してしまうの?と。

前作では“阿羅羯磨[アラカツマ]の魔神”と呼ばれていましたが、本作ではただ“神様”と呼ばれるだけで“魔神様”というワードすら出てきませんしね。

そこで思ったのは、『大魔神』シリーズとは日本各地に伝わる民話なのだろうと。だから各作との繋がりがなくても話が通じるんですよ。

怒りが収まった魔神は土や水や雪に姿を変え、その地を去ります。そして魔神の魂(?)は他の地にある武神像に宿る……とでも考えれば腑に落ちるかな?

 

そんな魔神様、今作では湖にある孤島の洞穴内に祀られています。

今作では水の神といったイメージのある魔神が怒り、湖を真っ二つに割り大地を轟かせながら歩を進めるシーンはインパクト大です(変なパースで水を差すのは古い作品ゆえのご愛敬という事で…)。

これに始まり、相も変らぬ怪力っぷりを発揮するだけでなく、神通力のような現象すら起こし、立ち向かってくる悪の軍勢を薙ぎ倒します。

んなアホなとも思うでしょうが仕方ないんですよ、だって神なんだもん

人間程度の力で敵う相手ではない、それほどまでに神とは畏怖すべき存在なのです。

 

これはシリーズ前作を通して言える事ですが、セットやミニチュアが実に精巧、かつ大きく作られているおかげで、否応なしに迫力を感じます。日本の、いわゆる特撮作品はこの辺がチャチぃという先入観をいちいち壊してくれますよ(そういう印象を植え付けたのは時間に追われながら製作されるテレビシリーズの特撮作品なんだろうな)。

中でも武神像が祀られている洞穴のセットとか、そんなにデカいの?と驚きすら感じます。

魔神が悪党を追い詰めるシーンはミニチュアとしてセットが作られていますが、魔神の大きさ(4~5メートル)にスケールを合わせているため、相変わらず細やかに作られているのが分かります。吹き飛ぶ屋根の瓦の多さと言ったら!

 

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Blu-ray版に収録されている、撮影を担当した森田富士郎さんのインタビューは俺ッチの買った海外版と同じ内容なのかな? だとすれば、作品に関する話題も少なく、技術的な話ばかりなので興味が湧くような内容ではありませんでした。

にしても、70年代辺りまでの予告編は心を浮き立たせるものがあるよね。