『ファイト・クラブ』を観ました。
家具や衣服を初め、ブランド品の収集を趣味としながら不眠症に悩むジャック。眠れない時間は重症患者の集いに顔を出し、彼らの仲間になったふりをする事で充足感を得ていた。
そんな中、ジャックの部屋で火災が発生。行き場を失ったジャックは、先日に知り合ったばかりのタイラーの元に転がり込む。
自分を殴れというタイラーの誘いに乗ったジャックは、その時の爽快感を忘れられず、二人は娯楽として殴り合いをするようになる。その様子を面白がる野次馬も混ざるようになり、タイラーは男たちが素手で戦うファイトクラブを発足。その存在は口外しないという規則の下、メンバーは徐々に増えていく。
ある日、タイラーは石鹸作りを始め、クラブのメンバーをこれに参加させる。メンバーが従順になるのをいい事に、徐々に思想が過激になるタイラーを止めようとするジャックだったが……といったお話。
一見、アングラ闘技場で闘う男たちを描いた作品に思えますが、観進めていくと、前半とはジャンル違いの作品に変化していくのが分かります。
ブランド品を買い集めて愉悦に浸るようなジャックが徐々にその考えを改め、別の方向で生きる充足感を実感するようになるという、物質主義者からの脱却を描く話かとも思えば、そうではない。
さらにそうでもなく……最終的にはホラー要素を多分に含んだ作品と捉えています。
現代では個人の思想があまりにも多様化し、それが世間一般的な考えではないにしても、一定数の同意を得られるという現象が増えています。
基本的におかしな事を言ってるけど完全に間違ってはいない、もしくは誰もが心の奥底で思っている事を明け透けに言葉に出して有名になる人ですね。普通ではない(どころか突拍子もない)意見を述べる事で目立とうとするというか。
そして、そういった発信をし続ける人、今風に言うところのインフルエンサーに心酔し、善悪の見境なく盲目的に従順する人が次々と現れる――この図式って、まさに本作におけるタイラーとファイト・クラブのメンバーとの関係じゃないかと。
ある程度のシンパシーを感じて気脈を通じるようになるのはいいにしても、その人の言う事を全て真に受けてしまうのは、まるで意思のないロボットのよう。「彼の名はボブ(ロバート)・ポールセン」と復唱する画なんか、まさにそれですね。
元々ファイト・クラブのメンバーは、普段はうだつの上がらない生活を送っているような人たちだから、大した信念もなく流されやすい性質なんだろうね。
本作は1999年の作品ですが、令和になった現代であるほど、カリスマ性のある俳優を主役にして作られていたら、これをカッコイイと捉えて模倣するバカたちが現れていたんだろうなぁ(笑)。
メディアによって、エドワード・ノートンさんが演じる役は“僕”(とか“ナレーター”)と紹介されますが、なるほど的を射ていますね。“ジャック”と呼ばれはするものの、こちらは便宜的に使う名前です。
それなりに悪役を演じていはいるものの、ジャックを演じるノートンさんには優等生的なイメージがあり、ジャックがどんどんどん底に落ちていく様も見どころの一つです。
身なりや言動もキチンとしていたジャックがタイラーに感化され素行不良になっていく、特に会社でのシーンは見もので、会社でよく顔を合わせる人があんな風になったらどんな顔をすればいいんだよと(笑)。
でもやはり優等生イメージは払拭できず、最後に残された良心キャラとして機能してくれます。
久々に観返しましたが、以前に観た時の記憶が薄れすぎていたせいか、こんなに深い話だったっけ?と目からウロコ状態。また観返す機会が増えそうな作品です。
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Blu-ray版は10周年記念仕様だそうですが、映像特典にはそこまでのゴージャスさは感じません。音声解説の字幕も、いつ誰が喋ってるのか分かんないのが不親切ですね。
ディスクを入れて、いつもの鬱陶しい免責事項を終えて、やっとトップメニューに……えっ?となる人が大多数でしょうが、とりあえず10秒は冷静に待とう!