観た、『ゴジラ』(1954) | Joon's blog

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『ゴジラ』を観ました。1954年の初代のやつです。

 

小笠原諸島沖で立て続けに貨物船が沈没し、遭難者の一人が大戸島の漁村に漂着する。不漁に悩まさている折に流れ着いた遭難者の言葉から、老人はゴジラの言い伝えを思い出す。

その後、大戸島は嵐に見舞われるが、あまりにも甚大な被害は雨風によるものだけではなかった。尋常ではない状況を調査するため、政府は古生物学者の山根らを大戸島に派遣する。

調査のさ中、山根らは巨大生物=ゴジラを目撃。ゴジラは嵐に紛れて大戸島に上陸していたのだ。

政府が山根の助力を得ながらゴジラ対策に乗り出す中、ついにゴジラは東京に現れ……といったお話。

 

巨大怪獣が登場する作品は多々観ている俺ッチですが、怪獣が主役となる、いわゆる怪獣映画にはあまり興味を感じません。

怪獣を倒すヒーローがいないとカタルシスを感じないだけでなく、どうも怪獣VS人間ではチト無理があるように思えるんですよね。

『ウルトラQ』が好きなんだから、そういう対決構図が受け入れられるはずなんですが…。

 

何の意思も読み取れないまま文明を破壊するという意味において、人間にとってのゴジラとは新しい自然災害と言っても過言ではありません。

が、ゴジラは自然災害に見えて、実は水爆実験が招いたものだったようです。

そこでもし巨大ヒーローが現れてゴジラをやっつけたとすれば、そこで事態は収拾するものの、人類は舌の根も乾かぬうちに新たな兵器の開発を続けるでしょう。

つまり、ゴジラとは人間が自らが招いた存在とも言えるんじゃないかと。

身から出た錆であるからこそ他力本願のごとくヒーローに頼るのではなく、人間の自らの手で解決すべき問題なんでしょうね。

 

ゴジラによる被害は広がり、東京は火の海と化しますが、政府が撃退や抹殺を試みる中、生物としてのゴジラを研究したいという山根だけはこれに難色を示す。

“大勢の命より自分の知識欲を優先したがる専門家”というキャラは、後年の作品にもウンザリするほど登場しますが、山根はその先駆者たる存在ですね。

本作が公開された1954年という時代性もあってか、山根の場合はそんな思いを近親者に打ち明ける程度に留めておくのは、今の目で見れば実に慎ましいですね。一応は空気を読んで、同調圧力に屈してしまうのが生々しいんです。

 

ゴジラを打倒する唯一の切り札=オキシジェン・デストロイヤー。

発明者である芹沢博士は、もしこれが世界に出回った時の事を懸念し、人の目に触れる事を極度に恐れています。研究所に閉じこもっているのは、そういう理由なのかもしれませんね。本心としては見せびらかしたいんだろうけど(笑)。

芹沢のように無二の発明をしておきながら、たとえ恐るべき能力を持つものであっても、良心の呵責から世間に公表しない研究者もいるし、そんな陽の目を見ない発明品が我々の知らない所で多々作られているかもしれないんですよね。

それを知らずにいられる事とは、一種の平和なのかもしれません。

 

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1954年の作品という事で、モノクロというのもいい雰囲気なんですよね。

そして、モノクロ作品は夜に観るべき!