観た、『機動戦士ガンダムⅡ 哀・戦士編/特別版』 | Joon's blog

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『機動戦士ガンダムⅡ 哀・戦士編/特別版』を観ました。

 

ジオン軍の追跡をかわしながら、ホワイトベースは地球連邦軍の本拠である南アメリカのジャブローを目指す。

ランバ・ラル隊の追撃の中、自分の存在を軽視されたアムロはガンダムごとホワイトベースから脱走する。逃げた先でラル本人と対峙し、その人間性に不思議な魅力を抱いたアムロには戦士としての自覚が芽生え始める。

数多の戦闘や仲間の犠牲を乗り越えながら、ホワイトベースはようやくジャブローに到着する。

そして戦場への復帰後、密かにホワイトベースを追ってきたシャアはジャブローへの総攻撃を開始する……といったお話。

 

初代ガンダムの劇場版第2作(の特別版)です。

総じて未熟だったホワイトベースの面々が自分の立場を自覚→覚醒する姿が多く描かれます。

アムロやカイはもちろんですが、地味~にセイラやハヤトも戦士として成長しているんですよね。

ブライトも仲間の犠牲を乗り越えようと頑張ったはずなんですが、劇場版では克明に描かれていないのが惜しかったかな。

 

今作のキーパーソンであるランバ・ラルは、あるいはシャア以上に魅力があるライバルとして語り継がれています。別名、“理想の上司は?”といったアンケート結果に挙がる率の高い人ですね(笑)。

にしても、アムロとラルが邂逅を果たす食堂のシーンは、今観ても深い見せ方をしているなぁと。アムロのポンチョをめくるシーンとか、何だこの緊張感はよ。

70年代末期、まだまだアニメが“テレビまんが”とか呼ばれていそうな時代に、こんなコンテを切る斧谷稔のセンスはさすがだ……富野由悠季さん、そう思うでしょ?

 

今作の魅力は主題歌にもありで、『哀戦士』は今聞いても燃える名曲です。

劇中での使いどころも絶妙で、相乗効果というか、本作を見た人なら誰もが好きになるんじゃないかな?

本作を見た上であの歌に熱くなれない男は、男としての何かが不足しているぞ!と断言したいくらい。

――そんな『哀戦士』ですが、この『~特別版』において、オリジナル版とは全く違う使われ方に不服を感じている人は過半数を占めていると思います。

…けど、少し客観的にオリジナル版を見てみれば、1本の映画の中に主題歌が2回も流れるのは、ちょっとした異常事態です(インストゥルメンタルであればセーフでしたが)。1話内で何回も主題歌が流れる昭和の変身ヒーロー作品のノリですよ。

いっぱしの映画を目指すなら主題歌を流すのは1度だけ、ならどこで流すのが的確か?となれば、ああするしかなかったのかなぁと想像します。

とは言え、オリジナル版における最大のカタルシスとも言っても過言ではない(と捉えている観客が圧倒的に多い)シーンを改変しちゃっているんですからね、『~特別版』の評価を低める大きな一因となっても仕方ないと思います。

あそこで流すからこそ、あの軟弱者の株が一気にハネたというのに…。

 

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主題歌の件を鑑みれば、やはり『~特別版』は余興程度の扱い(や評価)になってしまうのは仕方ないものの、とりあえず一見して見識を広げるのもいいかもしれません。

 

『~特別版』が黒歴史として葬られる未来を想像できる人は、確保しておいていいんじゃないかな?