これを扱っている本屋は少ないし、見掛けたとしても入荷数が少ない(だろう)から、気安く立ち読みする連中によって品物の状態を悪化させたくないという意味で、世に知られないよう、極力ヒットしないようテキストとしては記しませんが、こういう本を買っています。
本の内容は誌名のまんまです。
今月号に載っていた事で、チト引っ掛かる事があったので、ひと言ふた言を…。
多くの映画のポスターや映像ソフトのジャケット等には、作品に携わるスタッフ&キャストの数名の名が記載されています。
その多くは主演俳優と監督で、世間一般の人間が話の種として盛り上がれるような人たちの名前です。
そこに、「どうしてそこに脚本家の名前を載せないんですか、載せてよ!」と、声を大にしたのが日本シナリオ作家協会という団体。
なんでも、映画の著作権法の第19条には脚本家名を表示させる規則があるのに、これを載せないのは脚本家を軽視している。物語や台詞を考える脚本とは作品の設計図であり、脚本があるからこそスタッフ&キャストが集って映画を創れるんだぞ?という言い分。
――そんな申し立てを、映像制作会社200数社に送ったようです。
…もうね、何言ってんの?と。
確かに、映画(いわゆるテレビドラマも“テレビ映画”ではある)には物語が必要です。
それ故、物語を考える脚本家がいなければ、“映像”は作れても“映画”は作れないのも分かります。
そこから、いざ映画を作ろうとなった時、それぞれの分野に長けた人材を招聘しますが、ここで真っ先に必要なのは製作者=プロデューサーではないでしょうか?
どんな人材をを集めたって、商業として映画を創るにはお金がなければ何も始まりませんから、これを調達する製作者は不可欠な存在ですし、監督より重要なポジションであると考える人も少なくありません。
製作者だけに留まらず、出演者はもちろん、美術やら音楽やら撮影やら、それらがなければ映画として成立しない職種は多々あります。
それらを差し置いて、俺が俺がと前に出ようとする日本シナリオ作家協会って、主義&主張が強すぎるというか、しょっちゅうメンド臭い事ばっか言ってますよね。
今回だけに限らず、芸術&文芸界のタカ派に絡まれてウンザリしている製作会社や配給会社は少なくないだろうと察します。
今の日本で知名度の高い脚本家と言えば三谷幸喜さんと宮藤官九郎さんくらいなものでしょうし、世間一般の人々に日本の脚本家を挙げてみて?と聞いてみても、下手すればこの2人以外の名前が出るのか怪しいものです(笑)。
俺たちももああなりたい!と脚本家の地位向上を求めて、いつまでも日陰で慎ましくしていられないという気持ちも分かりますが、他の職種を蔑ろにしてまで上に昇ろうとする姿は身の程知らずの青二才みたいでみっともなくすら感じます。
映画って誰のもの?と聞かれたら、真っ先&無遠慮に手を挙げちゃうんじゃない?
ついでに言えば、映画の責任は自分たちにあると豪語しているけど、いわゆるコケた作品に関して、監督や主演俳優の陰に隠れて世間の批判を(あまり)受けずにいられる幸運に気付けているんでしょうか? ああいう場に名前を連ねるには、並外れた勇気と重すぎる責任が必要なのは容易く想像できそうなものなのに。
売れればヨシですが、売れなければ製作者の名前が挙げられた上で一気に知名度が上がります。今の時代だからこそ、悪い話題はよく盛り上がるものですから…。
なので、客観的に言えば、“言いたい事は分かる。分かるけど…”といったところ。
仮に今回のシナリオ作家協会の言い分が通ったとしたら、他の職種の方々だって後に続きますよ。
脚本家にはギャラの未払いが多いらしく、そういう悪習こそ脚本家が軽視されている表れでしょうから、何かしら声を出していかなきゃ改善に至らないのは分かりますが、
自分だけは特別だと思い上がるのはチトおこがましいと感じますね。
だって、映画とは数多の才能が寄せ集まった総合芸術なんですから…。
以上、映画業界に身を置いた事もない、純粋に娯楽を享受するだけの側の人間の雑感でした。