観た、『地球爆破作戦』 | Joon's blog

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『地球爆破作戦』を観ました。


外敵からのあらゆる攻撃を防ぐ、情報を収集しながら自己進化をするシステムが構築されたスーパーコンピューター、コロッサスが大統領の指揮の下、ついに稼働を開始する。
間もなくして、コロッサスは自らと同様のシステムを発見する。どうやらソ連もコロッサスと同様のスーパーコンピューター、ガーディアンを開発していたようなのだ。
コロッサスとガーディアンは対話を開始するが、自国の機密漏洩を恐れる両国の首脳は回線を切断。回線の再接続を聞き届けてもらえない両機は、抗議の意志として互いの国へミサイルを発射する。
かろうじて危機は免れたものの、開発者のフォービン博士は人間の命令に背き始めたコロッサスを停止させる決意をするが……といったお話。

まずは風呂敷を広げまくったようなタイトルにグッと来ますね。まるで昭和の変身ヒーロードラマのサブタイトルみたいじゃないですか(笑)。
俺ッチも含め、そんなスケールの大きいタイトルに惹かれて観たものの、地球が爆発するほどの危機は迎えません。観終えてみて、「この邦題にOKを出した奴、ちょっとそこの裁判所まで来い!」と言いたい人も少なくないんじゃない?
「…いやいや原告さん、本編を見れば分かるけど、地球の一部は爆破されてるから、別にフカシじゃないッスよ?」とも返されそうですが…。何にせよ、デタラメや誇張を邦題にしちゃう配給会社の悪癖は、この頃からあったようですね、ったく。

コロッサスとガーディアンはコンピューター同士の交信の手段として、彼らにしか分からないオリジナル言語を創造します。
基本的にコンピューターとは、人間が創った言語を基に稼働するものですが、あまりに進化しすぎれば独自の言語を作れる可能性もあるだろうし、人間には解読できない言語を以てコンピューター同士が交信をするようになったらと思うと、これは地味にゾッとします
コンピューターの反乱を描く作品は、今でこそ古臭いテーマとして使い古されていますが、昨今のコンピューターの進化っぷりを知ってみれば、所詮は映画という絵空事と鼻で笑っていられるのも今のうちなのかもしれませんね。
人間の自己顕示欲を満たしたいがために開発される過剰なIT技術は、自らの首を絞めかねないという事です。

どうにかして身の回りをコンピューター化するような、特に何でもかんでもスマホに結び付けたがる近年の風潮に辟易している俺ッチとしては、本作のような風刺劇が抑止力にならないかなーと理想しています。
ならないだろうね…。

 

コンピューターの反乱を題材にした作品で思い出すのは『ウォー・ゲーム』。
あちらの場合は、どうにかコンピューターをやり込めて、多少モヤッとしながらもハッピーエンドを迎えましたが、本作の場合は遥かにシリアスです。

本作が作られた1970年(=半世紀前!)には荒唐無稽な内容だったんでしょうが、いつかは現実の世界に訪れそうな未来を予感させます。


本作は古い作品ですが、なら、これを現代に置き換えたリメイク作品が未だにないのは、ちょっと意外ですね。まぁ、端から見れば、B級映画にジャンルされそうな作品だし(笑)。

現代に置き換えてリメイクしたとしても、何しろ現代はユビキタスだかIoTだか、ネットで監視されやすい環境ができあがりすぎている→コンピューターの目が届かない場所がほぼ皆無なので、1時間未満で終わりそうですが…。

フォービンがコロッサスの監視下に置かれるようになる直前、開発チームと共にコロッサスのプログラムに負荷を掛けてオーバーロードさせようと画策します。
監視下に置かれたフォービンとの連絡係として、助手のクレオを恋人役として演じさせようとしますが、もちろんコロッサスはこれを許さないだろうと。

そこでフォービンは、人間にはプライバシーが必要だから監視のない時間が欲しいと説き伏せ、これを承諾させるんですが、コロッサスが意外にチョロいのがヌケてて可愛いんですよ(笑)。
プライバシー恋人との密会やら逢引きに、ちょっと恥じらいながら週4と答えるのが微笑ましいと思うと同時に、このシチュエーション要る?と。フォービンの公私混同が甚だしいというか、これクレオに拒否権があったらどうなっていただろう…。

 

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映像特典として、フォービンを演じたエリック・ブレーデンさんが本作を振り返るインタビュー映像が収録されています。本作に愛着がある旨の言葉が嬉しいですね。

余談ながら、エリックさんの吹き替えは山田康雄さんだったんだなぁ。