観終えた、『機動戦士ガンダムZZ』 | Joon's blog

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どんな傑作にも100点を、どんな駄作でも0点を与えないのが信念です

『機動戦士ガンダムZZ』を観終えました。

 

駄作と認識される方が多い本作ですが、確かにしょーもねぇ点もあるけど秀逸な点も少なくない。むしろ、そっちの方が遥かに多い。

腐ってもガンダム作品、それなり以上に作り込まれていて、見応えは感じました。

 

この手の連続アニメは、回によって作画の出来不出来が討論(した上で評価が下がる)されがちですが、それ以上に、回によってチグハグ感があったのは、脚本です。

『ZZ』という作品を貶めているのは、こういう一貫性のなさも理由の一つなんじゃないかなと。脚本家間での打ち合わせや引継ぎがまるでできていない、昭和アニメの悪しき風潮はここにもあります。

あ、「あのモビルスーツの持ってる武器が前回と違う!」なんてレベルの話をしちゃうような子の意見は無視ですよ。

 

分かりやすいところでは各キャラ同士の呼び方。

これはプルに多かったんですが、プルがジュドーを呼ぶ場合、基本的には“ジュドー”ですが、“ジュドーお兄ちゃん”だの”お兄ちゃん”だのとコロコロ呼び方が変わる。強化人間の情緒不安定さを表す演出の一つなんでしょうか(笑)?

 

最もストレスを感じた点として、回によってキャラの行動原理がコロコロ変わるのも腑に落ちなかったですね。特にビーチャ。

戦う理由を見い出せずに出撃を渋っているビーチャが誰だったかに説得されて、天邪鬼な態度ながらも百式で発進するシーンがありました。ビーチャはクズだと言われがちだけど(笑)、状況に流されて易々と行動しない、一番自分に正直なだけのキャラだったんだと気付きました。善行キャラになってきてもいるし、徐々に印象も良くなってきました。

…が、回が変わると、ルーを好いているグレミーは攻撃をしてこないという発想から、ルーの乗ったコアファイターを盾代わりに使うような非道っぷりを披露しちゃうんだから、何かもう、ね…(笑)。

 

これはシリーズの脚本として一貫していた上で評価すべき点ですが、ナレーションの役割をジュドーが担当していて、あくまでジュドーの言葉として説明するのが良いですね。

本編開始前の、前回の粗筋を説明するくだりとか、ジュドーが綴った日記みたいで好きです。

 

これはガンダムどころか、ロボットアニメ史上においても稀有なケースですが、モビルスーツとパイロットの組み合わせがそこまで固定化していない点は新鮮ですね。

シリーズ中盤の、地球に降下→ダカールに向かうあたりが特に顕著で、今回は誰がどれに乗るのかとか、ちょっとした楽しみにもなりますよね。

ロボットの操縦が巧いだけでニュータイプと思いがちですが、出撃する際、各人で状況を判断してMSを使い分ける能力もニュータイプたる証に思えます。

何しろ、子供はみんなニュータイプだからな!

 

無駄にゲスト回が多いのも『ZZ』の特徴です。

リアルタイムで見ていた当時であっても、この回は必要なのかな?と感じた記憶がありますが、その思い込みは間違いではありませんでした(笑)。

けど、多少は客観視できるくらいに熱が冷めた今に見直してみると、シリーズ全体的にはどーでもいい話ながら、単発のお話としては味のある回も少なくありません。初代で例えるなら、『時間よ、止まれ』とか『ククルス・ドアンの島』ですね。

使い捨てゲストも多々いましたが、その後どう過ごしているかが気になるキャラも少なくありません。

『装甲騎兵ボトムズ 幻影編』よろしく、戦中に知り合った人たちの陣中見舞いに行くなんて外伝があっても面白そうですね。戦後はどうせ暇であろうビーチャとモンドあたりが主役で……って、漫画なら要らねーですよ?

 

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ちょっと見てみるか程度のテンションでは、↑のような高額商品を買うのはバクチに近いから、どっかの無料配信で試しに見てみるのが良いんでしょうね。

本作も立派なガンダム作品ですから、サーガの一つとして捉えるのであれば、コレクションに加えておくのもいいかもしれませんね。