観てます、『機動戦士ガンダムZZ』~『泣き虫セシリア』 | Joon's blog

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どんな傑作にも100点を、どんな駄作でも0点を与えないのが信念です

“ガンダムシリーズ最大の駄作!”なんて思い込みをしていたのも、若さゆえの過ち。

いい歳こいてから見直すと色んな発見があって、意外に面白い『機動戦士ガンダムZZ』。

コンスタントに、もう21話まで観終えちゃったもんね。見飽きてないという、いい証左です。

そんな21話、『泣き虫セシリア(後)』はイッキ見をストップさせるくらいの破壊力がありまして…。

 

月に寄港したアーガマ。

半舷上陸でフォンブラウン市に降りたトーレスは、ピザ屋で働く幼馴染みのセシリアと久々の再会を果たす。

しかしセシリアは、裏ではアクシズのスパイとして働いていて……といったお話。

 

リアルタイムで見ていた当時、『ZZ』って1話こっきりの使い捨てゲスト回が多い→シリーズ全体としてどうでもいい話→いわゆる“捨て回”ばかりで、小説版『Z』が5巻まであったのに対し、だから『ZZ』は2巻で終わったんだと思っていました(あながち間違いでもないだろうけど)。

そんな捨て回を拾って自己解釈で話を広げるような、あざとい商法もありますがね、ムーン・ムーンが舞台の漫画とか(笑)。

本作の『泣き虫セシリア』とは、本来であれば捨て回と見なしてもいい回だったはずだったんですが…。

 

家族を養うため、金を目当てにスパイ行為をする民間人の女性――多くは初代ガンダムの、ミハルのエピソードを思い出しますよね。

パクりとか二番煎じだとのたまう人もいるでしょうが、個人的にはあっちより重みがあるように感じます。

ガンダム史上、最も重っも~い回と言えば?と聞かれれば、この回は確実に候補に挙げますね。

 

初代の方の、ミハル自体には残念な結末が待っていましたが、カイ・シデンが精神的に大きく成長する功績を残した、正確には斜に構えた根性がずいぶん矯正された(笑)という意味で、物語全体としては前向きに捉えられるお話でした。

こちらの方もジュドーの成長に関わる出来事ではあったものの、後味は良くないですね。ジュドーが最終回までにセシリアを思い返す事もないだろうし。

 

ミハルは家族を養うために気丈に振る舞える人でしたが、同じような立場にはあるものの、セシリアはいくら頑張ってもそうなれません。ミハルのようなしたたかさは皆無で、“泣き虫セシリア”と呼ばれるだけあって、しょっちゅう泣いています。

いくつか感想ブログ等を覗いてみれば、セシリアは泣いてばっかでウザいとか、泣く事を免罪符代わりにしているとか、さすがは荒んだネット社会よ、冷たい意見が多くて軽く目眩がしますね(笑)。

――なら、そんな事を言っている連中よ、君らはスランプに陥る時はないかい? やる事なす事、全てが良くない方向に向いてしまう事はないかい?

セシリアは、そんな状況の代弁者たるキャラに思えるんですよ。

嫌な事や辛い事が重なる時、俺ッチには多々あります。そんな時の自分を思い出せてしまうが故、セシリアには同情の念を向けてしまいます。

「そんな苦境に陥る事はないし、逆境は自分の力で打破するのが当然だ!」と思えるくらいの強い人にとっては、この回は“捨て回”と見なしていいと思います。

 

本当に弱い人間は、自分の弱さを克服できないどころか、克服の手段を思い付けません。

だからこそ、そんな弱みに付け込むような悪事の誘いにも乗ってしまうし、運にも見放されてしまう。

苦しく、逃げられない人間(家族)関係にある反動から他人に愛されたいはずなのに、媚びてばかりいるのを見透かされて孤独になってしまう。本人は至って必死&真面目なのに。

セシリアって、生まれつきに不幸を定め付けられた人だと思うんです。

そんなセシリアがこのままじゃイカンと一念発起するものの、その発想すら間違っている事に気付けないのも、もはや不幸。

英雄的な行動を取った挙句にセシリアは去っていきますが、短絡的な勇気ながらも、本当はトーレスに褒めてもらいたかっただろうね…。

 

本作は前後編ですが、後編は作画レベルも高い方で、キャラの表情=芝居にも感情移入しやすいです。作画監督が神村幸子回でなくて、つくづく良かったですよ(笑)。

特にラスト、セシリアの明るい未来を信じるトーレスのアップとかよく描き込まれていて、さらなる虚無感に苛まれます。

 

“明るいガンダム”よ、いずこに…

 

 

☆ 追記 ☆

この記事、当ブログの中ではやけにアクセス数が多いという謎が発生中です。令和の今にセシリア人気で盛り上がってるとかはあり得ないけど(笑)。

まぁ、ここまで一読してくれた方々は、少し優しい気持ちになってセシリアを送ってあげましょう…。