観た、『デス・レース2000年』 | Joon's blog

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『デス・レース2000年』を観ました。

 

西暦2000年のアメリカ連邦。

大統領の宣誓の下、今年も行われようとしている大陸横断レース。それは人間を轢き殺して点数を稼ぐという死のレース。

参加するチームは5人。そこには幾度となく重傷を負う度に復活するフランケンシュタインや、ライバルのマシンガン・ジョーらが名を連ねていた。

いよいよレースは始まり、着々と点数を稼ぐレーサーたち。その影では、独裁的な管理社会を打破しようとするレジスタンスがレースの妨害に躍起になっていた。

レジスタンスのスパイであるアニーはフランケンシュタインのパートナーとして車に同乗するが、彼には優勝せねばならない目的があり……といったお話。

 

語れるほど詳しくはありませんが、本作のプロデューサーであるロジャー・コーマンという人は、いわゆるB級映画の帝王と呼ばれているそうです。

アニメに出てきそうな奇怪なデザインの改造車でのレースという事で、いかにもB級作品、『チキチキマシン猛レース』の実写版かよ?と嘲笑いがちですが、実際に観てみると、B級な見た目に反して(笑)、皮肉や風刺の利いたテーマは立派にA級作品に思えます。

 

レース自体に問題はありませんが、車の進路上にいる人間を轢き殺して点数を獲得、その上で子供や老人は高得点というルールのみならず、そんなレースに国民が歓喜しているんだから、なかなか狂った世界観です(笑)。

ただ、これを真っ向から不道徳だと断罪するのも難しい話で、何しろ現実の世界でも痛い思いをしたりorさせたりする戦い、つまり暴力行為をスポーツとして、公然として許容されているんですから…。

度合いは違えど暴力には変わりない。なら、どの程度までがスポーツとして許される暴力なんだろう?と考えさせられますね。

…あ、個人的には、プロレスはスポーツとはチト違うと思ってます(笑)。

 

そんな、一見すれば狂った未来世界に思えますが、これを理想としたい気持ちも、僅かながらありまして…。

本作は1975年当時の作品。今や作中の設定から20年も過ぎていますが、そんな未来の世界では“ぽりてぃかる・これくと”やら“こんぷらいあんんす”なんて言葉が横行し、人類の数多ある娯楽を規制しつつあります。

モニターやスクリーンの中で行われている不道徳や不謹慎を現実と地続きだと思い込んでしまうような、虚実の境が付かない病人と、それに乗っかり、自分が嫌いなものを執拗に排斥しようとするアナーキストが増殖してしまったせいです。

人間なら誰しもが現実には実行できない欲求を秘めているからこそ、現実に近い形で我々の欲求を満たしたり、鬱憤を晴らす姿にカタルシスを感じさせる、それが劇の機能や役割であると思っています。

ラスト、殺人レースのレポーターであるジュニアが、暴力の根絶を図ろうとする新大統領の前に立ちはだかって、必死でレースの継続を懇願する姿は、本来なら皮肉の対象として滑稽なシーンのはずなんですが、まさかジュニアに肩入れできる人間が現れるという未来は、当時は誰も予想できなかったでしょうね。

 

…おっと、気楽に見る程度の作品だったのに、意外に深いモンだから、大いにマジに語っちまったぜぃ(笑)。

↑のように、無意味にクソ真面目に考察するのは余興、かつ無粋な行為なので、酒でも飲みながら見よう!

 

一見すれば変なデザインの車ですが、1周回ってカッコ良く見えるように……は、なりません(笑)。

あくまで自己主張のための存在意義、ベクトル的にはデコトラみたいなもので、個性や主張を表したようなものなのです。角だの牙だのマシンガンだのを装着したところで実用する事はなく、本当にただの飾りなんですよ。これらを実用していたらB級じゃなくなっていたかもしれませんね。

大統領すら関わるような国を挙げての催事なのに、そんな車(とレーサー)がたった5組しか参加していないあたりにB級臭を嗅ぎ取れますね(笑)。

 

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…はい? 何です、この狂った値段は?

キングレコードの廉価版キャンペーン『死ぬまでにはこれを観ろ!2018』の時に買ったんだけど、今年は本作はラインナップされていないようですね。

本作は元々カルト映画で有名な作品。こういうプレミア値段が付く背景にもなっているとは言え、嫌な風潮だよねぇ。