『ウルヴァリン:X-MEN ZERO』を観ました。
19世紀半ば。ジェームズは拳から生えてきた鉤爪を、ビクターは鋭利な爪を持つミュータントの兄弟。
近代まで生き延びた2人は、その特異な体質を活かし数々の戦争に参加する中で、ストライカー少佐が編成する特殊部隊にスカウトされる。しかし、無用な虐殺を繰り返すやり口に嫌気がさしたジェームズは部隊を去る。
6年が過ぎ、ジェームズ=ローガンはケイラと共にひっそりと暮らしていた。
しかしケイラが殺され、その手口からビクターを探し当てるも、返り討ちに遭ってしまう。
ビクターを倒すため、ストライカーが提案する超硬物質アダマンチウムを体に埋め込む手術を施されるローガン。しかし、ストライカーの企みを知ったローガンは脱走し、単身ビクターを追うが……といったお話。
ご存知、X-MENシリーズのスピンオフ作品。
どうも世間ではウルヴァリン推しの風潮が強いのか、もしくはヒュー・ジャックマンさんがそんなに見たいのか。
でも、本作を含めたX-MENシリーズを見てみれば、その存在感は一目瞭然。
X-MENが映画化される際、ジャックマンさんをウルヴァリン役に据える事に懸念を示す人が多かったものの、いざフタを開けてみれば御覧の通り。シリーズも3作まで続いたし、しかもこうしてスピンオフまで作られたんだから、ジャックマンさんのハマり役であり、当たり役である証左ですね。
そしてもちろん、戦闘服はタンクトップで決まりだ(笑)!
まだ年端も行かないミュータントたちがストライカーに捕らわれますが、本編を知っている人なら、見覚えのある能力を持つ子がチラホラいる事に気付きます。
ここで明確に名前を出さず、サラリと見せるだけに留まっているのが上手いんですよね。
ところで、本作のウェイドはデッドプールだそうですが、この人はスピンオフ作品があるあの人なんでしょうか?
あちらはオチャラケっぽい作品のようで、こっちでのキャラとは違和感があるように思えるんですが…(それ故、見るつもりがない)。
余談になりますが……本作より遡り、当時『X-MEN』が(実写)映画化されると知って、真っ先に思ったのは、
この格好でやらせるんですか?と(笑)。そうでなかった事は周知の通りですが。
これと逆に、この手の作品を実写映画化する際、↑の恰好でやらせてしまいそうなのが日本の映画。
原作通りの衣装を着て、わざわざ変な髪の色にしたり瞳の色を変えたりと、見た目の再現に必死なんですよね。「漫画と目の色が違う!」なんてイチャモンをスルーできるくらいのゆとりもないのかよと。
例えばX-MENシリーズのウルヴァリンを挙げてみても、拳から爪が生える事だけ再現できれば、その他の見た目が↑ほどに差異があったところで、特に問題にもならないどころか、多くの人に受け入れられました。
漫画のコスプレ合戦がしたいだけなら、わざわざ実写映画にする必要はないんですよ。インスタの自撮りで我慢しとけと。
逆に、そのキャラが持つ記号=特徴を再現しているのみで、その他の見た目はキャスト(のルックス)に依存するのであれば、実写版にする意義は多分にあると思うし、個人的には大歓迎です。
「イメージが壊れるから実写化は止めろ!」という、バカの一つ覚えのごとき願望を散見しますが、アメリカでも頑なに漫画の実写化を嫌悪する連中っているのかな?
まぁ、漫画やアニメを盲信する日本人とは、ヘタすれば街宣車に乗っているような連中のそれよりも熱量(や信念)があるから厄介だよね(笑)。
…って事で、俺ッチは二次元媒体の実写化はそこそこ肯定派です。嫌なら目を背けられる能力も持ってますし。
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映像特典の中では、ウルヴァリン誕生に深く関わったスタン・リーさんとレン・ウェインさんの座談会が興味深いですね。両氏とも既に亡くなっていますが…。
X-MENシリーズの原作は、ちょこちょこ描く人が変わっているらしいですが、自分が担当を外れて他人に一任するにあたり、それまでの設定や世界観を後任によって変えられてしまうのをどう思うか?という問いに対し、お二人はビジネスとして、大人としての回答を述べていますが、それはあくまで発信する側の話であって、それまで支持してきたファンの反応については言及していません。
ああいう意見を聞くと、我々のような受け手は、発信する側の都合を鵜呑みにするしかなく、付いて行けなくなれば目を背けるより他ないのかなぁと感じてしまいますね。