ただでさえ生きにくい世の中なのに、それに拍車を掛けるかのようなコロナウイルス騒ぎが、いつになっても終息の気配を見せません。
テレビ新聞ラジオにネット、あらゆるメディアでコロナウイルスに関しての報道が続くのは仕方ありません。
そんな今の世ですから、“コロナ疲れ”なんてワードが現れるのは当然ですし、その疲れ方は人それぞれでしょう。
かく言う俺ッチも、その中の1人です。
正確には“疲れ”というより、“辟易”とか“ウンザリ”の類なんですが。
例えばネットのニュースサイト(orポータルサイト)の見出しだけを読んでみれば大同小異、どうしてこんなに似通う記事ばかりが濫造されるんだよと。
1.どこそこで感染者数がウン十人
2.イベントやお店と言った経営の自粛
3.著名人がツイッターでどうこう言ってた
政府の方策や指針を除けば、こんなのばっかです。
1に関しては、“明日は我が身”の意味もあるけど、強迫観念ではなく、ただ恐怖を植え付けているだけに思えます。
あくまで感染者であって、総検査数という分母に対しての分子にすぎません。陽性+陰性=総検査数になるわけですが、検査キットが足りないとされているらしいのに、そんなに検査できてるんかいな?
2に関しては、記事の内容より、それにコメントする大衆の意見ですね。
海外は自粛どころか禁止ができてるんだから、日本もやれよ的な。
そんな豪語ができる人は、よっぽどの貯蓄があるか、在宅で仕事を済ませられる人なんでしょうね。
ハッキリ言うまでもなく、世の中は金です。
長生きはしないにしても、今を生きるにも金が必要です。
俺ッチの通っているお店のご主人は、今回の騒動を「ただの風邪ですよ」と言っていましたが、もちろん本意ではありません。このくらいの強がりを言わないとやっていけない、生きていけないという事です。
これは個人経営に限った話ではなく、家から出なければできない仕事に携わっている全ての人に言える話であり、世の中の圧倒的多数の社会人がそうであるはずです。
リスクを背負ってでも金を稼がなきゃ生きていけないんですよ。
自分の身を自分で守るだけでなく、自分の身を守る事が他人の身も守るという自覚を以て行動するしかないんです。
自粛しろ自粛しろと騒ぐ連中とは、外出する人間に対して、婉曲的に死んじまえと言っているように受け取れます。
3に関しては、わざわざ取材をするわけでもなく、著名人がネットで発信している内容で一つの記事にしてしまうという、自分の身は安全のままパソコンやスマホ上のコピペで済ませられるという、まさにコロナビジネスの極みですね。
しかも、ライター(“記者”と呼ぶには値しない物書き)の個人的な見解も加えず、ただ“あの人がこう言ってました”というだけのお粗末な内容で記事に昇華できるんだから、何ともお気楽な仕事です。
特に、全ての世論の中のごく僅かである“そうではない方”の主張をしてばかりの著名人に目を付ければ、反感を持つであろう大勢の人間は攻撃したがるがために、まずは読んでくれますからね。
堀江村本舛添あたりかな(笑)。
ただ、そこは十人十色&意見百出で、ひとそれぞれどんな思いがあってもいいし、彼らはそれを一方的につぶやいているだけに過ぎない。
突飛な意見ばかりで白眼視されているような著名人と、それを攻撃しようとコメントする連中の争い、いや、お互いが共通の場にいないんだから“争い”にもなっていない状況をビジネスに繋げようとする商魂が、倫理的に好きになれません。
――とまぁ、そんな不毛を感じる事にウンザリしていたので、ここ数日はポータルサイトは早朝に一度だけしか見ないようにしています。
そのおかげか、頭の片隅にある杞憂が小さくなる事で、以前よりは気分が晴れ気味です。
ニュース系を見る頻度を減らした事で、「え~、知らなかったの?」なんて言われる事も稀にありますが(笑)、その後に教えてくれるし(ああ言う人は教えたがりが多い)、その程度の情報でも十分なんです。
嫌なニュースを見聞きする頻度を減らせば、気が滅入る事も減るはず。
暗い世の中ですが、せめて気持ちくらいは健康でありたいですからね。
以上、特にオススメはしない精神上の健康法でした。