先日、『アメトーーク』の番組終了直後、大阪の西成という地域に関して謝った見解を放送しちゃってゴメンなさい的な謝罪がありました。
今回、西成に関して名誉を傷つけられたとか何とか言ってきたんでしょうね。
近年のクレームを付けたモン勝ちな風潮に乗っかっただけの、実は地元愛なんか1ミリも感じていないオンブズマンが、世の中をひっくり返してやったという達成感に満たされたいがためにアナーキスト、もしくは愉快犯のような真似をした感じ。
イチャモンを付ける連中とは、ああいうお笑い番組において、芸人の話すエピソードや情報をいちいち&易々と真に受けるんでしょうね。ほとほと呆れるばかりです。
お笑い系バラエティ番組における笑い(特にエピソードトーク)とは、その場でドカンと笑ったら“ハイ、次”といった感じで、実に刹那的なものだと思うんです。
そんなものを延々と深刻に、クソ真面目に捉えてしまうのって、実にダッセー事だと思うんですよ。
ラジオ『土田晃之の日曜のへそ』において、お笑い芸人(系)である土田さんもちょいちょい言ってますが、「僕の言っている事はフィクションですから信じないで下さい」、これに尽きるんです。
俺ッチが思うに、映像の娯楽に関して、映画は(ある程度の)観る資格が必要ですが、テレビは万人が楽しめるものだと考えていました。
でも、↑のような事態が発生してしまえば、もうそろそろテレビを見るにも資質が必要になってきたと感じます。
それは情報の取捨選択ができる能力を持っているかどうか。
ついでに言えば、平成になってからでしょうかね、漫画やアニメにも陽の目が当たるようになり、世の中に与える影響も大きくなってきました。
要は、いい歳をした大人の注目を得るようになってきたという事です。
大人の注目を得るという事は、大人の鑑賞にも耐えられるような内容でなくてはならない、つまり極限までリアルにする事を余儀なくされていると言ってもいいでしょう。
ここでも鑑賞する側には情報の取捨選択が必要で、虚実の境が付いてるかどうかが問われます。
現実に起きている事を劇の中に取り入れる事もあるでしょうが、冷静に考えるまでもなく、所詮は荒唐無稽の象徴たる漫画やアニメです。フィクションの極みなんですよ。
作品の中に没入するあまり、絵の中の出来事と現実が地続きであると思い込んでしまうのは、子供や精神が子供のまま大きくなってしまった異常犯罪者だけでいいんです。
自分の考え方の、一つの指針くらいになら頭の片隅に残しておいてもいいけど、たかだか漫画ごときに熱くなってるんじゃないよと。
子供の頃、“漫画ばかり読んでいるとバカになる”なんて言われ、それがスーパー偏見であると反感を抱いて育ってきた中年層は少なくないでしょう。
――でも、結果的にそれが正論になりつつあるのは悲しくもあり、実に情けない事です。