『機動戦士ガンダム 第08MS小隊』を観終えました。
実は全話観たのは、今回が初めて。
余談ながら、『地獄の黙示録』同様、夏のクソ暑い時期に、かつクーラーを付けない事で、臨場感を得ながら観るのが輝くmy ruleです→1話分で諦めました…。
近年のガンダム作品は、宇宙世紀を舞台にしたものorそうでないものに二極化されています。
個人的に嫌いなのは前者で、まるで重箱の隅を突っつくがごとく、小っせー設定の隙間を膨らませる作風が実にいじましく感じるんですよね。発信側が二次創作をやってどーすんの。
まぁ、後者は後者で、ならガンダムの名を冠するなよというツッコミも可能なんですが…。
本作もガッツリ前者で、ザクだのグフだのと、いつまで昭和の遺産にしがみついてるんだよとも思うんですが……やっぱりカッコ良いんですよ(笑)。
MSのデザインに関しては、この頃くらいの節度がギリギリ許せる感じ。
戦場における理不尽さや温かみのある小さなドラマを、要はガンダムで『コンバット!』がやりたかったんだろうなぁ、と。
まぁ、それだけだと男ばかりのお話、つまりはエンターテインメント性に欠けるとしてロマンス要素も取り入れたのかもしれませんね。『~0083』同様、ガンダム好きからすれば余計な要素なんだけど(笑)。
主人公シローとアイナは連邦とジオンに所属していて、本来は敵対関係です。
そこから色々あって、お互いに恋慕の念を抱くわけですが、いくら敵国(?)に所属していても心が通じ合える事を二人は実感します。
――これって、一種のニュータイプ論だとも思うんですよ。
人類の進化だの革新だの小難しい事ではなく、本能的・直感的に他人を愛せれば、お互いの事も分かり合えるはずなんです。男女の恋愛感情も、発展すればお互いを理解するに至るでしょうし。
本家『ガンダム』で言っているものより遥かに小さく、かつ特定の人同士の交感でしかありませんが、大局的な視野を持って云々とか大袈裟なものではなく、まずは近くにいる人と“分かり合って”みる事から始めるのも、ニュータイプへ覚醒する第一歩であるかもしれませんね。
ガンダムと言えばモビルスーツも役者の一つです。
本作でのMSへのアプローチは、重力感と巨大感に思えます。
地上で、足を付けて戦うのは泥臭く見えますが、そこで重力がある事を知ります。
もう一つ、人間とMSが(コクピット以外で)一緒に映っているカットが多々ありますが、これは人間との対を知らしめているようでもあります。
この二点、MSとは大きくて重い物であるという、大フィクションの中にリアルを生み出す演出であり、本作の秀逸な点ではないでしょうか?
そんなだから、ノリスがコアブースターを使ってヒャッホーイとかやってる姿が、ハシャいでいるようにしか見えなくて…(笑)。