誰だって、いい人と言われれば悪い気はしないし、そうありたいとも思っているんです。
でも、簡単には、そうなれない事も分かっている。
だから、いい人と呼ばれる人を羨んでしまうし、度が過ぎれば妬んでもしまう。
いい人と呼ばれる人も所詮は人間だし、悪い要素は少なからず持ち合わせています。
そんな僅かな悪い要素が見つかった瞬間、多くの人間はそんな小さな傷をとことんまで、化膿するまで突っつきます。
こういう風潮は、ネットが加速させたのは明らかですよね。
そんな調子で、今の世の中は“好き”よりも、“悪い”の方が力があります。確実に。
本心では“良い”と思っていても、周囲の“悪い”に負けてしまうし、だったら実は自分も少なからず思っている“悪い”側に身を委ねた方が、気が楽。
それがエスカレートすれば、能動的に攻撃を仕掛けるようになり、それが心地良いものになっていく。
こうまであの人が大衆に非難されるのは、いい人と思われている事に対する妬みから発祥する、“負”の付和雷同なんだと思います。
相手の男性に関しては、安っぽく奇をてらったグループ名も仇になったような(笑)。
確かにね、あの2人のした事は、大衆に影響を与えてしまう著名人の行いとしては軽率でした。ファンへの裏切りだと誹られても仕方ないでしょう。
でもね、あの件で失望できたファンは、もう見なければいいだけの話。それだけなんですよ。
近年の、何かと言えば謝罪を求める連中は、どんな気分になりたいんだろう。
――で、何が言いたいのかと言えば。
完璧な人間はいないんです。欠点なんかいくらでもあるんです。
それを負い目に感じられれば謙虚になれるんだから、他人の失態にも大らかになろうよと。
転べば自分で起きなきゃならないけど、誰かが手を差し延べてくれた方が助かるし、嬉しいでしょ?