クレーム、付けてますか? | Joon's blog

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どんな傑作にも100点を、どんな駄作でも0点を与えないのが信念です

昨日の新聞の1コーナーなんですが、

という結果。
ちなみに俺ッチは、“ほとんどつけない”です。

「お客様は神様です」
かつて三波春夫さんが言った事で有名な言葉です。
三波さん御本人がどう思っているかはもう知る由もないけど、今という時代になっては撤回したいんじゃないかなーと。
何故なら、この言葉を曲解し、免罪符のごとく使用する人間が増えすぎてしまったから。だからって、三波さんには一片の責任もないんですがね。
そんな言葉がまかり通ったのは、今よりも遙かに大らかな時代だったからだと思います。
そもそも、相手を振れ伏せさせるためにこの言葉を使う時点で、神様と同格だと思い込んでいるんだから図々しい話です。“様”すら勿体ない。

ファミレス等でよくあるらしいですが、注文が遅かったり間違っていた時に、店員の些細な手落ちをわざわざ大仰に糾弾する人間がいます。
得てしてそういう人種は、後日、その時の出来事を武勇伝よろしく鼻高々と話し、“俺ってスゴいんだぜ”感を出そうとするものです。
…でもね、よくよく考えてみると実に浅ましいというか、超カッコ悪ぃ話なんだよね。
例えば飲食店において、従業員の手落ちがあったとしましょう。
一食ウン万円もするような高級料亭ならまだしも、ファミレス等の比較的安価で品物を提供できるお店で殿様を気取るんだから、井の中のカエルっつーか、地元だけで粋がっている田舎ヤンキーみたいじゃないですか。

文句を言う側が人間なら、それを聞くのも人間。
特に社会人であれば、その立場が逆転する事なんて確実にあります。
何が言いたいのかっつーと、“自分が嫌だと思う事は相手だって嫌だろう”という気持ちに、何故なれないんだろう?と。

…そもそも、イチャモンを付けなきゃならないような状況って、そんなにありますかねぇ?
明らかに相手が間違っているような状況に出くわす事もあるけど、ほんのちょっとの妥協と会話で万事解決する事がほとんどじゃないでしょうか?
この場合の“妥協”とは、仮に立場が違えば自分も同じようなドジを踏むかもしれないという、一種の負い目。
でも、それがあるから、“思いやり”という気持ちが生まれるんじゃないかと思っています。

“クレーム”なんてインテリぶった言い回しをしていますが、言い換えれば、“駄々っ子のワガママ”です。かつ、世の中のクレームの9割がそれでしょうね。
そんなワガママを通せるようになってしまったんだから、恥ずべき時代になったものです。
TVタレントの、世の中の御意見番を気取っている、豪華っぽい名前が付いたオカマの牛(←変換を学習させるのもイヤなので名前は打ちません)は、そんな情けない日本人の代表選手。
流されやすい人は安易にも「知名度のある人間がああ言っているんだから、自分も同じ事を言おう」と思ってしまうものです。
歯に衣着せぬ意見で人気を取るタレントが増えていますが、自分の一語一句がTVを見ている圧倒的多数の人間に影響を与えてしまうという責任を踏まえた上で、もう少し慎重に言葉を選んで欲しいものです。
日本のモラルを崩壊させるのは、お前らなんだよ。