今日は、朝から伊丹市へお芝居ワークショップへ出かけます。
小説と芝居。戯曲の関係は、以下の記事にも書きました。
その詳細は、上のブログに詳しくは書いています。
が、あくまでも、素人の僕一人の勝手な妄想で言い分ですから、
個人的な戯言だとお思いください。
「この戯曲感覚は、見えない観客の存在を常に意識している。
人物たち(=肉体を持つ役者たち)がどう振る舞うか、どう観客へ演技しているか、セリフにもト書きにも、言語化されていないのに、【書かれていない幽体へ挙動】が常に「見えて」書いている感覚です。
これ、もちろん、地の文がある小説でも、人物たちに【同じ演技】が、幽体への挙動が求められる、
いや、求めるべきだ、と感じています。」
このように、ブログでも書きました。
実際、今、小説を書いているときも、
その見えない【観客(=読み手)の重力】感覚や、登場人物たちの【幽体へ挙動】感覚が、無意識に使えてるんです。
そうした総合的な諸々が、
読み手への演出として、前とは段違いに戦略的に考えながら、書いている感覚があります。
全くとは言いませんが、前はそういう戦略性が弱く、行き当たりばったりで書いていました。
その原因は、このnoteでも何度も言及している、書き手中心の【自分ファースト感覚】で書き、自分勝手なストーリー展開重視の書き方をしていたためではマイか、と考えております。
書く際に、個々の登場人物における諸々の事象(背景・過去)が、主人公以外は蔑ろにされてきた、と今は強く感じ絵う頃ができています。
まだまだ、その戯曲感覚や、戯曲講座で体験した発想やスタートの企画構想面も、十分に消化しきれていません。
おいおいと、その感覚を言語化できれば、ここへも書いてゆきたいです。
