昨日は、完全に詩人モードで、そこから抜けきれなくて、ユリイカと、
(8/26に投函した作品は別に)もう1篇、二通目になる手帖の投稿詩も書いて投函した。
この手帖へ追加した二通目の詩は、すごく満足できたから、入選するといいな。笑
詩は書ける時は書けてしまう。
また、その後は、純文学系長編小説のネタを考えたり、見本にしたい小説を解析していた。
けど、いつもの堂々巡り展開ストーリーを考えてしまう。
プラス、何かしら「新奇」なアイデアを指向する方向性で考えている。
違う。
そのやり方でスタートしても、絶対に、何も生み出せないから。
小説もどきしか書けないからね。
戯曲で気づいた、人物間群渦や背景からの展開を考えないといけない。
でも、その前に、一番初めは、背景と隣接するどんな状況下かをまず考えるべきだ、と気づく。
状況は、500%人物の背景や動機、目標という因果プロットとセットになっているから。
物語キャッチボールのワークショップでさんざんやってきたものじゃないか。
もう10年以上やっていることだ。
そもそも背景(因果プロット)無しに無理やり1本の話に繋げるから、
しぼおりだしたアイデア一つで臨むから破綻する(=自分でも無理筋とわかる)。
そんな、同じ失敗の繰り返しは避けること。
例:今回の戯曲も〈植物園という舞台・状況〉を条件に当てはめ考えた。(プラス植物関連)
そこへいくべき理由・プロットを考えるために、さまざまに連想できたから、いい作品になったはずだ。
小説の構造に、ナラトロジー的には、ページがなくなるのと同じような〈欠落・欠如の回復〉という構造を入れるためにも、
まず書きつげないとね。。
朝吹真理子「きことわ』をもう何度目かわからないけど解析読みした。
その冒頭は、永遠子の半睡意識の流れを堀辰雄的な文体からの過去シーン。
淡々と意識と描写を重ねる。その意識の流れ文体も、つい、その新鮮な描き方や感性に魅了され、見えなくなるけど、
モチーフ自体は、雨だとか、旅行する車の中、別荘地の自然とか、ありふれたものばかり。
決して「新奇さ」や「珍奇さ」は無縁なもの。
そこに、「大嘘」どころか、「小嘘」もないんだよね。
ところが、見本にもできないと焦る僕の意識の中では、そのモチーフ発想段階の「ありふれたものでいい」という位置付けが、
まるで見えてない、欠落してるんだよね。
今日は、これから、午前中が仕事です。