昨日は、放送大学・兵庫学習センターでの「映画学入門」(講師:板倉 史明/神戸大学大学院教授)の第1日目でした。
同じ神戸市内なので、当たり前ですが、センターまで30分もかからないで行けるのが、嬉しい。
この第1学期は、4/18・19愛媛「日本近代文学・文化の基礎」漱石と子規、4/26・26福島「言葉の張ったうと読みの科学」、
5/30・31北海道「新時代の太宰治」と3連続の外泊・前日の金曜日からの出発ばかりだったので、
スクーリングというと無意識に身構えてしまっていたから。
いまだに感覚的に、速く簡単に着くことが、ちょっと信じられないでいる。
今回、福島から新幹線で来て、遅刻の方もいるみたいで、ちょうど前の僕と逆のルートの人もいるんだね。
この映画学スクは、その上級編「映画学 発展編」を、’25年6/7・8に受講済みなんですよ。
実は、先生からの見本の映画作品は、前にも観たものでした。
でも、たった1年前に受けたのに、僕はすっかり忘れている。
映画も題名と観たことぐらいしか記憶にない。
けれど、その分、大きな違いがありました。
今回、監督の意図が、演出的な「置き」がよくわかったんですね。
先生や他の受講生の意見で気づくのでなく、ポイントがすごく「見え」ました。
「なぜ、ここは無声なのか」、「なぜ鏡で映るシーンなのか」、「なぜ上からの遠景ショットで、次に顔を映さないショットが続くのか」。
疑問点が浮べば、自ずから答えも浮かぶ。
本来、映画はプロ作品なのだから、不自然さがない滑らかなショットの積み重ねだから、先生も指摘するように意図的に視点を変えないと、疑問は浮かばない。
ポイントはまるでわからない。
けど、今回は違う。
自分の中の、あれから1年の、’26年まで積み重ねた【読み手ファースト感覚と演出意識】が、演劇やらを体験したことが自然とリンクした。
特に、これは自分の中に2月に受講した「初心者のための演劇講座」の演劇ワークショップ体験からの演出感覚で身に備わったものが大きい、と思う。
あと、別件で、この間、吉田修一「解雇」の短編を6度目ぐらいに分析読みしていた際も、
人物描写の演出と答えを示さないことに、初めて気づいたこともあった。
それも同じだろう。
逆にいうと、’25年までの僕には、徹底的にこの「演出感覚」が足りなかったんだ。
メインをストーリー展開じゃないものニする。
これ、金曜日に受けた講演会で(昨日のブログを見てください)、謎以外の人物の魅力その他のものが必要だ、と有栖川先生のおっしゃった言と同じだ。
やっと頭でっかち理解じゃなく、体感的に数段階、上に上がれるきっかけがどんどん身について来たんだ、と思う。
次は書いて書いて、上達するしか無いよね。
今日は2日目です。
がんばります。

