さあ、今日から仕事です。
朝、新規の仕事先へ行くのだと思うと、若干憂鬱になる。
ストレスなのは事実だ。
今朝など夢の中で、そこの仕事先で納期に間に合わないものを見てしまう。
全然、そんな設定はないのに。
不安感の反映か。
でも、考えると、自分の心が掻き乱され続けるほど大したもんじゃないんですよ。
もっと酷くて、文学活動もなかった時代を経験しているし、12月までの辛抱だから。
過去、仕事先で苦労した年を勘定して見たら
、aで4年間、bで1年、dで5年間、eで5年間、再cで1年、fで3年間、gで1年と、全てを合計すると、
20年間(そんなに長く!)もしんどい仕事生活の時期があったんですよ。
よく生き残ってきたものだ。
仕事、辞めようかと思った時も何度もありましたから。
そもそも、いくら鬱になっても、好転はしないから。
ここは心を無にして、ビジネスライクに割り切って、持ち帰り仕事以外、プライベートな時間は心から排除しよう。
無駄だ。
気にすること自体が「負け」じゃんか。
言われたことだけやって、絶対「よくしよう」と改善策を染めさなくていいだけだから。
頭から切り離して、時間のリソースを純粋に創作へ集中すべき。
さて、創作では、今までと同じ、手持ちの札だけでの無限性との勝負を絶対にしないと決意している。
それをやっている限り、同じ結果以上のものにはならないだろう。
自分の力量を、単に実力不足と断じて、なんの新規に対策を講じないのは馬鹿げている。
で、今回は額賀澪さん方式に準じようようと考えました。
でも、書いている永井荷風新人賞は、純文学系だから、そのままは全然、当てはまらない。
けど、今までの物語展開に引っ張られているんじゃなくて、その骨子や展開自体をコントロールするやり方、そこからダウンロードして、
シーンを作りあげる手際を、額賀さん方式を参照にすることにする。
ちょうど、昨日のgraf交流会での話題が、もしかしたらシンクロニシティかもしれないから、そこで名が上がった本も読んだりして。
それが印象に残り、その本をちょうど持っているんだから。
そうした、なんでもないきっかけから詩を書き始めたのが’16年12月でしたからね。
詩を書いたのが、あの10年前の、
なんて事のない「渡辺玄英詩集は山下澄人(好きな作家でした)と同じだ」の文芸雑誌の編集後記のつぶやきから始まったように。
無意識のキャッチやそこからのきっかけを侮り軽く見るべきものじゃないと、体験し、知っているはずだから。
今回は額賀澪さんの小説の書き方との合わせ技であり、その他にも放送大学の面接授業や奥憲介先生の講座とも合わせ技&積み重ねなんだよね。
日常の些細な出会いや、偶然のきっかけが、大きなシンクロニシティになるかどうかは、本人自身のその後の行動と、その結果次第なんですよ。
実は、皆さんの、すぐそばに、「シンクロニシティの種」はゴロゴロと転がっているし、落ちているもんなんですよ。
ほんと、本人次第。
常識で否定せずに、「行動するかどうか」なんです。
その小さな、きっかけ次第で、その後の人生で大きく「領域展開」できるような、すごい呪術的な物語がはじまってしまうんですね。
